痛みを悼む

棗颯介

痛みを悼む

 時計の針が深夜の1時を少しばかり過ぎた頃。

 決められたルーチンワークのように、今日も銀色に鈍く光る刃を自分の手首に押しつける。

 柔らかな肉がケーキを切るかのように裂け、血が滲み出る。


 今日も、この身体は痛みを感じてくれない。


 そのことに安堵し、今夜も自分はベッドに潜り込む。

 いつからか、自分の身体に異変がないことを確認しないと熟睡できないようになってしまった。

 ここで言う”異変”とは、”痛みを感じない”ということではなく、”痛みを感じる”ということだ。


 昔、自分は”痛覚”を失った。

 人間の感覚として代表的な五感———視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚。

 そのどれもは今も至って正常に機能している。

 ただ一点、まるで白いシャツにこびりついた小さな、しかしどうしても目を引いてしまう染みのように、人間が生きていくうえで絶対に必要な、同時に最も忌避されるであろう感覚が自分には備わっていない。


 あの日、生まれて初めて人を殴った。

 とても小さな子供の頃。

 きっかけは本当に些細な、どこにでもある子供の喧嘩だった。

 自分も殴られて、初めて自分の血を見た。

 痛かった。苦しかった。生まれて初めて覚えた言いようのない感覚に全身が悲鳴を上げた。

 痛みで泣き叫ぶ僕に向かって、誰かが言った。


「いたいのいたいの、とんでいけ」


 誰かは泣きじゃくる自分をあやすかのように、優しく自分の頭を撫でながらそう言った。

 不思議と、その当時は言葉で形容し難かった痛みという感覚が遠のいていくことが子供心に理解できた。

 誰かは続ける。


「けんかはダメだよ。だれかをきずつけたら、じぶんもいたくなっちゃうからね」


 誰かを傷つけたら、自分も痛い。

 つまり、誰も傷つけなければこの痛みという感覚をもう覚えることはない。


 以来、自分は他人を遠ざけて生きるようになった。

 もう一生、”痛み”を感じたくなかった。

 どういうわけか、それ以降自分はどれだけ身体を傷つけても”痛み”を感じなくなった。

 ドアの角に足の小指をぶつけようが、窓を閉めるときに手の肉をうっかり挟んでしまおうが、刃物で自分の身体を切り刻もうが。

 そのことは喜ばしかったが、同時に恐怖でもあった。

 いつか、この痛みを感じない夢のような時間が終わりを迎えてしまうのではないか。

 いつか、また”痛み”という感覚が自分に襲い掛かる日が来るのではないか。


 そう思えば思うほど、自分は部屋から出ることすらできなくなった。


 他人が怖かった。

 他人に傷つけられることも、他人を傷つけることも。

 ”痛み”が怖かった。


 朝、目を覚ますとまずやることは目覚まし代わりに自分の頭を壁に叩き付けること。

 壁の固い感触はしっかり伝わるが、頭蓋骨に伝わるべき重い痛みは感じない。よかった。だから、眠気は結局洗面所の冷たい水で覚ますしかない。

 母が用意してくれた朝食。今朝のメニューはどこの家庭でも一般的に出されるような、白米・味噌汁・漬物・卵焼き・納豆。

 キッチンで忙しなく働いている母を横目に、熱い味噌汁にゆっくりと指を入れる。普通の人なら思わず手を引っ込めてしまうような温度なのだろうが、やはり痛みは感じない。よかった。今日も母の朝食を美味しくいただいた。

 自室に戻り、パソコンを起動する。

 家に引きこもっている自分には、趣味らしい趣味はあまりない。世の中に興味があるわけではないが”他人”というものに対する嫌悪感だけは人一倍あった自分に向いているのは、他人のゴシップや不祥事、世間一般で非道徳的と言われる行いに対して批判の言葉をひっそりと投稿することだけだ。

 一日、”他人”を避けるように、”他人”を排除するかのように、”他人”を駆逐するかのように、言葉をひたすらに書き連ねているうちに優しい夜を迎える。

 眠る前に引き出しから血の色が染みついたナイフを取り出す。

 今夜も”痛み”が自分に訪れなかったことを確認し、明日もそうであることを願って眠る。


 そんなことを、ずっとずっと続けていた。


 今までも、今も、これからも、ずっとずっと自分は痛みを感じずに生きていく。

 これこそが正しい人間の生き方だと信じて疑わなかった。


 新しい朝。

 今日も、”痛み”が訪れないことを確認してリビングに向かう。

 いつも通りの母の用意した温かな朝食が自分を迎える、はずだった。

 今日は違った。

 いつもはそこにあるはずの朝食はなく、代わりにあったのは、母の涙。


 ———どうしたの?


 いつも通りの声でそう尋ねる。


「っ、分からないの……」


 ———え?


「あなたのことが、わからないの……」


 ———何を言っているの?


「自分の子供なのに…っ、家族なのに……、どうしてあげたらいいのか、分からないの!」


 母は、いつまでも泣き続けた。

 その涙を拭うことがどうしてもできなかった。

 母であっても、家族であっても、”他人”だから。

 ”他人”に関われば、”痛い”。

 このまま、知らないふりをしていれば自分は傷つかないで済む。

 それなのに。

 そうした方がいいのに。

 それが正しいと信じているのに。


 どうしてこんなにも、心を締めつけられるのだろう。


 昔、同じようなことがあった気がする。

 自分は悪くないと信じているのに、自分が正しいのに、だけどきっと自分のせいで、誰かを困らせたこと。誰かを泣かせたこと。誰かを傷つけたこと。

 ”誰か”が嫌いだ。

 ”他人”が嫌いだ。

 自分を傷つけるから。


 ———嫌いだ。

 ———嫌いだ。

 ———嫌いだ。


 なのに。


 気付けば、母を自分の胸に抱き寄せていた。

 それでもなお、母は嗚咽を漏らし、泣き続けた。

 自分はただ、そこで静かに母に寄り添うことしかできなかった。

 涙も出なかった。

 流す理由なんてないから。

 だけど、傷ついた母にかける言葉が、一つだけあった。


「いたいのいたいの、とんでいけ」


 その日以来、自分の身体が”痛み”を忘れることはなくなった。

 どうして失くしたはずの”痛み”が戻ってきてしまったのか、その意味を知るにはもう少し時間がかかりそうだ。

 今はただ、去ってしまった、戻ってきてしまった”痛み”を悼むことしかできない。

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痛みを悼む 棗颯介 @rainaon

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