第50話 甘味の鬼6
「英次郎、そなたはどんな鬼を見た? わしが見たのは、赤き足と一本歯の下駄じゃ」
と太一郎が言えば、
「うむ。赤くて、毛むくじゃらであったぞ。鼻は阿蘭陀の御仁たちよりもまだ高く、何よりも角が二本生えていた。衣服は洋服ではなくて、妙な柄の膝丈の短袴で素足に一本歯の下駄。得物はなかったが、跳びはねる力も腕力も桁外れ。それがしが咄嗟に掲げた鞘に罅が入ったゆえ、あれは文字通りの化け物。挙句、胸に蹴りを喰らい、見舞いの品を奪われたのが口惜しい」
と、淀みなく答えた英次郎は悔しげに唇を噛んだ。その肩をぽんぽんと叩いて太一郎は慰めてやる。
「そなたに怪我がなくてなによりじゃ。案ずるな、そなたならば、次に逢った時に遅れは取らぬ」
「親分……」
実際、一度目はあっさり意識を刈られた英次郎だが、二度目はそれなりに応戦したらしい。さすがの腕前と度胸である。
「ところで英次郎、見舞いの品とは何じゃ?」
「いや、近頃評判の、ちくう糖と、細工の見事な有平糖を少し」
有平糖というのは南蛮渡来の菓子の一種である。なるほどクルチウスたちの口にも合うだろうと思われた。
「それに有平細工は目で見て楽しめるのがよいな」
「親分の好みかな?」
「うむ。有平糖もちくう糖も、どちらも好物じゃ」
有平糖は、砂糖と少量の水飴を鍋で煮詰め、沸騰したのちに火からおろして濾す。適度に冷めた砂糖を白くなるまで練ったり引き伸ばしたりして作るのだが、このところ、様々な細工を施した『有平細工』なるものも登場してきている。
ちくう糖は、その有平糖に黒ゴマを練り込んだものであり、これも最近評判になっている。なるほど太一郎が好みそうなものである。
「腹を壊していると聞いているゆえ、胃の腑に負担がかかる餅や煎餅よりゆっくりとける飴が良いかと思い、うまい具合に店の前を通ったゆえ、少し購ったのだ」
なるほどなぁ、と、太一郎が頷いた。さすが菓子作り名人お絹の子である。
が、ぎらり、と太一郎の目が光った。
「わしも、鬼に襲われた後に懐にしまっていた甘味がない事に気付いてな。落としたのかと思うたが……そうか、あの鬼が盗んだか。鬼は甘味泥棒であったのか!」
鬼と雖も許すまじ、その決意がひしひしと伝わってくる。巨体から闘気に近いものが立ち上り、思わず英次郎は眼を瞬いた。
「だがな、親分。鬼の奴、欄干の上で包みを開いて、チガウ、とかなんとか申したぞ。何か、探しているのではないか?」
「はて? 江戸の甘味をどうするつもりかな?」
「いや親分、江戸の甘味が狙われたと決まったわけでは……」
「いや、我ら二人ともに、甘味を奪われたのだ。甘味泥棒と思って問題あるまい」
普段の親分ならもっと慎重に考えるだろうが――甘味泥棒許し難しの一念である。
甘味とはかくも親分の思考を乱すのか、と、英次郎は妙な感心の仕方をした。
少し考えていた英次郎が、にやりと笑った。
「親分、ちと耳を……」
「ふむ?」
英次郎が、太一郎の腕を引っ張って何事かを耳打ちした。最初は眉根を寄せていた親分だが、次第に瞳が輝きだす。
「面白いぞ、英次郎。その話、のった!」
御家人の次男坊と、縦にも横にも大きいやくざの親分が二人で楽しそうに笑う。
「タイチロさんとエイジロさん、イツモ、仲良シ。ヨク、話シスルネ」
クルチウスが覚えたての日本語でそう言った。太一郎が、うむ、と頷く。
「友であるからな。きちんと話し合って互いの考えを知っておかねばならん」
「友、ダカラ? 話す?」
「うむ。納得行くまで、互いを尊重して話し合う、それが大切じゃ」
さすがに難しかったのだろう阿蘭陀人たちがきょとんとした。いつの間にか葡萄酒の樽を抱え、赤ら顔になってその場に横になっている蘭方医了蘭が蘭語で三人に説明する。了蘭の空になったワイングラスに弟子が水を注ぐ。
「師匠、焼酎にございますよ」
「うむ、よかろう」
疑うこともなくグイーッと飲み干し、その場にばたっと倒れた。直後、大鼾が響く。
「やれやれ……目が覚めたら遣いをください。迎えにきますので」
迎え? と、英次郎が首を傾げる。弟子が苦笑しながら、「目を離すと、すぐ吉原に行くか賭場に行くか酔って喧嘩をするか、なので目を離せぬのです」と言う。
「親分……あの蘭方医、大丈夫なのか?」
「蘭方医の腕と語学は間違いのない御仁じゃ」
つい癖で懐に手を突っ込んだ親分は、たちまち悲しい顔になった。いつもならそこに、饅頭や飴、かすていらなどがあるのだ。
「ええい、英次郎、甘味の鬼を退治するぞ」
「合点承知の助」
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