第69話 眠りの邪魔なので

 魔導派の代名詞である魔導士部隊の火球魔法の一斉攻撃が、永眠の森から出現した謎のツルに打ち払われた時、他の貴族達が憤慨するのをよそにカイゼン公爵だけは余裕の態度を崩さなかった。

 物腰が柔らかく万事に鷹揚で、部下や他の貴族の失態に対しても叱責は家臣に任せて、自身は決して怒ることがない。

 その、微笑公、などという敬称まであるくらいのカイゼン公爵の表情が、側近ですら見たことがないほど憤激に染まっていた。


「なんだあれは!?」


 遠近感が狂ってしまったのかと目をこすり、再び見てもやはり変わらない非現実的な光景にカイゼン公爵は思わずそう叫んだが、実際の魔導派の貴族軍の指揮と実務を司る家臣達も、先祖代々魔法の研究を重ねて森羅万象を知り尽くしたはずの大魔導士達も、だれもその問いに答えることができなかった。


「お、おそらくは、木の根かと。それも巨大な」


「そんなことは言われずともわかっておる!もう少しまともなことは言えんのか愚か者め!!」


 ようやく言葉を絞り出した側近の一人を怒鳴りつけたカイゼン公爵だが、あまりの出来事にカイゼン公爵自身も何を聞きたいのか分からないままに周囲に当たり散らしていた。


 そんなカイゼン公爵の前に立つ、一人の魔導士の姿があった。


「……閣下、あくまで魔導士風情の見方ではありますが、はっきりしていることがいくつかございます」


「ほう、魔導士長か、申してみよ。ただし、先ほどの者のような愚にも付かぬ戯言であったなら、即刻その首落ちると思え」


「さて、飽くまでも魔導士の言が気に入らぬというのならばそれも良いでしょうが、他に考えのある側近方もおられぬ御様子。まあ、まずはこの老いぼれの話をお聞きくだされ」


 未だ困惑混じりの憤激が収まらないカイゼン公爵に魔導士長はそう言うと、自分の考えを述べ始めた。


「まず、あの永眠の森を浮上させた巨大な根は、自然に生まれたものではないということです」


「そんなことは分かっておる!その原因が分からぬという話であろうが!」


「その通りでございます。しかし、数々の魔導書や魔物、亜人魔族、果ては魔王に関する書物を読み漁ってきた我が知識を以てしても、あのような事例が過去に起きたという記録を知らぬのでございます」


「……む」


 ここでようやくカイゼン公爵は、目の前の魔導士長の言葉に真剣に耳を傾け始めた。


「ならば魔導士長、アレはいったいなんだと思うのだ?」


「……埒もない噂を閣下の御耳に入れる他ないというのは、魔導士の端くれとして不徳の致すところではございますが、王都でまことしやかに囁かれている魔神の御業みわざと考えるべきかと」


「魔神だと!?あれはラーゼン候が王宮派断罪のために騙った方便ではないのか!?」


「閣下、いくら協定を結んだとはいえ、ラーゼン候は憎き騎士派の首魁ですぞ。そのような者の言い分を信じてはなりませぬ。そして本当に魔神であった場合、我らの手に負える相手ではないことは疑う余地はありますまい」


「そ、そなたは、騎士派を裏切れと申すか?しかし、ここまで来ていまさら何の成果もなかったでは、魔導派の中からも批判が起きようぞ」


「いえ閣下、ここは一旦攻撃を中止し、即刻退くべきです」


「……撤退、だと?お主、気は確かか?」


 魔導派の首魁カイゼン公爵家の魔導士長と言えば、サーヴェンデルト王国内の全魔導士の中でもっとも発言力のある地位の一つである。

 現魔導士長も主であるカイゼン公爵の信頼厚く、その深淵に達した知識を頼りにされたことも一度や二度ではない。


 だがさすがのカイゼン公爵も、そんな魔導士長から撤退の進言が来るとは夢想だにしていなかった。


「閣下、今一度ご覧ください、あの永眠の森の位置を。あれが今回の攻略目標であることを、ご確認いただきたい」


「わざわざ言われんでも見えておるぞ」


「いいえ、閣下はあの光景を真に認識されてはおりませぬ」


「魔導士長!いくら閣下の信頼厚いとはいえ無礼が過ぎるぞ!」


 さすがに見かねた側近の一人が魔導士長に詰め寄る。

 しかし、老獪な魔導士長の鋭い眼光に気圧され、元の位置へと戻っていった。


「無礼?その言葉、我らが全滅の憂き目に遭っても同じように言えますかな?」


「どういうことだ、魔導士長?」


 再び口を開こうとした側近を手で制したカイゼン公爵が訊いた。


「閣下、我ら魔導士隊の火球魔法の飛距離の平均を御存じですかな?」


「それくらいは知っておるぞ。直線で三十メートル、今回のように弓なりに飛ばせば大体五十メートルと言ったところか」


「では、あの太く頑丈な木の根によって天高く上昇し、今や鉄壁の要塞の様相を呈している永眠の森まで、火球魔法は届きますかな?」


「そ、それは……」


 そこで絶句したのはカイゼン公爵だけではなかった。

 魔法の知識しか持たない魔導士長と違って、実際の軍の方針や作戦を決める側近達ですら、魔導士長の主張への反論を持っていないことに気づいたからだ。


「あの木の根に向けて火球魔法を撃ち続ければ、いつかは火がつくのではないか?」


「閣下、内部に水を蓄えた生木というものは、非常に火が着きにくいものなのです。あの太さと大きさの木の根を燃やそうと思えば、今の十倍の魔導士が必要でしょうな」


「で、では、他の魔法で……」


「いえ、この際我ら魔導士のことは置いておきましょう。最も重大な問題はその後です。閣下、騎士派の代名詞ともいえる騎馬隊が、果たしてあの木の根の何の取っ掛かりもない急な斜面を登り、その上の永眠の森まで到達できるとお思いですかな?」


