第70話 三日だけ

 永眠の森とその一帯を襲う地震が起きた時、フランは自身の主、魔王ボクトの帰還を眷属として知覚し安心するとともに、軽い焦りも覚えていた。


「……まずいですね」


「どうかしたのかフランチェスカ様!?いや、さすがにこの地震はたまらんが!」


 そこら中から鳴り響く地鳴りの音に負けないように大声で話すのは、フランを守るように代名詞であるチェインハンマーを構えながら、人族の魔導士が放つ火球魔法から守ろうと周囲を警戒している、ドワーフのガラントだ。


「いえ、この地震はボクト様が起こされたものだと思いますから、私達にとってはむしろ吉報です」


「なんと!?ボクト様は天変地異まで起こされるか!?」


「それよりも気がかりなのは、森の消火活動に当たっているイーニャさん達です。ボクト様の御力だと知らないイーニャさん達が、森からの脱出とかの軽挙妄動に走らなければいいんですけど……」


「フランチェスカ様!!」


 そんなフランの憂慮が呼び水となったのか、そう叫びながら揺れが収まらない中央広場に駆け込んできたのは、エルフのイーニャ、ハーピーのテリス、双子の妖精シャラとファラ、熊獣人のズズーといった、永眠の森の亜人魔族の代表達だった。


「申し訳ありませんフランチェスカ様。各種族でできる限りの方法で永眠の森を守ろうと動いていたのですが、この地震が自然に発生したものではないと我らの間で結論が出まして、とても手に負える事態ではないと判断し、現場の指揮を一時ヨルグラフル殿にお願いしてから、フランチェスカ様の御指示を仰ぎたいと参上したのです。もちろん、無断で市街地に入った罪は後できちんとこの命をもって償いますので、どうかご指示を!」


「みなさん……」


 全員を代表してそう話したイーニャに、フランは驚きを隠せなかった。

 いや、イーニャだけではない、これまでの朴人とフランに依存しきった雰囲気は消え失せ、フランを見る全ての眼が克己心と永眠の森を守ろうという覚悟に満ちていたからだ。


「……イーニャさんの言う通り、今は緊急事態です。みなさんが無断で市街地に入ったことについて咎める気はありません」


「あ、ありがとうございます!」


「その上で、ボクト様から永眠の森を預かる眷属として、皆さんに命令します。永眠の森の全住人は待機。決して、森の外の様子を見に行ったり、人族の軍に接触しないように徹底してください。それから――」


 その時だった。


 グアン!!


「きゃああ!?」 「ぐあっ!!」 「「ギャン!?」」 「ごへえっ!!」


 聞いたこともないような大規模な風鳴りがしたかと思うと、突然フランたちの体が地面に押し付けられた。


「くっ!?こ、これは……」


 唯一倒れることなくなんとかその場で踏みとどまったフランにも、何が起きたのか全く分からない。


 そんな中で、最も正解に近い答えを出したのが、ドワーフのガラントだった。


「上を見てみろフランチェスカ様!雲が迫って来ておる!?」


「っ!?」


 ガラントの声に反応してフランが空を見上げると、普段なら決して起こりえない、雲がどんどん大きくなるという不可解な現象がその眼に映った。

 やがて全員の体にかかっていた圧力が消えてそれぞれが体を起こし始めた時、改めて朴人の魔力を探ったフランの中に、ある可能性が浮かんだ。


「……いえ、これはひょっとして……」


「フランチェスカ様?」


 イーニャの声で我に返ったフランは、今は確かめる術はないと自分の考えを引っ込め、永眠の森の管理者としての行動を優先しようと決めた。


「……何でもありません。とにかく、みなさんは先ほどの待機命令を全住人に徹底してください!私は改めて状況を確認します!」


「しょ、承知しました!」


 わけの分からない状況下でも、フランの命令が下りたことで迷いを無くしたイーニャを始めとした永眠の森の種族代表が、永眠の森中に知らせるべくそれぞれバラバラの方向へと移動し始めた。


「それで、どうするのだフランチェスカ様?」


「ガラントさんは市街地の見回りをお願いします!もし出火している建物があったら、延焼を防ぐために躊躇なく破壊してください!」


「おお、それならばワシの得意分野だ。心得た!」


 決して早くはないが、揺れの中でもどっしりとした歩き方で去っていくガラントを見届けた後、フランは石畳のない場所を選んで、両手で掴める太さのバラのツルを出現させ体を預けた。

