第9話 高校3年9月②/ラストライブと紙飛行機


【 つかさの手紙⑧ 】


 恋愛ソングを書くうち、私はキスシーンを想像するようになりました。

 ほんとうにキスを経験したら、歌詞にももっと実感がこもる気がして。

 いつからか、あおいの形のいい唇を目にするたびに、ドキドキしていました。


 私がキスをねだったあの夜、葵はとまどいながら唇を重ねてくれましたね。

 優しくて、繊細で、無頓着なようでいて情に厚い、そんな葵がますます愛おしくなりました。


 私は葵の笑顔が大好きです。

 葵の笑顔を見ていると、とても幸せな気持ちになります。

 もし、人生の価値がどれだけ人を笑顔にしたかで決まるのだとしたら。

 葵の笑顔を生んだ私の人生にも価値があったのかな、と満たされた気持ちになります。

 葵の笑顔は、私の救いです。

 だから、この先どんなに辛いことがあっても、笑顔を忘れないでくださいね。


 葵のことを考えていたら、つい手紙が長くなってしまいました。

 新しい歌詞が完成したら、必ず届けますね。

 また会える日を楽しみにしています。   詞



   〇



 高校3年、9月。

 夏休み明け、始業式。

 私は放課後の部室で仰向けになり、とりとめもなく天井を眺めていた。


 詞がいなくなって、私は歌を失った。

 いつからか、詞を笑顔にするために私は歌っていた。

 だから、詞がいない今、私が歌う理由はもうどこにもなかった。


 ふと、となりの教室から聞こえていた双葉ふたばのドラムと美憂みゆのキーボードの音がやんだ。そして、二人はふたたび部室に姿を現した。

 双葉は非難めいた目で私を見下ろし、その後ろで美憂が心配そうに眉尻を下げている。


「なに?」


 見上げる私に、双葉は手にした空色の封筒を差し出す。

 封筒には少し厚みがあった。


「これ。先生が葵に渡せって」

「ありがと。なんだろ?」

「詞からみたい」

「――ッ!?」


 私は跳ね起き、双葉の手から封筒をかっさらう。

 そして、震える手で封筒を開け、中身を取り出した。


 入っていたのは、手紙と新曲の歌詞だった。


 青いペンで丁寧に書かれた文字を、ゆっくりと目で追っていく。

 手紙には、私と過ごした尊い日々の思い出や、私への励まし、そして感謝がつまっていた。

 手紙から伝わってくる、詞の温かい息づかい。


「うっ……うぅ……うわああぁーっ!」


 私は声を上げて泣いた。

 私がいかに詞の愛情に包まれていたかを思い知り、失ったものの大きさに改めて打ちのめされた。


「詞さんのお母様が見つけて、わざわざ学校まで届けてくださったそうです。葵さんに、って」


 美憂は優しい声でそう教えてくれた。

 涙にむせぶ私を、双葉が思い切り抱きすくめた。


「やるんでしょう? 新曲」

「……うん」

「なら、これからさらに忙しくなる。だから、今のうちにいっぱい泣いとけ」


 双葉が私の頭を強く引き寄せる。美憂は私を落ち着かせようと、柔らかい手で背中をさすってくれた。

 私は双葉にしがみつき、肩の辺りを借りて、涙が尽きるまで泣き続けた。




 詞の新作は、あいかわらず読んでいるこちらが恥ずかしくなるような、スーパー詞ワールド全開の恋の歌だった。


 たくさんの出会いに恵まれ、友情を育み、恋に落ちて情熱的なキスを交わす。

 まさに青春を爽やかに走り抜けた、詞の人生そのもののような歌詞だった

 新しい歌詞の構想について、詞はかつて私に打ち明けてくれていた。



――澄み渡った夏の青空に、白い紙飛行機が気持ちよさそうに飛んでいく、そんな感じにしたいな。


――紙飛行機は、大切な人への想いや感謝を乗せて、高く、高く、大空をはばたいていくの。



 ライブの時にほんとうに紙飛行機を飛ばすという私のアイデアを、詞は喜んでくれていた。

 私は何度も涙ぐみながら歌詞を読みこみ、詞の思いに応えるような疾走感のあるメロディーをつけた。


 それから、夏休みに買っておいた花柄の便箋に詞へのメッセージをしたため、丁寧に紙飛行機を折った。






