第4話 主人公の過去

 小学五年生、ハルキは新しいクラスになり、話せる友達が見当たらなくなった。


 クラス替えというものは、なぜこうも残酷なのだろう。おそらくどんな人でも、一度は考えたことがあるのではないだろうか。

 今まで通りで良かったというのに、なぜか一年ごとに仲間たちと離れることになる。場合によっては自分を嫌っている人が多いと、とてもじゃないが不登校になるのがオチではないか。


 ハルキはクラスで始めの恒例行事、『仲間分け』が始まっても、話せる人がいなかったため、いつのまにか一人になっていた。


「……はぁ」


 机に突っ伏し、誰とも話せない今という退屈な時間を過ごしていた。


「……暇だ」


 去年までは楽しかったというのに、先生というわけのわからない大人によって、一年という長い時間の基盤を決められる。それがいい方向に進んだことなんて、この五年間を振り返って一度でもあっただろうか。いや、ない。


「……はぁ」


 二度目のため息。それだけでもいつもは心配してくれる仲間がいたはずだった。

 どうでもいいような話で盛り上がり、いつも楽しく過ごしていた。おかしな趣味を持つハルキでも、その中でならそれらを大っぴらに見せて盛り上がっていた。


 全てが過去形。つまり、今はそうでないということだ。これからの一年をこれで過ごすというのは、あまりにも残酷なことをしてくれた。


「……はぁ」


 三度目のため息。ため息一つで幸せが減るというのは本当なのだろうか。それならば、今以上に不幸せな事はあるのだろうか。


 そうやって自己嫌悪に陥っていた時だった。

 幸せというものは、本当に間近にあった。


「——どうしたの、そんなににため息なんかついて」


 それは、とても明るい声だった。

 男たちとしか話したことのないハルキにとって、そのような声に話しかけられるのは初めてのことだ。自分でも気づかないくらい一瞬のうちに、ハルキは伏せていた顔をその人に向けていた。


「ほら、ため息一つつくと幸せが逃げるって知ってる? 噂かも知んないけどさ、念のために考えてても良いんじゃない?」


 そう言って、彼女——まだ名前も知らないその人は、ハルキの机の横に立ち、微笑んでいた。

 綺麗だな——、それがハルキの第一感想だ。単純に、彼女は誰が見ても可愛いと思える様子をしている。目元がくっきりしていて、顔立ちも背丈もすらっとしており、長い髪を横で二つにまとめ、その髪を肩にかけていた。


