轟音と夏の暑さと群衆が生んだ大きなうねりの中に脳が溶けていく感覚。ロックフェスの醍醐味です。主人公は野外フェスに参加して、「ありふれた群れの一部」になりたいと望むのですが、決して馴染めません。しかし、彼との出会いによって、そしてバンドの演奏によって、次第に蕩けていくのです。
その過程だけでも十分に楽しめるのですが、本作には仕掛けがあり、フェスの一場面が回想になっています。現在の主人公の目の前には記憶が溶けてしまった彼がいて、彼の語る二人の出会いは実際とは少し異なっているようで……。だからこそ、過去の思い出がより大切で美しいものになるのですね。現在と過去のシーンをつなげる最後の一文は見事。この小説の心地よい残響をいつまでも聞いていたいです。
(カクヨムWeb小説短編賞2021 “短編小説マイスター”特集/文=カクヨム運営)
〈よくわからないまま頷いたとき、伝った汗が耳の傍を流れた。ああ、脳が溶けたのだなと思ってから、バター味だといいなと思った。〉
語れば語るほど色褪せていく気がするので、私のつたない感想を読んでいる暇があるならば、作品のほうを読みなさい。良いですね? 分かりましたか?
〈ある程度の美化と欠落に飾られた思い出は、冗談のように舌触りがいい。〉
ということで、まず私は困っています。作品のあらすじを書いてみたところで、あまり意味はないような気がします。そこに強烈な魅力を宿す作品ではない、と思うからです。本作はロックフェスティバルに参加した記憶を回想する物語で、出会い、育まれ、欠け落ち、拾い上げていく。
決してめずらしいわけではない、身近にあるかもしれない世界に、新たな視野を加え、言葉の限りを尽くして、どこまでも特別な世界を創り上げ、ありふれたものなどなく、もしあるように見えているとしたら、それは見る側が見ようとしていないだけなのだ、と教えてくれるような……うーむ、どう説明してもいいのか、やっぱりどうもこの作品を語るのは難しい。作品が難しいのではなく、語るのが難しい。
もうこれは本当に、こんなつたない文章を読んでいる暇ではないのだ、未読のあなたは。