 すると、その体を一切傷つけることなくフランの体重を支えたバラのツルがそのままぐんぐんと成長し、フランを上空へと運び始めた。

 精霊であるフランは飛行能力を持ってはいるが、それはあくまでフラン自身の領域である森の中でこそ行使できる能力。森の力など及ぶべくもない空に上がるためには、使役する植物の力を借りる必要があった。


 そして、視界を遮る雲を避けながら永眠の森の周辺まで見渡せる高さで成長を止めたバラのツル。

 その先端付近に掴まるフランが見た光景は、ある意味で予想通りで、またある意味で予想外のものだった。


「……これが、ボクト様の御力……」


 ついさっきまで大地の一部だった永眠の森が、無数の巨大な木の根に支えられて天空に浮かぶ一個の要塞と化していた。

 これなら、あの人族の魔導士たちの火球魔法も届かないだろうと、容易に推測がつく。

 それでも、改めて目の当たりにする永眠の魔王ボクトの偉大な力にフランの体は震え、唯一の支えであるバラのツルから落ちないようにするだけで精いっぱいだった。


「でも、これで人族が引き下がるかどうか……」


 かつて人族の冒険者に捕まり攫われそうになったフランには、欲望の赴くままに必要のない土地まで奪おうとする人族が、このまま大人しく退却するとはとても思えなかった。


 そして、そのフランの予感はすぐに的中した。


 ただしそれは新たな人族の攻撃ではなく、朴人の怒りという形でだった。



 ゴゴゴガゴガガガガ!! ゴゴゴゴゴゴオゴゴゴゴゴゴ!!



 これまでの地震とは違う、不規則な音と揺れ幅の、大地の鳴動。

 だが一方で、フランがいる永眠の森には、その振動は一切伝わってこない。


「あの木の根が、ボクト様が永眠の森を守ってくださっているというの……?」


 その呟きを繰り返すことも、後で主に問うこともないだろうなと思いつつ、フランは極小の粒となった人族の軍のざわめきを見守る。


 そして、



 ガガガ!! ゴガガガガゴ――         ゴッウウウン



 フランは見た。

 太陽の光を反射していた無数の鎧が、突如その足元に出現した漆黒の闇の中へと消えていった光景を。

 そして残ったのは、大地の崩落の範囲から逃れたわずかな人族の兵達と、出現した大穴を越えて無数に根を伸ばしてその中央に浮かぶ永眠の森だけだった。


 永眠の魔王ボクトに永遠の忠誠を誓っているフランでも、あの粒の一つ一つに命があり、それが一瞬で大穴の中へと消えていった一部始終を見てしまった衝撃からは逃れられなかった。


「…………降りて、森の状況を確認しないと」


 しばらくそのままバラのツルにしがみついて動けずにいたフランも、いつまでもこうしてはいられないと思い、自身の分身ともいえるツルをゆっくりと地表に下ろし始めた。






 ツルが地表に降りるまで間のフランが、少しばかり自分の心の中に閉じこもっていたのは間違いないことだろう。

 だから、その声を、今この中央広場で聞くことになるとは夢にも思っていなかった。


「ただいま帰りましたフラン。いやあ、根っこを利用した瞬間移動は便利ですね。もっと早く使っておけばよかったです」


「え……?……ボ、ボクト様!?」


「どうやらこっちでもいろいろあったみたいですね。詳しい報告を聞いておきたいところではあるんですけど、今回はちょっとばかり体を動かして疲れました」


「は、はい。お疲れさまでした、ボクト様。それに永眠の森を守って――」


「あー、そういう話も後にしましょう。三日」


「え?」


「三日だけ眠らせてください。そしてきっちり三日後に起こしに来てください。多分、これ以上人族が攻めてくることはないと思いますけど、一応この三日間は根っこもこの状態のままにしておきますから、大丈夫でしょう。じゃあフラン、『銀閃』の四人と良く図って、うまく後始末をつけてください」


「あ、あの、ボクト様!……おかえりなさいませ!!」


「はいただいま、フラン。そしておやすみなさい」

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