第3話
──はっとなって、ベッドから飛び起きる。下着姿で寝ていたのに、寝汗でぐっしょりと濡れていた。
枕元に置いていたミネラルウォータのボトルを手に取り、零れるのも構わず喉に流し込む。それでも喉が乾く。どれだけ飲んでも、渇きは癒えなかった。
またあの悪夢を見た。いや、悪夢だったらどれだけよかったか。あれは現実に起こったこと。紛れもなく、本当にあったこと。
この世にツカサはもういない。その事実を何度も何度も、この夢によって突きつけられる。
あの戦いからもう三週間になる。私の身体はもう癒えているし、新型機動兵装も配備されている。
それでも、どうしても。私は機兵に乗れなかった。乗ろうとすると戻してしまうのだ。胃の中のものを、全部。
だから私は、任務を解除されてずっとここに引きこもっている。第二方面小隊の駐屯地、その一角の小さな自室に。この狭い空間は、自己嫌悪に浸るのにうってつけだ。ここには自分しかいない。それが世界の全てだと、そう錯覚できるから。
……ツカサ。どうして。どうしてあの時、私を助けたの。ツカサの機兵はまだ戦えた。私を庇わなければ、きっとツカサは無事だった。なのに何故? 何故ツカサは──。
その時。控えめなノックの音が部屋に響いた。私はふらふらとしながら、ベッドを降りてドアに近づく。こんな状況でも、ノックされると反応してしまうのは何故だろう。いちいち考えず、機械的に生きたい表れなのかもしれない。
ドアを少しだけ開けると、そこには野戦服姿の、久しぶりに見るあいつが立っていた。
「なんだ、マコトか……」
「なんだとはご挨拶じゃねぇかよ、アオイ。同期のよしみで、お前が壊れてねぇか様子を見にきてやったんだ。少しは感謝しろよな」
「マコトに感謝なんて、一生しないから」
「ひでぇ言いようだな。ま、いいけどよ。それより話があるんだ」
「私にはないよ」
「そう言うなって。どうしてもお前に伝える必要があんだよ。中、いいか」
「……好きにすれば」
振り返って部屋の中に戻る。マコトは何も言わずについてきた。私はベッドに腰掛けて、そしてマコトは備え付けの椅子に座る。
マコトは腕を組んだ後、私から視線を外して押し黙った。こいつは一体、何をしに来たのだろう。話があるんじゃなかったのか。
「それでマコト、話ってなに」
「……その前にお前、そのカッコなんとかしろ。いくらお前の胸がぺったぺたでも、その角度はマジで見えるぞ」
「別にいいよ。減るもんじゃないし。それともなに、私の貧相な身体に欲情したの? 抱いてもいいよ、別に。もうどうだっていい」
「お前なぁ、そんなことしても意味ねぇだろ。自分を傷付けたって、ツカサは戻ってこねぇんだぞ」
「そんなこと、わかってるよ……」
ツカサ。自分の口以外からその名前を聞くと、胸を締め付けられそうになる。どうしたって、時間は巻き戻らない。ツカサにはもう二度と会えない。たとえ自分が死んだとしても。
あの戦いでツカサに投げられた後、私は近くまで来ていたマコトの機兵にキャッチされた。這い戻ろうとする私を止めたマコトは、機兵の背部ベイルアウトレバーを引き抜いたのだ。強制排出された私の生身は、マコトの機兵に抱えられ、そして戦線を脱出した。
生存者は、たった二名の負け戦。結局、私はツカサを見捨ててしまったのだ。それは違えようのない事実だった。
「……とにかく自暴自棄になるな。お前の気持ちは、よくわかるんだよ」
「わかるだなんて、簡単に言わないでよ」
「大事な人を失ったのは、お前だけじゃねぇんだぞ」
「……それなら。それならどうしてマコトは平気なの。どうしてそんなに元気なの。私には、わかんないよ」
その言葉を聞いたマコトは。私を見つめて少しだけ、寂しそうに笑った。
「オレが平気に見えるなら、やっぱ壊れてるよ、お前。本当は泣きてぇし、オレはカオルを奪ったあいつらが憎い。絶対に許さねぇ。だからオレは、プラントどもを根絶やしにしてから泣く。そう決めてんだ」
「……強いね、マコトは。私はもうダメだ。マコトの言うとおり、もう壊れてると思う」
「あぁ、壊れてんな。以前のお前は、『もうダメだ』なんて言わなかったからな」
マコトの言うとおりだ。正論に反論はできないし、するつもりもない。あの日以来、私は壊れてしまった。どこが壊れたのか、わからないところがまた酷い。無言の私に、マコトが続けた。
「でも、お前は治る。お前なら絶対に治る。今日はな、お前に渡すものがあるから来たんだよ」
野戦服のポケットから、マコトは何かを取り出した。それは一枚の封筒。どこにでもあるようなその封筒は、私たちがよく目にするものだった。
古い風習に倣って、私たち機兵乗りが作戦前に書く遺書。それに使われる封筒だ。
封筒の表には確かに。『
