某講評にて同作者様の別作品が「小説を書きたくなる小説」と評されていたものですから、「どのような作品をお書きになるのだろう」と興味を持ち、はせ参じた次第。
持てる者である神奈と持たざる者である麗。追いかけて、追い抜いて、すれ違って。展開部で終わってしまった二人の関係性を、主題が再び現れる再現部へと繋げたのが、ある種最強の問題解決ツールである「十年の歳月」だった──という点が作品を「物語」として捉えたとき、やはり些かの物足りなさを感じさせますが(歳月に依ること自体は悪手ではないと思うのですが、少し依り過ぎたかなと)。
一方で、それを補って余りある勢いを感じる作品でした。
第2話の後半──神奈の演奏シーンがあるのですが、ここが見どころで。というのも、彼女は持てる者ですから。第1話にも演奏シーンがあるのだけれど、こちらでの神奈の立ち位置は伴奏なので、麗の様子を窺いながら合わせにいっている。なら、神奈一人の演奏シーンでは、如何様な表現がなされるのだろうと思っていたら、「成程そう来たか」と。
さあ、救済へ向かおう。
凡庸な人であれば、演奏の妨げにしかならないであろう怒りや苦しみさえ、才ある彼女の前では楽音に彩を与えるポジティブなものへと変換されてしまう。神奈が持てる者であると、改めて読み手に認知させる良いシーンだったと思います。
ただ、何より──演奏シーンから読み手を圧倒してやろう、あっと云わせてやろうという気概を感じました。当然、登場人物の音楽に対する熱意もそこにはあるのでしょうが、ここで読み手を惹きつけたい、魅了したいという書き手の強い想いも感じました。
そういう意味では、こちらの作品もまた「小説を書きたくなる小説」なのでしょう。