エピローグ
――あれから十年が経って。
私は晴れてピアニストになった。
あのあと麗とは結局、仲直りすることなく、ほとんど絶交に近い状態のまま卒業を迎えた。私は尚陵高校から指名を受けて音楽科へピアノの推薦で進み、麗はあのあとのコンクールも上手くいかずに、尚陵高校は諦めて私立の普通科に進んだ。風の噂によると、今では教員免許を取って音楽の先生をしているらしい。
今日は、地元で初めて行うリサイタルの日だ。場所は、通っていた中学校の近くにあるホール。麗と最後に出たコンクールの会場だ。
高校を卒業した私は音大に進み、良き師に巡り会えたり、海外でピアノを勉強出来たりして、今に至る。
いろいろ辛いこともあったけれど、あの時の張り裂けそうな思いを考えれば平気なものだと言い聞かせて乗り越えてきた。
そして、今日を迎えている。
本番直前、あの頃を思い出して物思いにふけっていると、控え室のドアがノックされた。
「はーい、どうぞー」
声をかけると、ドアが開いてスタッフの高橋さんがひょっこりと顔を出す。
「神奈さん、そろそろ時間でーす」
「はい、分かりました。すぐ行きます」
鏡を見て髪型を確認すると、高橋さんの方へ向かう。
「それからこれ、どうしても本番前に渡してくれって、女の人が」
「わ、おっきな花束! 誰からかしら」
ちょうどドアで隠れて見えなかったほうの手に握られていた華やかな花束を受け取って、高橋さんに尋ねた。
「さあ。名前はおっしゃいませんでしたが、神奈さんと同じくらいの年の人でしたよ。背のすらっと高くて、ちょっと強引な……そうそう、この花束、受付に渡してくれって言ったのに聞いてくれなくて、根負けして持ってきてしまったんですよ」
苦笑する高橋さんの言葉に、合致しそうな人が一人だけいる。
「まさか……」
「お心当たりでも?」
「ええ、ちょっとまあ」
花束をよく見ると、メッセージカードが添えられている。
慌てて取り出して見れば、淡いピンク色のカードに黒のボールペンで簡潔な文章が綴られていた。
『終わったら電話して!
080―××××―××××
謎のフルート奏者より』
「もう、全然謎じゃないじゃない」
思わず苦笑してしまった。彼女らしい茶目っ気だ。それとも照れ隠しだろうか。同時に泣きたいような気分にも駆られる。
「あの、神奈さん?」
「ああ、ごめんなさい。古い友人からです……もう何年も連絡取ってなくて、ちょっと懐かしく感じちゃって」
「そうなんですか……って、急がないと! こんな悠長なことしてる場合じゃないんでした! 急ぎましょう神奈さん!」
「あっ、はいはい」
そっと花束を机に置くと、高橋さんのあとに続いて舞台袖へと向かった。
あの時終わったように思われた展開部が、ようやく再現部までたどり着いたらしい。
開演のブザーが鳴る。緞帳はあの頃と違って音もなく上がっていく。暗い会場。この中に、『謎のフルート奏者』もいるのだろう。舞台が、ぱっと明るくなる。
――ライトが、眩しい。
舞台へ進み出ながら、そう、思った。
歪んだ真珠達 佐倉島こみかん @sanagi_iganas
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