夕涼み

 その日、猫ノ目道永は縁側で涼をとっていた。要に渡された羽織を横に置き、吹き抜ける風を感じるために全身の力を抜く。風の流れがない部屋の中より縁側の方が多少涼しい。

 照りつける熱気が収まったことから太陽が沈み始めたのだと察した。視覚を失った代わりに他の五感が鋭くなった。視力を失ってもなんとか生活できているのは他の五感が手助けしてくれているのも大きいだろう。


 暑さにより汗ばんだ体が冷えていくのを感じる。あまりに長く縁側に座っていると要に怒られそうだと思ったが、風が火照った体を冷やしていく感覚が気持ちよく、もう少しここにいたいと思ってしまう。


 太陽が沈んでいく光景を見ることはできなくても、少しずつ下がっていく温度は感じることができる。今、太陽はどの程度まで沈んだのだろうと想像するのも楽しかった。答え合わせはここを通りかかった人に聞けばいいと道永は鼻歌交じりに夕暮れの空気を楽しむ。


 ゆったりとした空気に身を預けていると遠くから声が聞こえた。自分の名を呼んでいる声だ。よく聞き取れないため声のする方へ耳を傾ける。

 要の声に聞こえた。しかし要のはずがない。要は道永の目が見えなくなったことを誰よりも悔やんでいるので、見えない道永に対して遠くから呼びかけるようなことはしない。こちらが驚かないようにわざと大きな足音を立てて近づいてきて話すはずである。


 ではこの要そっくりに聞こえる声はなんだろう。悪霊の類か、ケガレの類か。前者であれば祓って終わりだが、後者であれば調査して報告しなければいけない。特定の人に擬態するような知能をつけたケガレは危険だ。今回祓えたとしても今後発生しないように原因を探らなければいけない。


 そんなことを考えている間に声はどんどん近づいてきた。声はするが足音は聞こえないし、人の気配もない。生身の人間ではないだろう。

 先程よりもハッキリと声が聞き取れる。やはりそれは要の声に聞こえたが、要であるはずがなかった。


「道永、お前のせいだ」


 要の声でソレはそう言った。どこからどう聞いても要の声である。ここまでそっくりに擬態できるのだなと感心するほどに。


「お前なんかのせいで俺の片目は潰れた。お前のせいだ」


 声が近づいてくる。要そっくりの声だが道永が聞いたことのない声音だった。人を恨むとき要はこのような声を出すのかと道永は驚いた。これは謎の存在にする妄想なのか、実際に怒った要はこういう声を出すのか、興味はあったが確かめる方法は思いつかない。


「器じゃないくせに、お前が猫狩なんかになるから」


 背後から声が聞こえた。だが気配はない。振り返ったところで目の見えない道永に声の主は見えないだろう。さて、どうしたものかと道永が考えていると今度は耳元で声が聞こえた。


「お前なんかの守人にならなきゃよかった」


 その言葉を聞いた瞬間、道永の体は動いていた。心配性な要が肌身離さず持っていろといったお守りを懐から取り出し、声がした方へと突きつける。ジュッという何かが溶けるような音がしてギャアという聞くに堪えない悲鳴があがった。その声は先ほどまでの声とは似ても似つかず、よく真似たものだなと思いながら道永はお守りを声のする方へ執拗に押しつける。


「道永! 大丈夫か!」

 廊下の向こうから聞き慣れた足音と共に本物の要の声が近づいてきた。改めて本物を聞くと偽物とはまるで違う。声は一緒かもしれないが道永に対する感情がまるで違うのだ。


「なんか、よく分からないモノに絡まれたからお守り押しつけてみた」

 

 そういいながら道永はひらひらとお守りを振った。先ほど悲鳴をあげた謎のモノの気配は消えている。要が慌てて近づいてくる足音がして、両頬を暖かなもので包まれる。顔色を見ようと要が両手で頬に触れたのだろう。

 問題がないと確認したらしい要が安堵の息を吐くのが気配で分かった。


「お前なあ……変なモノに絡まれたと分かった時点で呼べよ。お守りで対処できないものだったらどうするつもりだったんだ」

「そこら辺の見極めは出来るよ。対処出来そうなものだったから様子を見ていたんだ。ケガレか悪霊か分からなかったし、ケガレだったら情報が欲しいだろ」

「それなら何で退治したんだ。生け捕りにした方が調査が楽だろ」


 要のいうことは最もである。あの距離なら目の見えない道永でも結界で閉じ込めることが出来た。最初はそれを狙って近づいてくるのを待っていたのだが、気が変わってしまったのだ。


「不快だったから、思わず」

「生悟か、お前」


 実力はあるのに気分で破天荒なことをする後輩の名を口にして要はため息をついた。目が見えなくても呆れた表情も腰に手を当ててため息をつく姿も容易に想像出来る。幼い頃から一緒に育った親友であり戦友なのだ。目が見えなくなったくらいで間違えるはずがない。


 だからこそ不快だったのだ。要の声真似をして、要だったら絶対に言わないことを口にした存在が。


「親しいものの声を真似て、相手に言われたくない言葉を口にするモノだったみたい。似たような奴が発生していないか確認しないとね」

「それはまた厄介な……お前、よく偽物だって分かったな」

「前より耳がよくなってるからね、間違えるはずがない」


 前よりという言葉に要が一瞬固まったのが気配で分かった。すぐさま平静を取り繕う様子を気配で感じながら、君がそんなに気にすることじゃないのにと道永は思う。思っても口に出さないのはすでに何度も声に出して、それでも要の気持ちが晴れなかったと知っているからだ。


「誰の声だったんだ」


 平静を取り戻した要が仕事として聞いてくる。ならば道永も仕事として正直に答えるべきなのだろうが言いたくなかった。


「内緒」

「おい」

「報告書はまとめて提出しておくから」


 しばしの沈黙。痛いほどに視線が突き刺さるがそれはため息に変わった。一度決めたら曲げない道永の性格を要はよく理解している。


「もうそろそろ部屋に入れ。いくら夏とはいえ外にずっといたら冷えるだろう」

「過保護だなあ」


 そう言いながら道永は要の手を取って立ち上がった。隣に置かれた羽織は要が回収するのだろう。

 繋いだ手からぬくもりが伝わってくる。目が見えなくなる前、まだお互いに幼かった頃から、要はよく手を繋いで前を歩いてくれた。道永が不安になるたびに「俺がいるから大丈夫」と歯を見せて笑ってくれたのだ。


 だから、守人なんかにならなきゃ良かったといったアレは要ではない。自分の弱い心だ。自分なんかの守人にならなければ要は片目を失うこともなく、失明した道永の介護もしなくてすんだと、己を責め続ける自分の声だ。


 報告書は絶対に見られないようにしなければと道永は考える。

 優しい相棒は言ったのが偽物だと分かっていても、己の声で道永を傷つけたと悲しんでしまうだろうから。弱い心は自分の中にそっとしまっておこうと思った。

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ビーストリー<番外編> 黒月水羽 @kurotuki012

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