 文化祭当日。

 私たちはステージ衣装に着がえ、肩を組んで円陣を作った。

 双葉が気合の入った力強い声を飛ばす。


「今日は人生で最高のライブにするぞーッ!」

「「オーッ!!」」


 こうして、私たちの高校最後のライブが幕を開けた。

 校庭のすみに設置された簡易な野外ステージに立ち、見に来てくれた観客たちに一礼する。


「こんにちは! 私たち、『きらきらメモワール』です!」


 双葉の力強いドラムと、美憂の優美なキーボードの調べ。

 さらに私のギターと声が重なり、最高の音楽が奏でられていく。


 どんなに耳を澄ましても、詞のベースは聞こえてこない。

 弾むような恋のビートを刻んでいた詞の姿は、もうどこにも見当たらない。

 けれども、私たちは記憶のなかの詞と共に、音楽を共鳴させていた。


 やがて、私たちのライブにも終わりが近づいてきた。


 汗がにじむ火照った身体を落ち着かせ、大きく息を吐く。

 それから、観客に向けてゆっくり語りかけた。


「次の曲が最後になります。次は、かけがえのない大切な人が書き残してくれた、新しい歌です……」


 胸を締めつけられるようなやるせなさが、突如として私を襲う。


「私はその人が大好きでした……。いつも私のとなりで笑ってくれて……私はずっと幸せでした……」


 こみ上げてくる感情に揺り動かされ、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちる。


「葵、がんばれー!」


 観客のなかから、私を励まそうする大きな声援が聞こえてきた。

 私をいつも温かく見守ってくれたクラスメイトたちだった。

 私はついにこらえきれず、うつむき、両手で顔をおおった。


 その時だった。


 晴れわたった青空から、私の激情を冷ますように、ぱらぱらと雨が落ちてきた。

 細やかな雨粒は陽光を浴びてきらきらと輝き、美しい光の粒子を拡散させていく。


「お天気雨……」


 私はぽつりとつぶやいて顔を上げ、それから大きく目を見開いた。


「……詞?」


 視線の先に、まばゆい光をまとった詞が立っていた。

 詞は私に柔らかく微笑み、私に甘くささやきかける。



――葵、笑って。

――私は葵の笑顔が大好きよ。



 私は腕でごしごしと涙をぬぐい、くしゃくしゃになった顔で詞に笑ってみせた。

 詞は無邪気な笑みを深め、両手を広げて催促する。



――さあ、私に歌って聞かせて。

――私たちの愛の歌を。



 私はうなずき、ギターを肩にかけ直す。

 そして、マイクに声を乗せた。


「今日は、その大切な人に想いを届けるつもりで精いっぱい歌います。聞いてください。『青い愛』」


 詞が書き残してくれた最後の歌を、私は思いをこめて歌い上げる。

 私のとなりでは、詞が目を細め、甘くとろけるような笑みをこぼして見守っている。


 曲が終わるころには、きらめく宝石のような細かな雨もやんでいた。



――葵のおかげで最高の青春を過ごせたよ。

――ありがとう、葵。



「詞?」


 声がしたとなりをふり返ると、いつの間にか詞の幻影は消えていた。


 見上げれば、晴れわたった青空に淡い虹のアーチが架かっている。

 私は用意していた紙飛行機をポケットから取り出し、翼にキスをして、空に放った。



――天まで、届け。



 私の手を離れた紙飛行機はゆるやかに舞い上がり、風に乗ると、夏の名残をとどめた澄んだ青空を気持ちよさそうに走っていく。


 想いを乗せた紙飛行機は、そのまま遠い青空の彼方へと消えていった。




『大好きな詞へ。

 きらめくような青春と、たくさんの愛をありがとう。

 これからもずっと愛してる。 葵』




〈 了 〉

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空に走る 和希 @Sikuramen_P

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