第52話 甘味の鬼最終話

「オレハ、オ絹カステイラ、喰イタカッタ。ダカラ、アチコチ探シタ。オマエタチ、イツモ運ンデル。ソレノドコガ悪イ!」

「なっ、なんじゃと! 許し難し!」

 あっかんべー、と、再び舌を出す。英次郎とお絹は互いに顔を見合わせ、台所からは騒ぎを聞きつけた喜一が何事かと走ってくる。

「親分、早まっては……ん? お絹さま、あれが鬼……ですかい?」

「ええ、そのようです」

 ほほう、と、喜一は前掛けで手を拭って鬼を眺めた。

「あっしは闇から闇へと歩いてきやしたが……いやはや、本物の鬼を見るのは初めてでさぁ」

「喜一どのも鬼に興味がありますか」

「いやね、英次郎さん。あっしはこれまで世の中の大半を知った気でいやしたが、この世はあっしらの知らぬことの方が多いことに気付かされましてね……」

 言いながら、喜一がそろりと鬼に近寄る。

「喜一、怪しからぬ鬼じゃによって、わしが成敗してやる! その包丁を寄越せ」

「まぁまぁ親分、落ち着きましょうや。ふむ、おどろくほどに赤き色……何で染めておるのか」

 普段は寡黙な職人喜一も、鬼を前にして饒舌になっている。

 この枯れ木のような職人も、どうやらお絹と共に菓子を作り、その春風のような人柄に包み込まれているうちにすっかり穏やかになってしまった。

「母上、鬼と異国の人々はまったく異なりますね」

「そうですね」

 お絹と英次郎が見守る中、親分ひとり大荒れである。怒髪天を衝くとはこのことであろう。

「鬼に喰わせるものなどない! 失せろ!」

「ナニヲ! 鬼ダカラ駄目ダト言ウノカ!」

「おお! やる気か!」

「ヤルトモ!」

「望むところじゃ、こい!」

 太一郎が鬼を挑発する口に、黄色いものがさっと押し込まれた。

「んぐ?」

 もちろん、お絹である。

「親分」

「ふが」

「異国の人には寛容なのに、鬼につらく当たるとはどうしたのです」

 お絹が、ふんわり笑っている。かすていらを急いで咀嚼した親分が、目を白黒させる。

「しかしお絹さま、こやつは危険な鬼ですぞ!」

「ふふ、甘いものが好きな人に、悪い人はいませんよ」

「そ、そんな無茶な!」

 ねぇ、と言いながら鬼にまで微笑みかける。そのまま鬼を恐れることなく傍に膝をついたお絹は、鬼を地面に縫い留めている英次郎の剣を抜いて息子に渡す。ゆっくりと鬼を抱き起し、その手にかすていらを乗せた。

「ワァ……」

「お口にあうと良いのですけれど」

 鬼が、ゆっくりとかすていらとお絹を見比べた後、そっとそれを口に含んだ。

 丁寧に咀嚼する。とろん、と目尻が下がり、刺々しい雰囲気がたちどころに鳴りを潜める。

「オイシイ……オイシイヨ……」

 それはよかった、と、お絹が言う。もう一欠けら、震えている手に乗せてやると、それもぺろりと平らげる。

 鬼がきょときょとするので、喜一がおそるおそる、饅頭を両手に持たせてやる。するとそれも、美味そうに平らげる。

「んマイ……オイシイ……」

「ほほう、こやつの舌は確かなようで」

「オイシイ……オイシイヨ……」

「いつでも、食べにいらっしゃい。うちは、人も異国の人も鬼も、区別は致しませんよ」

「ホント……? オレ、キテイイノ?」

「ええ、もちろんですよ」

 鬼の目から、ぽろりぽろりと涙が落ちた。お絹が、それを手拭いで拭ってやる。

「なぜ、ここにいらしたの?」

「……オレ、サミシカッタ」

 む? と、太一郎が動きを止める。

「本物ノ鬼ハ、オレナノ。阿蘭陀人や亜米利加人タチは人ナノ。鬼ジャナイノ。鬼ハオレナノ!」

 必死の訴えである。が、何が主訴なのか今ひとつわからず、太一郎と英次郎は顔を見合わせる。

「ミンナ、本当ノ鬼ヲ知ラナイ。オレノ姿形ヲ、ミンナガ忘レテルカラ鬼ト異人ヲ間違エルノ! アンナノ、似テモ似ツカナイノニ酷イノ! 鬼ハオレナノ!!!」

 ようやく鬼の言わんとするところを理解した英次郎と太一郎の目が丸くなった。これは思わぬ鬼の訴えである。

「親分……それがしは今まで、阿蘭陀人らを鬼と間違えるのは阿蘭陀人に失礼だと思っておったが……」

「うむ、鬼にとっても気の毒な話であったのだな……」

 かといって、鬼と仲良くしようという気はなかなか起こらないのだが……どうにかしてやらねば、と、英次郎は考えた。

「そうだ親分、衣笠組馴染みの讀賣がおったな?」

「ああ、おるな」

「『江戸の町に本物の鬼が出た』と売り込んでくれぬか? さすれば鬼の慰めにならぬかな?」

 太一郎が、小さく笑った。

 この男なら、何か妙案を捻り出すだろうと思っていたのだ。なにせ、母親は、鬼の涙を拭って頭を撫でている人物だ。

「承知した。異人との違いをくわしく書いてもらうように取り計らおう」

 よろしく頼む、と、律儀に英次郎が頭を下げた。


 数日後。

 鬼は己のことが記事になった讀賣を握りしめて佐々木家を訪れていた。

 日本橋では鬼出没の騒ぎも相まって飛ぶように売れているという。

「オ絹サマ! 絵入リナノ! オレニソックリナノ!」

 もちろん、英次郎と太一郎が事細かに説明した結果である。

 良かったですね、とお絹が笑う。もちろんその手には「お絹かすていら」。

 鬼は讀賣に載ったことがよほどうれしかったのか、驚異の跳躍力を発揮して大きく飛び跳ねる。英次郎が慌てて鬼に駆け寄る。

「しーっ。隣の屋敷から覗かれたらなんとする」

「エイジロ、アリガトウ」

「さあ、鬼さん、召し上がれ」

「太一郎という名の甘味の鬼に見つかったら大変だからな」

 いただきます、と、行儀よく手を合わせる赤鬼を、お絹が嬉しそうに眺める。

「お絹さま、英次郎! ごめんくだされ!」

 ドタドタと賑やかな足音がして親分が顔を出した。

「あっ、鬼!」

「タイチロ!」

 睨み合う二人の手に、英次郎が笑いながら甘味を載せる。

「仲良くな!」


【了】

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異国もあやかしもなんでもござれー本所深川事件帖ー 鋼雅 暁 @a_kouga

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