第3話 太陽の主

 とある旅人が人生の意味を追い求めて、あてどない旅をしていると、乾いた平原に差し掛かった。平原には強い日差しが降り注ぎ、草や木々の緑すら奪っている。

 旅人が平原に入ってから、はや三日。水筒の水もつき、もはやこれまでと旅人が覚悟したそのとき、遠くに湖が見えた。幻覚でないことを祈りつつ、旅人が歩いていくと、そこには確かに湖があった。その湖は満々と澄んだ水をたたえていた。

 湖に近づいた旅人は、湖のほとりに生えた木の下に、横たわる人影があるのを気が付いた。すわ死体かと旅人は思ったが、近づいてみると、生きた女であることがわかった。

 横たわる女は右手で頭を支えて、穏やかな顔で目を閉じていた。肌はよく日焼けしていて、髪色は黒、目鼻立ちはくっきりとして、どこか浮世離れしている。服は褪せた黄色の麻の衣で、腰には赤い帯が締められていた。なめらかな褐色の足にはなにも履いていなかった。

 こんなところに人がいるとは思っていなかった旅人は、女に恐る恐る近づいた。


「この湖はあなたのものですか」

 旅人は尋ねた。女は片目だけを開けて、旅人をちらりと見た。

「いや、わたしのものではない」

 女は答えた。

 旅人は湖の水をたっぷり飲んだ。生き返った心地だった。水筒にも水を詰めた旅人は、また女に近づいた。

「この木陰はあなたのものですか」

 また旅人は女に尋ねた。

「いや、わたしのものではない」

 女は答えた。

 旅人は荷物を木陰に下し、女の隣に腰を下ろした。旅人が疲れを癒していると、木に赤い果実がなっているのに気が付いた。

「あの果実はあなたのものですか」

 また旅人は女に尋ねた。

「いや、わたしのものではない」

 女は答えた。

 旅人は果実をひとつもぎ、噛り付いた。果実は旅人が今まで食べた果実の中で一番甘く、みずみずしかった。

「ありがとう。あなたのおかげで生き返りました。あなたはなんて無欲なお人なのだろう。あなたはなにひとつ自分のものにしようとはしない」

 旅人は感心して言った。

「いや、わたしのものがひとつだけある」

 女は両目を開けて言った。

「それはなんです」

「あれだ」

 女は太陽を左手で指差して言った。

「冗談も上手いとは。あなたは本当に大した人だ」

 旅人は大声で笑った。

「冗談ではない」

 女は太陽を左手で掴むような仕草をした。すると、辺りは急に夜になった。燦々と輝いていた太陽が消えてしまったのだ。旅人は腰を抜かすほど驚いた。

「私は昼の魔女。太陽を創りしもの」

 女は旅人に左手を開いて見せた。旅人は女の手のひらの上に小さな太陽が輝いているのを見た。そして、目の前に居るのが最古の魔女の一人、本物の『昼の魔女』であることを悟った。

「疑って申し訳ありませんでした。どうか太陽をお戻しください」

 旅人は頭を深々と下げた。昼の魔女は頷いて、太陽を空に戻した。太陽は元通りに燦々と輝き、辺りは昼に戻った。


 旅人は探し求めていた人生の意味を見つけた。

 昼の魔女の偉業を永遠に讃えねばならぬ。そう思った旅人は、まず昼の魔女が雨風をしのげるように、日干し煉瓦で祠をつくった。昼の魔女はその祠をたいそう気に入り、その中で寝るようになった。

 旅人は赤い果実を供物として一日に三回、昼の魔女に捧げた。昼の魔女は自分で果実を取らなくても良くなったので、喜んだ。

 いつでも、昼の魔女に尽くせるように、旅人は昼の魔女の祠に家をつくり、そこに住むようになった。旅人は従者となった。


 ある日、隊商の一団が乾いた平原の湖に差し掛かった。すると、湖の近くで畑を耕している従者を見かけた。隊商の団長が従者に話しかけた。

「こんなところに人が住んでいるとは知らなかった。いつから住んでいるのか」

「数か月ほど前です」

 汗をぬぐい、従者は答えた。

「なぜここに住もうと思ったのか」

「ここには世界でもっとも偉大な方がいます。その方を崇めるためです」

「その偉大な方とはだれか」

「太陽をつくりし最古の魔女、『昼の魔女』さまです」

 従者は祠を指差していった。団長がそちらを見ると、日干し煉瓦で出来たみすぼらしい小屋の中で、寝ている女がいた。

「あれが『昼の魔女』だと?」

「そうです。私は彼女に人生を捧げると誓いました」

 従者は誇らしげに答えた。団長は他の隊商の面々と顔を見合わせた。昼の魔女からなんの威厳も貫禄も感じられなかったからである。彼らにはただ怠惰な女にしか見えなかったのだ。