「じゃ、もう授業始まるから」


 そう言って、彼女は自らの席——ハルキの目の前の席に座る。


 そして振り返り、彼女は言った。


「私の名前は天宮 雛。君は?」


「——俺の、名前は……」


 この時ハルキはまだ小学五年生。まだまだ思春期に入るまでには時間がかかり、この感情がなんなのか、この頃はまだ分かっていなかった。

 今まで名前すら知らなかった仲だ。自分が沈んでいるところに話しかけられただけ、そう、ただそれだけのことしか彼女とはしていない。


 ——それでも、これだけはわかる。


「速水春樹……いい名前だね」


「————」


「——これからよろしくね、ハルキ」


 そう言って、彼女は微笑みを浮かべる。再び見せるその笑顔はとても可憐で、綺麗で、素晴らしくて——、


 ——人はこの感情を、恋心というのだろう。


☆ ☆ ☆


 その日からハルキと雛は、よく二人で遊ぶようになった。


「これ見て、雛!『B型(自分の)説明書』だってさ!  確か俺、B型だったと思うんだよな。雛はどう?」


「あ、私もB型! 一緒じゃん。知ってる?  B型ってゴリラの本能と似てるって話」


「なにそれ気になる……じゃなくて!  この本ちょっと読んだけどすごいぜ?  所々ぴったりなんだよ」


「へーぇ、例えば?」


「これ、『なぜか無性に壁を駆け上がりたくなることがある』っていう話! 俺にめっちゃ当てはまるんだよなー」


「なにそれ、そんなこといっつもハルキは考えてたの? ちょっと意味わかんないかも」


「その意味を深く知りたくない自分がいる……。ま、とりあえずこの本見てみなよ。なんとなくわかるからさ」


 毎日楽しく、本当に楽しく、時間が過ぎていった。


「聴いてください。俺作曲、『エリーゼとはなにか』」


「すごいねハルキ。……作曲? 小五でできるなんて、もしかしてプロになっちゃったり?」


「ふふん! ま、俺に掛かれば楽勝よ。とりあえず聴いててくれ」


「…………え、なにこれ。音楽……?」


「作曲者に対してそれはちょっと酷くないですかね?!」


 時が過ぎ、時間が経ち、未来へ進み、その中で——、


「ダーレだっ!」


「いきなり目を隠してくるのなんていつの時代……ってか、それよりこんなことすんの雛しかいねぇだろ!」


「ふふっ、せーいかーい!」


 そんな楽しい日々を過ごすたび、彼女の笑顔を見るたび、ハルキは思う。




 ——俺は、雛が大好きだ。



☆ ☆ ☆


 ——事件が起きたのはその日から三年後、ハルキたちが中学二年生の時だった。


「そうだ、明後日の日曜、遊びに行こうぜ」


 小五で同じクラスになった雛。あの日から雛とハルキはよく喋るようになり、この三年間でクラスが離れるのこともなかった。

 もともとハルキと話していた男友達とはあいにくあれから一度も同じクラスになることはなく、まるで雛とだけ話しなさいとでも言うかのようなクラス編成だった。


 ハルキと雛は揃って帰宅部。クラスごとに帰る時間が多少ずれるので、いつも雛と帰っていた。その中で出てきたのが今の言葉だ。


「今週? オーケーオーケー私は大丈夫、問題なし! ちなみにどこ行くの?」


「今んとこは映画見に行くつもりだけど、雛はなんか見たいものある?」


「うーん……今はないなぁ。ハルキが好きなのでいいよ」


「どうもどうも。じゃあコ●ンでいい?」


「もちろんだよ。あ、行き方は? 自転車?」


「んー。……まぁそうだろうね。あ、ちなみに片道18キロ」


「やだよ、やめよ自転車! 私の体力のなさ知ってるくせに!」


 いつものような軽口と、いつものような笑い声が、金曜の空に響き渡る。

 それは毎日の日課のように行われ、それを両者とも苦とは思っていない。むしろ、なくてはならない日々の楽しみとなっていた。


 当たり前で、何もおかしいこともなく、ただどこにでもいる友達同士の会話と何一つ変わらない。


 ——それが一番だと、そう気付いたのは、それからすぐのことだった。



 約束通りの日曜日、二人は結局自転車でとある映画館に来ていた。


「……ぜぇ、ぜぇ……ちょっと……タイム……」


「何で私じゃなくてハルキが疲れてるの。ほら、行くよ」


 その日の天気予報はあいにくの雨だったが、今は全くの快晴になっていた。そう、まるで神様が二人の都合のいいように動かしているような、そんな天気だった。


「そもそも、女子の私に負ける体力ってどうなの? これじゃ、まだ小学生の時の方が体力あったんじゃない?」


「いやいや、そんなことないだろ。……いやでも、最近アニメとかにハマって外で遊んでなかったからかなあ。学校と家の往復と、たまに雛と遊ぶ時以外は全然動いてなかったし」


「はぁ、絶対それが原因。いい? 運動神経が悪い男子は女子からモテないの。だから、たまには体を動かしとかないといつか後悔するよ」


「だいじょぶだいじょぶ、心配すんなって。明日は明日の風が吹くって言うだろ? だからいいんだよ」


「それ、ハルキの意味わからない語録に追加ね」


「いいんだよそんなことは。ほらシュッパーツ!」


 そんなこんなで、いつものような会話を話しながら映画を見に行き、そのあともなんやかんやで話しながら、今日も楽しく遊んでいた。


 後から考えても、その1日はいつもと変わらず、もはやいつも以上に平和といっても良かった。楽しく、忘れることのない、幸せな時間だった。


 ——だからなのだろう。あの事件の片鱗を、1ミリも感じられなかった。


 なぜこの後にあんなことが起こったのか。誰かわかるものなら、教えて欲しかった。こんなことになるのなら、こんなことになってしまうのだったら、こんな時間すらなくなってしまっても構わないと、今でもハルキは後悔している。