「あ……」


 ここでようやく、カイゼン公爵は永眠の森攻略の策の全体像を思い出した。

 魔導士隊に何とか創意工夫させ、射程距離を伸ばして永眠の森に打撃を与えたとしても、攻撃の本命はあくまで騎士派擁する騎馬隊の突撃だ。

 そして、騎馬隊が活躍できる場所は平地のみと、実は非常に限られている。斜面では、騎馬の持ち味である突進力が失われてしまうからだ。

 ましてや、今カイゼン公爵らサーヴェンデルト王国有志連合軍の前に立ちはだかっているのは、人族の建物など比べ物にならないほどの高さを誇る、木の根でできた要塞。

 少なくとも軍という存在が攻略できる範疇を完全に逸脱した代物が目の前に出現していたことを、カイゼン公爵はやっと認識したのだった。


「……魔導士長、傷が浅い内に退くのもまた、名君たる条件だな?」


「仰る通りにございます、閣下」


 この瞬間、サーヴェンデルト王国有志連合軍の十万の半数、魔導派五万の離脱が事実上決まった。

 この後、盟友であるアドリアル候爵、ミュデル辺境伯に使者が訪れ、そこから従軍した魔導派の全貴族に撤退命令が伝わることになるのは確実だった。



 だが、そんな魔導派の事情などを現実は考慮してはくれない。



 仮に、遠く離れたラーゼン侯爵軍本陣にいる魔王ボクトの耳にこの知らせが達していたとしても、結末が変わった可能性は万に一つほどもなかっただろう。


 その瞬間が訪れた時、カイゼン公爵が後悔の念を抱いていたかどうかは、後世に伝えられることはなかった。






「どうです?このまま引き下がりませんか?」


 その朴人の言葉を聞いた時、エドワルドは一瞬誰に向けられたものなのか、わからなかった。


 正確には、声も言葉も届いていたが、まるで対等な相手に対するような朴人の言葉が、自分に向けられたものだと認識したくなかったのだ。

 なにしろラーゼン侯爵家と言えば、サーヴェンデルト王国建国以来の名家の中の名家。

 同じ身分である貴族はもちろんのこと、格上のユルト、カイゼン公爵からも、さらには国王を始めとする王家からすら、敬意を以て遇されてきた。


 そのエドワルドが、いや、ラーゼン侯爵家が、明らかに平民のものと思われるみすぼらしい服装の冴えない男から馴れ馴れしい口で、しかも若干の哀れみすら(エドワルドの思い込みだが)感じさせる言葉を投げかけられた。

 それも、地震によってうつ伏せの状態のエドワルドが、大きな揺れをものともしないで立つ朴人からという、まるで身分が逆転したかのような屈辱的な状況下でのことだ。


 この時点で、エドワルドの返事は決まっていた。


 いや、サーヴェンデルト王国有志連合軍の運命は決まった。


「貴様ごとき相手に引き下がるわけがなかろう!!」



「そうですか。では、眠りの邪魔なので死んでください」



 ゴゴゴゴゴゴ――  ガガガガガガガガガッガガガグガガガガガガッゴゴゴガゴガ!!



 その瞬間、徐々に沈静化していたかに思われた地震が再び勢いを取り戻し、そしてあっという間に超えた。



 ガガガガガガッガガガン!! ゴゴゴガゴガガガガ!!



「な、何が……!?」


「知っていますか?この揺るぎない大地と思われているそのずっと下、地下の地下のさらに底まで行くと、硬い岩盤や土砂の間に無数の隙間、空洞があるんですよ。そこを私の体の一部である根っこで刺激してやるとどうなると思います?」


「バ、バカな……貴様、正気か?」


「ああ、永眠の森のことなら心配いりません。ちゃあんと、私の根っこが保護して支えていますから、この辺が崩落しても大丈夫ですよ」


「わ、わかった!今すぐに退却する!そして二度とお前にも永眠の森にも手は出さない!だから――」


「あー……もう一つ知っていますか?地震って、急には止まれないんですよ?」



 ガガガ!! ゴガガガガゴ――        ゴッ



 その一際大きな、それでいて間の抜けた破砕音が聞こえた時、エドワルドの体は宙に浮いていた。

 いや、はるか地底へと続く巨大な穴に、本陣にいた側近達ごと落ちていた。


 そして、脚部と根っこが融合していて落下する心配のない朴人が見たのは、信じられないという顔つきで落下していくエドワルドの最期の姿だった。

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