「信じていらっしゃらないようですね。私もそうでした。ですが、これを見れば考えも変わるはずです。昼の魔女さま、どうかあなたの力をお見せください」

 従者がそういうと、昼の魔女は半目を開いて頷き、太陽を左手で掴むような仕草をした。すると、辺りは急に夜になった。隊商の全員がどよめいた。

「おわかりになりましたか。この方は間違いなく最古の魔女の一人、昼の魔女さまです」

 従者はいった。隊商の全員が昼の魔女にひれ伏した。


 真の神秘に触れた隊商の面々は、全員が湖に留まることに決めた。彼らは湖の周りに村をつくった。村を治めるものとして、従者が選ばれた。従者は村長になった。


 乾いた平原の湖のほとりにある村に、昼の魔女が居るということはたちまち有名になった。

 はじめの頃は訪れる者も少なかった村には、昼の魔女が太陽を隠すのを見ようとする見物人が列をなし、その見物人を相手取るために露天が立ち並び始めた。

 いちいち、見物人が来るのに合わせて太陽を隠すのは大変なので、昼の魔女が太陽を隠すのは月に一回ということに村長が取り決めた。

 昼の魔女の偉大さに気が付いた見物人の多くは村に残って、村人の一員になった。

 村長は誇らしかった。いまや百人を超える人々が昼の魔女のことを崇めている。もっと信徒を増やさなければ。村長はそう思った。


 村長の不断の努力は実った。昼の魔女の威光もあり、村はみるみるうちに発展していった。

 湖の周りに発展した村はやがて町となり、そして国となった。この国は『太陽帝国』と呼ばれるようになり、村長は『太陽代理皇帝』と呼ばれるようになった。

 皇帝は昼の魔女の為に立派な神殿をつくった。真白い大理石でつくられた白亜の神殿は山のごとき威容で、その頂上には昼の魔女の寝所があった。神官たちが面倒を見てくれるので、昼の魔女は柔らかい巨大なベットの上で一日中寝ることができた。昼の魔女が一番気に入ったのは、寝所から見下ろせる帝都の眺めだった。日が登れば家々の釜戸から煙が立ち昇るのが見えるし、日が沈めば家々の窓からランプの光が漏れているのが見える。昼の魔女は太陽をつくったのは間違いではなかったとしみじみと思った。


 月に一度の『太陽隠し』の儀によって固められた昼の魔女への強固な信仰と、物流の中継点としての確固たる立場が太陽帝国に繁栄をもたらした。

 皇帝はより多くの民が昼の魔女を崇めるようにと手を尽くし、善政をしいた。民は皇帝を慕い、皇帝の崇める昼の魔女を崇めた。昼の魔女を一目見ようと、民は神殿から長い列を成した。その通りは『黄道』と呼ばれ、帝都の目抜き通りになった。


 初代太陽代理皇帝の治世は半世紀続いた。初代皇帝は自らの長女に皇帝の座を譲り渡し、その余生を神官として過ごした。少しでも昼の魔女の近くにいて、尽くせるようにとの思いからだった。彼女たちは、時に一日中語り合い、眼下の街並みを眺めた。二人は親しくなった。

 やがて、皇帝だった神官は老いた。昼の魔女は老いなかった。

 いまわの際、娘たちと昼の魔女が見守るベッドの中で、皇帝だった神官はいった。

「昼の魔女さま、私はあなたに会えて幸せでした。人生の意味を見出せただけでなく、帝国まで築き上げ、五人の娘にも恵まれた。全てあなたのおかげです」

「旅人よ、わたしもお前に会えて楽しかった。お前は私に初めてできた友だった」

 昼の魔女は涙ながらに言った。皇帝だった神官も涙を流した。

「昼の魔女に太陽あれ」

 それが、最後の言葉だった。

 

 初代太陽代理皇帝亡き後、七代に渡って太陽帝国には平和な世が続いた。昼の魔女の後ろ盾が他国の侵攻を抑えていたために、争いにも巻き込まれることがなかったのだ。誰も、太陽を自在に操る事のできる相手と戦いたくないのは明らかだった。


 八代目太陽代理皇帝に愚王が生じた。八代目皇帝は昼の魔女を軽んじていた。最古の魔女として崇められているが、働くのは月に一度の『太陽隠し』の儀だけであり、あとはくっちゃねしているぐうたらではないか。偉そうに。奴さえいなければ、『代理』皇帝などと名乗らなくてもよくなるのに。そう思っていた。

 ある日、皇帝は邪な考えを抱きながら、昼の魔女を訪ねた。

「今年は嵐によって、田畑や家々が壊され、民の多くが困っています。彼らを助ける為に、王室でも節制を行うことにしました。不要なものを売り、そのお金を民の為に役立てるのです。昼の魔女さまにもぜひ協力していただきたい」

 皇帝はいった。嵐によって、民の多くが困っているのは真実だったが、王室は節制などはしていなかった。八代目皇帝が昼の魔女から全てを奪うために考えた嘘だった。

「あれは必要なものですか」

 皇帝は寝所に飾られた黄金のリーフを指差していった。

「いや」

 昼の魔女は首を横に振った。皇帝はニヤリと笑った。皇帝は昼の魔女が無欲なことを知っていた。


 皇帝は連日昼の魔女を訪れ、寝所にある品をひとつずつ持ちだしていった。民が寄進した黄金や宝石から、豪華な家具や調度品、昼の魔女の靴下に至るまで。最後には、ベッドも持ちだされ、昼の魔女は床に寝るようになった。昼の魔女に仕えていた神官たちも、ひとりまたひとりと解任されていった。