 もし、雛と遊んでいなければ。もし、雛を遊びに誘っていなかったら。もし、映画が終わってすぐ帰っていたら。

 膨れ上がる『もし』と、果てしのない『if』が入り混じり、それは今でもハルキの心を押し潰す。記憶の全てがなくなっても、あの出来事だけは絶対に忘れられない。


 助けてあげると、誓っていたはずだった。守ってあげると、心の底からそう思っていたはずだった。そう——、


 ——目の前で今、雛が車に跳ねられるまでは、本当にそう思っていた。


「——ぁ」


 車に跳ねられて飛んでいく雛を見ながら、ハルキは助けに行くことも、何か雛を助けようとするそぶりも、何もできないまま突っ立っていた。


 ——遊びの帰り、2人が別れる、家への分かれ道での出来事だった。


 本当に楽しいものと別れるのは、とても寂しいものだ。誰にだってわかる些細な感情だが、時にはこのように悲惨な事故へと変わることもある。


 帰り道、ほんの名残惜しさから、二人は自転車から降り話し始めた。今日の思い出、明日の朝の集合時間など、とりとめのない話ばかり。そうやって別れの時間をぐだぐだと伸ばし、結果、雛は道を外れた車にひかれてしまった。


 ひかれる直前、ハルキは突っ込んでくる車をちゃんと認識していた。2人とも安全な歩道にいたが、その車は何かしらの原因でこちらに向かってきたのだ。


 悪いのは車だ。後から分かるが、その運転手は居眠りをしており、十割相手に非があると言える。


 しかし、それでもハルキは雛を助ける手段があった。それをすれば良いものを、なぜできなかったのか。


 足を出せば間に合う距離だった。手を伸ばせば届く距離だった。


 ——しかし、それをする勇気が、ハルキにはなかったのだ。


「……ぁ」


 車がくるのが分かっても、声が出ない、出せない。恐怖に怯えて足が出ない、出ていかない。


「……ハルキ?」


 彼女がハルキの名を呼ぶ。そして——、



 ——彼女が地に跳ねるのを、ハルキはただ、見守っていた。


☆ ☆ ☆


 次の日、当たり前だが、目の前の席には誰も座っていなかった。


『ねね、聞いてハルキ! 一昨日のことなんだけど……』


 いつもの声が聞こえない。


『じゃーん! ほら、この服どう? 昨日買ったの!』


 いつもの姿が見えてこない。


『あーもうっ! 見てこの点数、99点だよ⁉︎ まーたケアレスミスやってしまったー!』


 ——いつも隣にいるあの顔が、笑顔が、どれだけ待っても見えてこない。


「————」


「今日は皆さんに、重大なお話があります」


 入ってきて一番に、担任の先生はそう言った。


 あまりにも重いの声に、騒がしかったクラスがあっという間に静かになる。いつもならあり得ない光景だが、それでも先生はそれ以上の衝撃があったのか、眉1つ動かさなかった。


「皆さんももう気付いていると思いますが、今日来ていない雛さん」


「————」


「——昨日、お亡くなりになりました」


 ざわつくクラス。その視線は雛の席へと向かい、それに従って、いつも一緒にいたハルキの方へと視線が集中する。


「春樹くん、ちょっと……」


 先生に呼び出され、とぼとぼとした足取りで廊下に向かう。その間も、怪訝な視線は一点集中でハルキを貫いている。


 少し離れた教室まで連れてこられ、先生とハルキだけの空間が訪れる。

 その瞬間、先生の両手がハルキの肩へ乗せられる。そして、言った。


「ごめんね、こんなところに連れ出してきて。でも、大事なことだから」


「————」


「——昨日、雛さんと、何があったの」


 その語尾は強く、目には涙が浮かんでいた。大事な生徒が死んでしまったことに対して憤りを感じているようだった。


「……俺が」


 その人へ対して、昨日のことを思い出しながら、雛との思い出を懐かしみながら、口を開く。


 楽しい毎日だった。そして、それはいつまでも続くものだと思っていた。


 ——それを壊したのは、紛れもなく、一番身近にいた、あの男だった。


「——俺が、雛を殺しました」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

もしよければ感想ください。ただ、ここにあるのは物語の大事な場面を書いたやつの保存用です。 @Haru27

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る