第5話 紅色の魔法時間
紅い色は、
打ち上げ花火に、それぞれテーマが設けられているのだと知った九王沢さんのテンションは最高潮だ。
色とりどりに辺りのビル群を染める花火は、空気を揺るがす轟音を立て続ける。その音が盛大に上がるたび九王沢さんは、どよめく観衆と一緒に声を上げて僕の浴衣の袖を引っ張った。
僕はそれを見て、何だかほっとしたような気がした。九王沢さんと話していると時々、地から足が離れて、どこか別の世界へ連れ去られたみたいな気分になる。
それはそれで悪くない気分なのだが、日常に引き戻されて思わずはっとしてしまう。僕の隣にいるのは、そんな風にして知れば知るほど不思議な女の子なのだ。
ふと、九王沢さんが意味ありげに瞳をきらめかせて僕を見た。何かを思いついたのだ。形のいい唇をすぼめて、彼女は歌を口ずさむようにこう囁いた。
Rose is a rose is a rose is a rose…
「『バラはバラでありバラでありバラである』。二十世紀を代表する前衛作家、ガートルード・スタインの言葉です」
又は二十世紀を代表する美術評論家と言ってもいい。
二十世紀初頭、美術をはじめとするあらゆる文化の忠心だった最盛期のパリをリードした女性、それがガートルード・スタインだ。
彼女が開くサロンには当時最先端の表現者が集まり、まさにエコール・ド・パリと言う言葉を象徴する人物だった、と、九王沢さんは言う。
「スタインは若き日のパブロ・ピカソを発掘し、修業時代のヘミングウェイに影響を与えました。彼女自身も美術評論や収集の他、小説や詩も手がけました。『バラはバラでありバラでありバラである』、この一節は『聖なるエミリー』の中のフレーズと言われていますが、どのような意味かご存知ですか?」
僕は、首を振った。恐らく何らかの底意を秘めた言葉だとは思うが。
「一般的には、薔薇がそうであるように『物事は、本来、それ以上でもそれ以下でもない』ものだ。そのように解釈するのが適当かも知れません。さっきの『感動』の話につなげるとするならば、例えば『美しい』ものは、人が『美しい』と言う意味を与えて初めて、『美しい』。それは『バラがバラであることとは、何の関係もない』」
僕は疑問なく頷いた。何となくだが、言いたいことは分かる。
例えば今打ち上がっている花火だって綺麗なものだが、それは観衆が『綺麗だ』と言う価値を与えなければ、『綺麗なもの』になり得ないと言うことだろう。
見方がうがちすぎた概念のように思えるが、まあ、納得できない話じゃない。
「今、わたしたちは『綺麗だ』と言う概念を共有しています。だから花火は『綺麗』なのでしょう。確かに理屈は通っています」
しかし、と九王沢さんはなぜかあえなくかぶりを振るのだ。
「さっきの言葉に戻ります。しかしスタインは、このフレーズの意図を言及していません。彼女はただ、この言葉の響きが『楽しい』から、詩にしたのだ、と述べています」
スタイン自身の著『アリス・B・トクラスの自伝』において、このフレーズを延々と繰り返し、彼女のシンボルのように扱うといいと言ったのは、スタインの秘書であり終生の世話係だったアリスだったのだ、と言う。
「この言葉に、本来定義はないのです。つまり、どのように読む人がイメージを持っても自由なのだ、とスタインは表現したかったとわたしは解釈します。同時に、それは『人を感動させるもの』と言うことの本質を衝いていると、わたしは思うんです」
「本質?」
また花火の音が、轟いた。あの薔薇の花の色だ。また、九王沢さんの顔に紅色の照明が当てられたようになった。
「ちょっと思い出して下さい。わたしたちはこの言葉をもう一つの意味で、イメージすることが出来ると思います。那智さんはその風景を、わたしと、イングランドで見たことを憶えていますか?」
「薔薇を?」
言われて、僕はようやく思い出した。そう言えば九王沢さんの伯母さんが経営するコーンウォールの大農場で一面の
Rose is a rose is a rose is a rose…
そのフレーズは、薔薇園を管理しているお婆さんが言っていたのだ。
「お嬢様に教わったのよ。誰のかは忘れたけど、いい詩よ」
体格のいい、白髪の綺麗なイングランド人の女性だったが、彼女は九王沢さんに教わったスタインの詩がお気に入りで、ずっと口ずさんでいたのだ。
目の前の光景に僕も一瞬、目を奪われた。なんとそこには麗らかな初夏の陽に蒸れて、海のようにして咲き誇る見頃の薔薇の花々が群れていたのだ。
ただ、息を呑むしかなかった。
そこにあるのは、それ以外に何も考えられなくなるほどの薔薇であり、薔薇であり、薔薇であり、薔薇であった。
「こう言うしかないでしょ?」
肥った老婆は朗らかに微笑むと、ちょっと肩をすくめた。
「今のあなたみたいにただここに立って、見上げれば誰にでも分かるのよ」
「美しいは、美しい。綺麗は綺麗」
九王沢さんは僕の横で歌うように言った。
「感動するものは、感動する。それで、いいんです」
ぴったりと、九王沢さんは僕に身体を寄せてきた。
その途端、僕たちに目を見張るような紅色の光が降り注いだ。すぐ傍の夜空一面に、大輪の薔薇が咲いていた。思わず、次ぐ言葉を喪った。
「八月を日本の古語では、
そんな僕を後目に九王沢さんは、目を輝かせて言うのだ。紅い光に染まった夜空はまさに、その言葉に相応しかった。
「魔法の時間です。今はちょうど、『紅染月の
降り注ぐ光の中で九王沢さんは、その天の使いのように微笑むのだ。
「わたし、今、感動しています。那智さんとこうやっていられて幸せです。また来年もこうやって花火に連れてきてくださいね?」
(そうか)
ありのまま、感動したことを書けばいいのだ。人を感動させることなど、本質的には出来ない。自分の感動を、伝えることが出来なければ。吹っ切れた。これだ。
それから僕は足早にアパートに戻ると、一気に思いの丈を書き上げた。タイトルはそのまま、『紅染月のマジックアワー』だ。九王沢さん、驚くぞ。これぞ、感動する小説だ。
「ボツ…ですね」
轟沈だった。徹夜で書いたのに、起き抜けの九王沢さんに一刀両断された。
「何を表現したいのかは、分かりますよ。でもたぶん、那智さんのこと、よく知らない人だと、なんのことだか、判らないと思います」
感動ってムズカシイ。やっぱ、なんのこっちゃだ。
(魔法の時間、か)
九王沢さんがあの晩、言っていたフレーズがその途端、頭に引っかかってきた。あれはまさに魔法の時間だったのだ。
それはほかの人にはありふれていたとしても、そのときその場所にしか現れない、再現不可能な魔法の時間。そんな魔法の時間を人と共有するのは難しい。
あの晩、それを九王沢さんとだけでも共有できたことが、まず奇蹟なのだ。
「先輩、それで原稿は?」
「あっ」
秋号には九王沢さんの文句のつけようのないエコール・ド・パリの美術と文学の論文が載った。インターネットで話題になったお蔭で学術畑に好評になり、他大学からも教授が買いに来た。
ちなみに。おまけに掲載された、原稿を落とした僕の全身全霊の謝罪文と依田ちゃんの講評会での容赦ないダメ出しとバッシングが、文芸部員全員の涙を誘ったことは言うまでもない。
この秋、全文芸部員が泣いた。
紅染月のマジックアワー 橋本ちかげ @Chikage-Hashimoto
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