 昼の魔女はもはや身に付けている麻の衣と帯以外のものを全て奪われていた。

「この神殿は必要ですか」

 八代目皇帝はいった。昼の魔女はいつもとは違い、少し顔をしかめたが、いつもと同じ返事をした。

「いや」

 昼の魔女はそう答えると、おもむろに立ち上がった。

「この国のためになるなら、私は去ろう」

 昼の魔女はそう言い残し、神殿から歩いて出ていった。彼女は怠惰だったが、鈍ではなかった。もはや、皇帝が自らを必要としていないことはわかっていた。初代皇帝との思い出深いこの神殿を去るのは、彼女にとっても辛いことだったが、初代皇帝が築き上げた国の足を引っ張るつもりはなかった。

 神殿から出ていく昼の魔女を見て、皇帝はたいそう喜んだ。これで、民の信仰は昼の魔女ではなく、皇帝に向くはずだ。そう八代目皇帝は思っていた。だが違った。


 八代目太陽代理皇帝は昼の魔女が去ったことを大々的に発表し、神殿に居を移した。そじて、自らを初代真太陽皇帝と名乗った。彼女は有頂天になっていた。かつて、昼の魔女が一身に受けていた畏怖と尊敬を己が物にできると無邪気にも信じていた。

 昼の魔女が去ったことを知った民は嘆き、悲しんだ。そして、怒りの矛先を皇帝に向けた。各地で暴動と反乱が起こり、大臣たちが王宮を去った。帝都では毎日民が『黄道』に列を成し、僭称皇帝の首を落とせと叫んだ。好期と見た隣国が、大軍を国境付近に集めているとの知らせが入った。皇帝は慄いた。

 皇帝はこの太陽帝国における皇帝の権威がなにからもたらされていたかを痛感した。なぜ、建国の母が太陽『代理』皇帝と名乗ったのか、その意味を知った。

 太陽帝国はまさに昼の魔女のものだったのだ。昼の魔女の畏怖と威光なくして、帝国は成り立たない。


 皇帝は怒り狂った民が神殿に押し寄せてくるのを見た。もはや、臣下も兵士たちも去り、神殿に残されたのは皇帝ただ一人だった。深い後悔と自責の念だけが彼女に残っていた。皇帝は逃げようともしなかった。かつての昼の魔女の寝所に置かれた王座に座り、運命の時を待っていた。


 うなだれた皇帝はなにものかが寝所に入ってきたのを感じた。彼女は視線を上げようとも思わなかった。ただ殺されるだけのはずがない。民は愚王のむごたらしい最後を望むだろう。皇帝は目をぎゅっとつむった。

「思えば」

 なにものかが声を発した。それは聞き覚えのある声だった。皇帝は視線を上げた。

「この神殿はお前のものではないな」

 昼の魔女はそういった。彼女は民を引き連れていたが、彼らは穏やかだった。歓喜の声を上げているものもいた。昼の魔女が帰ってきたことを、みな喜んでいた。

「初代皇帝が私のためにつくったのだから、私のものではないか。どう思う」

 昼の魔女は皇帝に尋ねた。皇帝は昼の魔女にひれ伏した。

「その通りでございます」

 皇帝は深々と頭を下げ、額を床にまでつけた。

「この国が荒れるのを見過ごしては、わが友へ顔向けできん。皇帝よ、またこの国を善く治められるか」

 昼の魔女は皇帝に尋ねた。

「はい。もう昼の魔女さまを軽んじることは致しません。どうか、神殿にお戻りください」

「ならば良し。私もお前の治世を助けよう。手始めに」

 昼の魔女は太陽を左手で掴むような仕草をした。すると、辺りは急に夜になった。

 太陽帝国の民は昼の魔女が戻ってきたことを悟り、隣国は宣戦布告の書簡を焼き捨てた。

「ありがとうございます。昼の魔女さま。私のできることなら何でも致します」

 皇帝はそういった。

「ベッドを」

 昼の魔女はいった。皇帝はその真意を計りかねた。

「この寝所にベッドを。あれだけは必要だ。あれに慣れてしまったから、地面に寝るのが辛かった」

 昼の魔女はいたずらっぽくいった。


 心を入れ替えた八代目太陽代理皇帝は、善政に励んだ。彼女は病死するまで皇帝の座におり、その後半期の治世は初代太陽代理皇帝にも並び称された。


 その後も、太陽帝国は栄え、二十三代目太陽代理皇帝の治世においても、その繁栄に陰りは見られない。昼の魔女はいまでも神殿の寝所でうたたねをしている。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔女世界へようこそ デッドコピーたこはち @mizutako8

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