第7話 高校3年7月/不協和音と笑顔の約束

 高校3年、7月。合唱コンクール当日。


 今年も指揮をつとめるつかさが、教壇に立ち、小さな拳を突き上げる。


「ぜったい優勝するぞーっ!」

「「おーっ!」」


 クラスは詞を中心によくまとまっていた。

 みんな今年が最後という思いが強いから、練習にも熱が入り、声がよく伸びている。

 結束力があるいいクラスだ。


 ただ、私には心配事があった。

 詞は長い髪をポニーテールに束ね、おでこを出すから、表情がよく見える。

 だから、最近痩せたことや、顔色がいつもより青白いことに気づいてしまう。

 たまらず、労いの声をかけた。


「詞、お疲れ。無理してない?」

「ありがとう。でも、疲れたなんて言ってられないよ!」


 詞は、私の心配を吹き飛ばすような元気な声で笑ってみせる。


「それより、あおいのほうこそ大丈夫でしょうね?」

「うん、大丈夫」

「去年みたいにちゃんと歌わなかったら、承知しないからね」

「去年もちゃんと歌ったって」


 詞は一歩前に踏み出し、私の目の前にまで迫ってくる。

 そして、勝ち気な瞳で私を見上げた。


「葵は私のこと、笑顔にしてくれるんでしょう?」


 私は、バレンタインの時に自ら発した言葉を思い出した。



――これからもずっと私のとなりで笑わせてよ。

――私も詞を笑わせるから。約束する



 たちまち顔が熱を帯びてくる。

 私にしてはずいぶん大胆なことを言ったものだ。


「笑顔にする。たぶん」

「たぶん?」

「あー、うん。絶対」

「言ったな。約束だからねっ!」



 

 いよいよ、本番がはじまった。

 ステージ上に並ぶ私たち。その一歩前で、詞は観客席にうやうやしくお辞儀をすると、私たちに向き直った。

 そしてクラスメイト一人ひとりを見回し、不敵な笑みを浮かべ、ピアノの演奏に合わせて右手をふりはじめた。


 私は一生懸命歌った。

 私には去年の反省がある。同じ過ちはくり返したくはない。


 「歌う」って、簡単なようで案外むずかしい。


 みんなに合わせなければいけない。

 だけど、合わせすぎると私の声は死んでしまう。

 かといって、私らしさを優先してまったく合わせないと、不協和音になってしまう。

 合わせながら、私らしさも損なわない。

 そのバランスが、私にはすごくむずかしい。


 歌いながら、詞と目が合う。

 優雅に手をふり、瞳に強い光を宿し、もっと、と私に催促する。

 私はうなずき、さらに声を張り上げる。

 

 思えば、私たちの関係も同じかもしれない。

 世間の常識に合わせれば、私たちの関係は奇妙なものだろう。

 でも、合わせるあまり、私たちの関係を終わりにしようとするのなら、それはちがう気がした。


 私は詞との今の関係が気に入っている。

 それが私たちらしさなのだとしたら、けっして損なうわけにはいかない。


 私たちは、私たちらしく生きる。

 それでも、けっして不協和音にはならない。

 私たちなら、そんな生き方がきっとできる。


 終盤に近づき、曲も、私の気持ちも、さらに盛り上がる。

 私はありったけの思いをこめて、おなかの底から叫ぶように声を響かせる。


 私は約束した、絶対に詞を笑顔にするって。

 だから、意地でもそうさせてもらう。

 それが、私の歌だ――ッ!!




 その結果……。


「うええぇ~んっ! 葵、やったよ、優勝だよぉ~っ!」


 教室で、詞は人目もはばからず私に抱きつき、わんわん泣いた。


「あー、よしよし。ごめんね、笑顔にしてあげられなくて」

「今はいいのぉ~っ!」

「じゃあ、そろそろ離れよっか?」

「やぁだぁ~っ!」

「うえぇ……」


 クラスの子たちはにこやかに見守るばかりで、誰も助けてはくれない。

 それどころか、ヒューヒュー、とはやし立ててくる奴までいる。

 みんな、私たちの特別な関係を温かく受け入れてくれていた。


「詞……お願いだから、もう離れて……」


 顔が燃えるように熱くて、一刻も早くこの場から逃げ出したい。

 泣きたいのは私のほうだった。






 合唱コンクールが終わると、いよいよ夏休みがやって来る。

 学校の帰り道、いつものように詞と並んで歩く。

 頭上には澄み渡った青空が広がっていた。


 明るく爽やかな詞には、まぶしい光に満ちた突き抜けるような青空がよく似合う。

 私は透明感のある美しい横顔にたずねた。


「詞。夏休み、なにして遊ぶ?」

「あのねえ。今年は勉強しなきゃでしょ」

「たいへんだね」

「葵もやるんだよ。補習に呼ばれたんでしょう?」

「フフ、そうだった。で、プールにする? それともお祭り?」

「勉強する気ないだろ」


 詞は眉をつり上げ、非難めいた目を向けてくる。

 それから、ふっと肩の力を抜き、ぷいっと顔を背けて小声で言った。


「……夢の国になら、行ってあげないこともない」

「了解」


 こうして、夏休みの初日にテーマパークに行く約束を取りつけたのだった。


 高校最後の夏。

 詞と過ごす、初めての夏。

 今年はきっと忘れられない夏になる!

 そんな予感に、私は無邪気に胸をときめかせていた。




   〇



【 詞の手紙⑦ 】


 合唱コンクールの優勝は嬉しかったなあ。

 一度限りの高校生活のなかでやり遂げなければいけないことの一つのように感じていたから、ほんとうに達成できた時は感極まって泣いてしまいました。


 合唱コンクールの時の葵の声を、私は今でも耳によみがえらせることができます。


 3年生ともなると、みんな歌の技術が向上していて、上手に歌ってくれます。

 そんななか、葵は技術だけでなく、心で歌ってくれているのが分かって感動しました。

 私のために、頑張ってくれたんだよね。

 葵の想い、ストレートに伝わってきたよ。


 きっと生き方も同じなのでしょうね。

 私たちは、みんなに合わせて上手に生きようとします。

 だからなのかな。

 自分の心を大切にしながら生きる葵の姿にとても惹かれます。


 葵は真っすぐな人。

 だから、これからも心のおもむくままに生きてほしいです。

 そのほうが、きっと葵らしく輝けるんじゃないかな。




( 次回:「高校3年7月②/ショートカットとお天気雨」 )

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