マコトに手渡された封筒の裏を見ると、やっぱり。『
ツカサと初めて会った時、あれは訓練教場だったっけ。そこで私が、「なんかラップみたいな名前だね」と言ったことを鮮烈に思い出した。
その時ツカサは、柔らかく笑ってくれたんだ。ツカサはそんな風に、いつもいつも優しい笑顔をしていた。
ツカサ。会いたいよ。また笑ってよ、ツカサ。
きっと初めて会った時から。バディを組む前から、私はツカサが好きだったんだよ。
ねぇ答えてよ。ツカサ……。
「……それ、アイツのロッカーにあったんだ。それをこないだ見つけた。渡すのが遅くなって、悪かったな」
「ツカサの手紙……」
「確かに渡したぞ。それじゃあ、オレはそろそろ行くわ」
「行くって、どこに」
「次の戦場だ。出撃命令が出たからな」
マコトはドアの前まで進んだ後、少しだけ立ち止まって。そして振り返らないまま、言葉を継いだ。
「──アオイ。戦場で待ってるぞ」
マコトが部屋を去った後。その封筒を開けて、私は手紙を読んでみた。
間違いなくツカサの文字だ。その文面を見た私は、ツカサを失ってしまってから初めて。思わず、クスリと笑ってしまった。
それはたった一言。短すぎるメッセージ。でも悔しいことに、私には充分伝わるメッセージだった。それは私たちが、やっぱり最強のバディだからだろうか。
たった一言。それはたった一言の、シンプルで強烈なメッセージ。
──走れ!
────────────
前方に、敵を見据えて対峙する。
これで準備は万全だ。そこでタイミングよく、マコトからの無線通信が入った。
「──二時方向、距離二百。敵影は三百。ヤツらはなおも侵攻中。アオイ、新型機兵の調子はどうよ?」
「……うん、悪くない。前の機兵よりも軽く感じるかな」
「出力が上がってんだとよ。リアクタまわりの改良で、前より三十パーセントもパワーが出るらしいぜ。ま、オレの後衛機兵には、あんま関係ねぇがな」
「バックアップ、頼りにしてるよ。それよりマコト、あの話は本当なの?」
あの話。この戦闘前に小耳に挟んだ、遠く離れた別小隊での話だ。軍に復帰したのが最近の私より、ずっと居続けていたマコトの方が詳しいはず。
「あぁ、女王蜂理論か? 第五方面小隊が証明したらしいぜ。ツカサが言ってただろ。群体に指示を出してるコマンダー型のプラントがいるはずだって。そいつを倒せば、その群体が全部死滅するってあのハナシだ。ツカサは昔、研究部でそれを調べてたらしいな。あいつの理論は、やっぱ正しかったワケだ」
「そのコマンダー型を狙い撃ちすれば、きっと勝てるよね」
「残念ながらよ、コマンダー型の見た目は普通のプラントと同じらしい。ゲームや映画と違って、色違いなワケねぇよな」
「宝くじを引くようなもんかな。でもさ、ヤツらを倒し続ければ、いつかそのコマンダー型に当たるわけだよね」
「まぁ、そうなるな。ってことは、全部やる気かよ、アオイ?」
「どうせそれしか方法ないでしょ? 今までもそうだった。だから私は、今まで通りやるだけだよ」
ディスプレイに映る、プラントたちをズームする。どいつがコマンダー型だろう。どれだっていいけど、覚悟しておけ。私が全部、壊してやる。
「……しっかし、お前ほんと変わったよな。ツカサの手紙を渡してからだろ。あれ、何が書いてあったんだよ?」
「教えない」
「ふん、戦い前にイチャイチャすんなっていつも言ってただろ。やってらんねぇわ。おっと、そろそろ来るぜ」
その声を聞いて、私は出力をさらに上げた。いつものように機兵を前傾に、クラウチングスタートの姿勢を取る。
その時。機兵の頭上に、一滴の水が降ってきた。それは次第に多くなり、辺り一面を静かに濡らしていく。
空は晴れているのに珍しい。これが噂に聞くお天気雨か。
太陽の光を受け、宝石のように煌めくその雨粒。雨自体を見るのが久しぶりだった。
雨は、私たちにとって平和の象徴だ。この美しい雨を見て、私はツカサの言葉を思い出す。
いつか世界を、雨で満たそう。当たり前のように、雨が降る世界を取り戻すんだ。
──ツカサ。もう私は、悲しまないよ。ツカサとの約束を果たすために、頑張るよ。だから見ててね、ツカサ。
『接近警報!』
AIの機械音声と同時に、私は地を蹴った。最大戦速。瞬く間に敵に詰め寄り、そこで跳躍。プラントの頭を踏みしめ、さらに高く高くジャンプする。
戦いはまだまだ続いていく。雨の降る平和な世界。それを取り戻す、その日まで。
だから私は、今日も明日も明後日も。
そしてこの先も、ずっとずっと。
──空に走る。
【完】
空に走る 薮坂 @yabusaka
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