第8話 高校3年7月②/ショートカットとお天気雨

 テーマパークデート当日。


 待ち合わせの駅に到着し、辺りを見渡す。

 カップルや家族連れで混みあう改札口付近に、つかさの姿は見当たらない。


「おはよう、あおい


 後方から呼びかける、聞き慣れた声に驚く。

 私はふり返り、大きく目を見開いた。

 詞は長い髪をばっさり切り、ショートカットになっていた。どうりで見落とすわけだ。

 詞は私の反応に満足し、いたずらっぽく微笑む。


「驚いた?」

「うん」

「どう、かな?」

「すごくかわいいよ。大人っぽくなった」

「やった♪ いちばんに葵に見せたくて」

「彼女か」

「彼女だよ!」


 詞は赤い唇をほころばせ、嬉しそうにツッコんだ。


 入場ゲートをくぐり、おそろいの丸耳のカチューシャをかぶる。

 そして、手当たりしだいにアトラクションに乗ってはキャッキャとはしゃいだ。


「は~、楽しい~っ! これからず~っと毎日ここで葵と過ごした~いっ!」

「私、そんなにお金ない」

「そういう現実的な話はやめて。ここは夢の国でしょ!」


 それから時間はあっという間に過ぎ、やがて夜になった。


「詞、そろそろ帰ろっか」


 遠くにそびえるおとぎの国の白いお城がライトアップされている。残念だけど、これ以上は遅くはなれない。そろそろ夢から覚めなければならない時間だった。


 詞は、しかし立ち止まったまま、動かない。


「……やだ。帰りたくない」

「そう言われても」


 詞は甘えてくることはあるけれど、基本的には聞き分けがよくて、あまり駄々をこねたりしない。そんな詞が、こんなにかたくなに帰りたがらないなんて。


「どうしたの? まだ遊び足りない?」


 不思議に思い、詞の顔をのぞきこむ。

 すると、詞は私の視線から逃れるようにうつむき、ぽつりと言った。


「……キス、してほしい」


 私は言葉を失った。

 と同時に、ついに来たか、と思った。


 詞のことは大切に思っている。

 だけど、そういう生々しい肉体的な関係は望んでいない。

 特別な友達。その延長での恋人ごっこ。

 それくらいがちょうどよかった。


 でも、詞はちがう。

 常に100%の愛情を私に注ぎ、今こうして同じだけの愛情を私に求めてくる。

 だから、いつか詞の愛に応えてあげられない日が訪れる、その予感はあった。


 私は小さく息を吐き、覚悟を決めた。

 辛いけど、ちゃんと言おう――ごめん、って。


 私は口を開きかけ、しかし思いとどまった。

 詞は顔を赤らめ、きれいな瞳を涙でにじませ、唇をきゅっと結んで泣きそうなのを必死にこらえていた。

 ……その顔は、反則でしょ。


 詞は小さな身体を震わせ、消えそうな声を絞り出す。


「一度でいい……私にキスを経験させて」


 あまりのいじらしさに、私の覚悟は反対のほうに大きく傾いた。


 ここは夢の国。

 それなら、これから私がすることも、すべて夢――。


 私は一歩前に進み出ると、詞のあごに手を添えてクイッと上を向かせ、


――チュッ。


 人生で初めてのキスをした。

 詞の唇の柔らかい感触に、私の唇が火傷したかのように熱くなる。

 詞の顔をまともに見られなくて、唇を離すと私は背を向けた。


「これでいい? ほら帰ろ。……きゃっ!」


 詞はいきなり私に後ろからハグしてきた。

 そして、私の背中に顔をうずめ、


「うわああぁぁ~んっ!」


 号泣しはじめたではないか。


「えっ? ええっ!?」


 私はうろたえた。


「だ、だって、詞がしてほしいって言ったんじゃんっ。い、嫌だった?」


 詞は私の背中に顔をうずめたまま、ううん、と首を左右にふる。そうしてぐりぐりと頭を押しつけ、私の腰に回した腕にさらに力をこめ、ぎゅうっと抱きしめてくる。


 ドォンッ!


 突然、お城の上空にくぐもった音が鳴り響いた。

 赤、黄、緑、青。暗い夜空に色とりどりの閃光が弾け、次々と大輪の花を咲かせていく。

 私は詞に優しい声をかけた。


「見て、詞。花火だよ」

「えぐっ……えぐっ……きれい……」


 詞がぼろぼろの泣き顔で花火を見上げる。

 それからしばらく、私たちは夜空を彩る美しい花火に見入っていた。






 詞の涙の理由を知ったのは、翌日だった。

 朝、けたたましく鳴るスマートフォンの着信音に起こされた。

 詞からだった。


『昨日言えなかったんだけど。実はさ、私……今日から入院するんだよね』

「は?」


 なにを言っているのか、すぐには理解できなかった。






 補習帰りの通学路を一人で歩く。

 頭のなかでは、詞のことをずっと考えていた。

 詞が難病を抱えていただなんて、いまだに信じられなかった。


 昨日は詞のショートカットを褒めてあげた。

 かわいいよ、大人っぽくなった、って。

 詞は嬉しそうに微笑み、私も満足だった。

 まさか、長い髪を切った理由が、長期入院を見こんでいたからだったなんて。

 そんなの、分かるはずがない。


 「帰りたくない」とねる詞を、あのまま夢の国に閉じこめておけたらどれほどよかっただろう。

 そう思うといっそう胸が痛んだ。


 頭上には今日も澄み渡った夏の青空が広がっている。

 爽やかで光に満ちみちた、だれもが憧れを抱くような、詞みたいな青空だ。


 その青空から、突然、雨がさあっと落ちてきた。

 晴れわたった青空から降り注ぐ雨は、ガラス細工のように透明にきらめいて、私の目には美しくも儚げに映った。


「……お天気雨」


 ぽつりとつぶやき、ハッとした。

 私の耳に、去年詞と交わした会話がよみがえる。



――自分では、お天気雨みたいだと思ってるけど。



 「詞は夏の青空みたい」と告げた時、詞はたしかにそう答えていた。

 私は、きらきらと青春を輝かせる詞のまぶしさにばかり目を奪われていた。

 だから、気づけなかったのだ。

 詞が心のなかにひそかに悲しみの雨を降らせていたことに。


「くそおおぉ――ッ!」


 私は猛然と雨のなかを走り出した。


 詞はサインを出していた!

 心の雨に気づいてほしいと、それとなく打ち明けてくれていた!

 それなのに、愚かな私はなにも気づけなかった! 


 耳の奥で、詞の声がリフレインする。



――私たち、似てると思うんだよねー。

――ひそかに孤独を抱えて生きているところとか。



 雨に打たれた私の頬を、さらに涙がぬらしていく。


 悔しかった。

 情けなかった。

 ただもう詞を抱きしめてあげたかった。


 冷たい雨に打たれながら、私は詞に責められているのだと感じた。

 罪の意識が私の心をズタズタに切り裂き、地に手をついて詞に謝りたい衝動が突き上げてくる。


 詞、今までずっと孤独にしてきてごめん。

 いくらでも謝るから。

 これからは絶対に孤独にしないから。

 だから、お願い。



――私を孤独にしないでッ!






 しかし、そんな私の願いも虚しく……。

 夏の終わりと共に、詞は天へと静かに旅立った。





( 次回:「高校3年9月②/ラストライブと紙飛行機」 )

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