別れ

 ヨシくんは、マンションの自室で首を吊って死んだ。


 私がお父さんを説得して、彼に電話をしてもらった翌日のことだった。

 お父さんは私の言葉を受けて、 

「母さんがいなかったせいで、お前がホモなんかになってしまったことは、本当にすまないと思っている」

 というようなことを伝えたらしい。お父さんは「義弘は無言で電話を切りました。どうしてしまったんでしょうか」と困惑しながら私にメールをよこした。

 私の伝え方もよくなかったかもしれないけれど、前時代的な男の人はこういうことをあけすけに語ってしまう傾向がある。「ホモ」だなんて差別発言が、ヨシくんをどれだけ傷つけたことだろう。


 そのまた数日前には、中学時代に彼と唯一付き合った「私以外の女子」が、彼に謝罪の連絡を入れていたはずである。

 私が「たぶんですけど、彼はあなたとのことがトラウマで、女性恐怖症なんです」「私との交際もうまくいっていません」「あなたのせいかも」「彼が可哀想です」と言ってきかせたのだ。

 彼女は泣きながらすいません、ごめんなさい、と謝ってきた。

「私には謝らなくてもいいです」私はぴしゃりと言った。

「謝るなら彼に謝ってください」 



 ヨシくんの死体を見つけたのは私だった。深夜、私の元に彼から、妙な文面のメールが届いたからだ。

 ロフトに上がる木のハシゴに縄をかけて、彼はぶら下がっていた。

 目はうつろで、どこも見ていなかった。あるいは、自分を受け入れてくれない世界をにらみつけていたのかもしれない。



 私に届いた最後のメールには、 


「ひどいよ」


 とだけ書いてあった。




 私は警察に簡単な事情を聞かれただけで済み、すぐさま家に帰れた。

「原因に心当たりは」と聞かれたので、「わかりません」と答えた。

「彼にもいろいろな悩みがあったみたいです。私も手助けしようと、思ったんですけど」

 そこから先は涙、涙で、声にならなかった。


 帰宅して、自分のベッドに伏して、私は朝まで泣いた。

 私は呪った。彼の苦しい人生を。私は恨んだ。彼をきちんと受け入れてくれなかった人々を。私は悲しんだ。私の愛を受けとりきれなかった彼を。



 次の日の朝、泣いてはれぼったい目をこすりながら、私はこう考えた。

 彼は綺麗な人だった。心も体も顔も、美しい人だった。

 その美しさは、世界に対する負い目から生まれていたものではなかったか?

 あの身のこなしや動き、態度や行動、声のトーンや表情のひとつひとつが、今となっては世間の無知から身を隠そうとしていた姿のようにも思えてきた。

 けれど、そんな隠れ蓑みたいな態度はいつか、厚い偏見の壁にぶつかって剥がれ落ちてしまうだろう。

 そこで持ちこたえるか、負けてしまうかで人の強さというのは決まる。そして彼は負けてしまった。

 ──いや、これを勝ち負けで分けてしまうのはよくないのかもしれない。

 彼の自死を「負け」とか「逃げ」と言ってしまうのは、彼への冒涜になる。

 これは、彼なりの選択だったのだ。

 彼は世間や偏見と戦う力を持っていなかった。だからあるひとつの道を選んだ。その選択を尊重して、祝福してあげなければならないのではないか。

 そう──彼と愛し合った者として。


 私は、義弘くんから最後に愛された者、そして彼を最後に愛した者として、彼のことを胸に刻んで生きていこうと思った。

 そう考えた途端に元気が出た。そうだ、私は今日も明日も、元気に生きていかなきゃいけない!

 昨晩そのままだったメイクを落とし、シャワーを浴びながら腫れたまぶたを温めて、お風呂を出てから改めて、顔を整えていく。 

 途中、大学の友達の亜希からメールがあった。ヨシくんを失った私を慰める文面だったが、言葉の端々に何か、どことなく、いやなものを感じた。

 おそらくだが以前から義弘という恋人を持ったことへの嫉妬心が彼女の中にあったのだろう。彼を失ったことでざまあみろという気持ちが無意識のうちに膨れ上がってそれが私へのこのメールのそこここに表れていてそれが私に名状しがたい不快感を与えているのではないだろうかと想像したが残念ながら私は彼の死を乗り越えるどころか彼の死を自分の中に取り込んで力強く生きていこうと決心したばかりなのだった。

 この子の心にそのようなある種の歪みがあるとするなら、それは私が直してあげなくてはならないのかもしれない。

 すなわち、まずひとつ、やるべきことができたということだ。



 私はメイクを終えて、鞄からヨシくんのネックレスを取り出した。小さなシルバーの十字架のついたものだ。

 考えてみれば私は、彼からプレゼントを一度も受け取っていなかったのだ。なので首を吊っていた彼の死体から、これだけもらってきた。

 目を閉じて、私はこう呟いた。

「ヨシくん、私、あなたのこと忘れないから」

 それからネックレスをぎゅっ、と抱きしめるようにした。

「ヨシくんのぶんまで、生きていくね!」


 鞄を持って、私は部屋を出た。

 朝の光に包まれた街が輝いて見えた。

 さぁ、頑張ろう! 今日も前向きに!





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