第51話 甘味の鬼7
それから数日が経過した。
朝から、佐々木家の縁側に甘い匂いが漂っている。お絹と喜一、ふたりがせっせと甘味を作り、佐々木家の庭に並べているのである。
ちなみに、喜一が饅頭や餅など和菓子を受け持ち、お絹が南蛮菓子である。
「団子に大福に餅のたぐい……飴はさすがに細工はしておらぬな」
太一郎が、細長く切った紙に菓子の名を書きつけては皿の下に敷いて行く。あらゆる種類の甘味を順番に作れば、甘味を狙う鬼なら必ず来るであろう、ならば呼び寄せて甘味を食ろうたところを捕えようという、至極単純な試みだ。
しかし庭と言っても、実際は畑である。
種まきを終えたばかりの柔らかい畑を、よく肥えた鶏たちが元気よく歩いている。今日も太一郎お手製の餌を貰ってご機嫌なのである。
ちなみに昨今の御家人屋敷や大名屋敷の敷地内、庭が畑と化しているのは少しも珍しくないが、鶏たちが我が物顔で闊歩する屋敷は、お江戸広しといえども佐々木家くらいであろう。
その畑の真ん中に、腰の高さほどもある丸い卓が二つ置かれた。クルチウスに借りた、異国の調度品だ。
しかも、クルチウス商館長の部下、通詞でもあり書記であるフリシウスがこれを運んできたため、英次郎の母・お絹が大喜びした。にこにこと愛想の良いフリシウスは、ごく短い間に異国の菓子や食事についてお絹に伝え、お絹はそのお礼に「お絹かすていら」と「ぼうろ」を渡した。
当然、フリシウスは大喜びで長崎屋へと戻っていった。長崎屋にも、お絹の南蛮菓子が好きな人は多くいるのである。
「母上とフリシウス殿のように、我が国と異国と分け隔てなく仲良く出来たらよいな。どちらにも、良いところ、見習うべきところはあろうから」
と、英次郎が太一郎に言った。
「幕閣のお偉方や、攘夷一辺倒の浪人どもに聞かせてやりたい言葉じゃな……」
とは、各人の思惑に振り回されて疲れ気味の太一郎の嘆きである。
そして、午の刻が過ぎたころには、庭に置かれたテーブルの上にはさまざまな種類の甘味が所狭しと並んだ。
テーブルの傍に陣取り、丸い鼻をひくつかせているのは言うまでもなく太一郎で、襷をかけて甘味を運んでくるのは英次郎。
台所でせっせと甘味を作っているのはお絹と喜一だ。喜一は、菓子作りの師と仰ぐお絹と並んで作業ができ、感激しきりである。だが、親分の肥過ぎと食欲を心配するのも忘れない。
「親分、塩饅頭の試食は五個までと喜一さんが申しておるぞ!」
「わ、わかっておる」
ひい、ふう、み……と英次郎が皿の上の饅頭を数える。
「おかしい。数が足らぬぞ。親分が七食べたとすれば計算があう」
「き、気のせいじゃ! わしは七つも喰っておらぬ」
「む? いいや、喰った」
「喰ってはおらぬ!」
「口元に餡がついているがそれはさっき見た時はなかったぞ」
「これは一個目に食ったときについたものやもしれぬし、五個目の餡かもしれぬ。わしが饅頭を食った証ではあるが、七個目の証にはならぬ」
「た、たしかに……」
喰った喰わぬと言い争いをしているところへ、ふわりと甘い香りが漂ってきた。
「なんですか、疾うに元服を終えた殿方が幼子のような言い争いをして、笑われますよ」
ころころと笑いながら庭に下りてきたのは、お絹だ。その手には尋常ではない大きさの皿と、小ぶりな鉢がある。
「お絹さま! 転んでは危ないゆえ、力仕事はそれがしをお使いくだされ……」
太一郎が巨軀に似合わぬ俊敏さでお絹の傍へすっとんでいく。
「まあ親分、有難く。それではこのお皿を置いてくださいな」
恭しく大皿を受け取った太一郎が、そろり、そろりと、大皿をテーブルの真ん中に置いた。
「くはぁ……出来立てほやほやじゃ……。お絹かすていら……たまらぬ……」
「親分、よだれを拭け。みっともない……」
「かたじけない」
小鉢の中には、南蛮菓子のぼうろが入っている。平たく丸いそれを、お絹が親分の手に乗せる。
「親分、これを食べて鬼が来るのを待ちましょう」
「母上、それはさきほど、親分が母上と一緒に棒で伸ばした生地が焼けたのですか」
「ええ、そうですよ。自分で作ったお菓子というものも、存外美味しいものなのです」
幼子のように口に含んだ太一郎の頬が、蕩けた。
「うまい……うまいぞ!」
それは何より、と、微笑んだお絹が縁側に腰掛けた。傍に積んである内職の傘張りを再開するのだろう。
「親分、この落雁も美味いぞ」
「そうであろう? 喜一は菓子作りの名人じゃ」
なんのかんなと言いながら、二人してテーブルに並んだ菓子をつまみ食いする。英次郎が苦笑しながら差し出す懐紙で口元を拭った親分だが、すぐに叫んだ。
「あっ、お絹さま、危ない! その場に伏せて下され!」
ご機嫌だった鶏たちがバサバサと慌て、親分がお絹の元へ走る。英次郎はそちらを見ることもなく、腰を落として空の一点をじっと見詰めている。
太一郎がお絹を巨体で護ったのと同時に空から落ちてきた赤い塊。
英次郎はそれを迎え撃ち、瞬時に地面に縫い留めた。
どうやったのかなど、英次郎本人以外にわかろうはずがない。
鬼は、黄色に黒い横線が入った半袴を地面に縫い留められ、暴れていた。
「ええい、静かにいたせ! 親分、母上! 捕えました。うわ、本当に鬼だ!」
「お手柄じゃ、英次郎!」
嬉々とした太一郎が、小躍りで近寄ってくる。
「親分、こやつは化け物ゆえ」
慎重に、と英次郎が言い終らないうちに太一郎は、拳を握りしめて鬼の頭に拳骨を落としていた。
それはそれは見事な拳骨で、おもわず英次郎が首を竦めたほどだ。
「こらっ! そなたの足、見覚えがある。人の甘味を奪うとは許し難き所業! 何故そのような真似をした! そなたは何者ぞっ! 甘味はどうした! 返せ!」
ぎょろり、と目玉を動かした鬼は、あろうことか、あっかんべー、と舌を出した。
「かっ、可愛くない!」
と太一郎が目を剥く。
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