第3話
三日後に結果通知は届いた。
なんと、まさかの一位通過。これには母が一番喜んだ。張り切って先生と本選の曲を相談していたけれど、当の本人である私は今ひとつ実感が沸かず、この一位通過をどう受けとめればいいか考えあぐねていた。
その二日後、音楽の川崎先生から昼休みに音楽準備室に呼び出された。何事かと思って行ってみると、そこにはすでに麗と、見慣れない女の子が座っていた。
「あの、先生。今日は、どうしたんですか?」
深刻な雰囲気に嫌な予感を覚えながら先生に尋ねた。
「まあ、とりあえずここに座って」
そう言うと先生は近くに置いてあるパイプ椅子を示す。
「はあ」
ずっとうつむいたままの麗に違和感を覚えながらも、私は先生の指示に従って椅子に腰掛けた。
「とりあえず、まずはコンクール予選、一位通過おめでとう。良かったわね」
「ありがとうございます」
先生の言葉に、頭を下げる。
「村上さんも、これから本選となると、練習がいろいろと大変でしょう?」
「ええ、まあ、一応」
世間話のような軽さで紡がれる言葉に、嫌な予感が音を立てて膨らむ。
「それでね、村上さんに負担をかけるわけにはいかないから、佐々木さん、次のコンクールの伴奏を、村上さんじゃなくてこちらの中田さんに頼みたいって言ってるの」
「え……?」
思考回路が停止した。麗の伴奏が、出来ない?
「麗、ちょっとそれ、どういうこと!」
「落ち着いて村上さん」
「だって先生! 今までずっと一緒にやってきたのに、なんで、なんでここにきて!」
「落ち着いて」
立ち上がって叫ぶ私に先生が制止を呼び掛ける。
「麗、なんで? 答えてっ」
うつむいたままの麗は辛そうだ。でも、私だって胸が張り裂けそうなんだ。麗との演奏が大切で、大好きで仕方なかったのに。この大事な時期にきて、いきなり伴奏をやめてくれなんて言われても、納得できない。
「……神奈の負担に、なりたくない、からだよ」
「そんなの嘘! じゃあなんでこっち見ないの! 麗!」
切れ切れに答える麗の言葉に言い返す。
「ほんとだよ」
「嘘! もしそれが本当だとしても、私にとってそれは負担なんかじゃない! 麗の伴奏は私にとっても掛け替えのないものなんだよ!」
目を合わせようとしない麗の肩をつかんで、私は叫んだ。
「……それが」
「え?」
搾り出すようにして麗はつぶやくと、顔を上げて私を睨み付ける。
「その余裕が耐えられないのよ、私!」
予想以上に大きな声に、思わず掴んでいた手を離した。
「神奈はいいよね、才能があって! コンクール前に他人の伴奏に付き合ってても予選を一位通過できるんだもの! 何もかも私と違う! 神奈の傍にいると、私、ただのピエロじゃない! 頑張って、頑張って、頑張って、それでも全然結果が出せないのにっ、もう嫌なの!」
激情する麗の言葉に目の前が真っ暗になる。
ああ、やっぱり麗を追い詰めていたのは、私だったんだ。
「耐えられないの! 我慢できないの! 私の伴奏するのだって、凡人の私を見下して自分が優位に立ちたいだけなんでしょう!」
「そんな、違う……!」
斬りつけられた気がした。そんな風に、思われていたなんて。
「とにかく、もう嫌なの! ねえ、これ以上私に関わらないで……これ以上、私を、不安にさせないでよ」
最後の方は、懇願に近かった。苦しげで、辛そうで、必死な、麗の声。心からの言葉。
「そっか……分かった」
震えるのどから無理矢理声を押し出す。
「それが、麗にとって一番いい方法なら、私、もう関わらないよ。でも、これだけは分かってて」
にじむ視界を拭って麗の目を真っ直ぐに見つめた。
「私はね、麗のことを見下したことなんて一度もない。麗は、ピアノを嫌いになりそうだった私を、ピアノを好きになるようにしてくれた。どん底から助け出してくれた。だから、私は少しでも麗の力になりたかったの。だから、ずっと伴奏をしてたんだよ。それだけは、分かってほしいの」
ああ、なんて下手くそな笑顔。鏡はないけど自分で分かる。お別れは笑顔でと、相場が決まっているのに。悪いのは全部私なのに、なんで麗の方が泣きそうな顔をしているんだろう。そんな不安そうな顔をしないでほしい。
「それじゃあ中田さん、麗を、よろしくね」
「あっ、は、はい……」
完全に蚊帳の外で呆然としていた新しい伴奏者の中田さんに頭を下げると、先生に向き直った。
「先生、お騒がせしてすみませんでした。でも、この機会を設けてくださって、ありがとうございました。それでは、失礼します」
「村上さん……」
まだ何か言いたそうな先生の言葉に踵を返して、私は音楽準備室を出た。ドアのところでもう一度一礼してから、扉を閉める。
ドアが閉まった途端、中から激しい泣き声が聞えてきた気がした。
私達はどこで間違えたのだろう。
追いかけて、追い抜いて、すれ違って。
それでも終焉に向かう曲は止まらない。
だから、私達はきっと展開部で終わってしまったんだ。救済の手は、暖かな場所へは連れて行ってくれなかったから。歪んだ真珠がさらに歪んだら、もう元には戻らないのかもしれない。
――とめどなくあふれる生ぬるい雫が頬を伝うのを感じながら、そう、思った。
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