天の果てに生くるとも
新
黄昏の惑星
黄金に輝く恒星はその周りにやはり黄金の翼を
そこに1つの閉殻空洞状の格子状連続構造体が移動していた。所謂フラーレンと呼ばれる炭素原子のみで構成されるクラスター型構造体と酷似した形状をしている。全体は白色だが、クラスターに沿って幾種類もの色彩を帯びる光粒子の点滅が走っている。それはある種の規則性を思わせ、何らかの信号のようなものにも見える。
そう、それは明確な意識を持つ知性体によるものだった。
「太陽系だ。あの光景から、かつてここを旅立った
1つの意識が呟く。そこには噛みしめるような感慨らしきものが表れていた。
「懐かしいか、〈クガイ〉。お前たち種族の出身星による時間尺度からすると約3万年ぶりの里帰りになるな」
別の意識が話しかけた。〈クガイ〉と呼ばれた意識が応えた。
「まぁな、あの輝きは昔と全く変わらないように見えるよ。何だか嬉しいな」
「3万年程度だからな。100億年以上は活動するGⅡ型主系列星としてはほんの一瞬に過ぎない。大した変化はない」
その言い方に対し、〈クガイ〉は苦笑の波動を持って応える。
「全く……、お前には望郷の念とかはないのか?」
「私はペルセウス腕で発生・構築された
〈クガイ〉の苦笑は明らかな笑いとなる。
「フフ、〈タケイ〉。今は俺と意識を融合させているし、
「確かに
そうか――とだけ応え、2つの意識の会話は終わる。
暫く沈黙が流れていたが、突如としてフラーレン型構造体上に走る光粒子の点滅が激しくなった。その変化に呼応したように構造体の近くに光のリングが出現する。リングは時空を歪曲させる力でもあるのか、背景に拡がる太陽系の黄金の翼の光景を著しく歪めた。
「〈コズミックリング〉、固定。ワームホールゲート、チャンネル・オープン」
〈クガイ〉の言葉、構造体の近くに現れた光のリングに関するものらしい。
「重力環境は凪だ。今なら寸分違わず目標座標に
〈タケイ〉が話しかけた。〈クガイ〉は直ぐに応える。
「了解。〈ゲートドライヴ〉、スタート!」
そして構造体は光のリング――〈コズミックリング〉と呼ばれたものに突入した。すぐさまリングは眩い光輝に包まれ、それは七色の光の雫を散らした。そして爆発するように四散、跡形もなく消え去った。暫く時空の歪みが残っていたのか、黄金の翼の姿が揺れていたが、やがて消える。後には何の動きの見られない宇宙空間の光景のみが残った。
「静かだな。もう誰もいないって感じだ。軌道上での活動は皆無か……」
間近に見える蒼い星を見つめ、〈クガイ〉は呟いた。星の近くに灰色の衛星が1つある。
「これが地球か……」
〈タケイ〉の呟き。〈クガイ〉が直ぐに応えた。
「そうだよ……」
漆黒の虚空に映える蒼穹の彩りは地球と呼ばれる惑星、衛星は月だ。その月軌道に匹敵する位置に構造体は出現していたのだ。凡そ100AUの距離を瞬時にして渡ったことになる。
「――ああ……」
〈クガイ〉は、感嘆の声を上げるだけだった。〈タケイ〉は「やはり、懐かしいんだな」と話しかける。
「それはそうだが、記憶の中の地球よりも鮮やかなのに些か驚いてね」
「鮮やか?」
「蒼さが際立つんだよ。昔もそうだったが、もっと色褪せていたはずだ」
「色褪せていた……?」
〈タケイ〉は各種観測機器の探査焦点を地球に集中させた。全周波数帯に渡る電磁輻射情報と重力波情報を集めた。
「うむ……産業経済活動と呼べるものは地上では確認できないな。これが地球環境に対するストレスを軽減させたんじゃないかな」
〈クガイ〉が苦笑いの波動を送ってきた。
「そうだな、3万年前も地球の環境汚染が進んでいたということか。21世紀初めごろから環境保護活動は進められてはいたが、産業革命以来の蓄積は容易に解消できるものじゃなかったわけか。俺が離れたころは結構改善されたという話だったが、こうしてみると当時の汚染の影響は結構高かったんだな」
3万年の年月の隔絶は明らかな違いを認識させたのだ。そしてそれを実現した理由は、やはり人類の“
――残された“人々”は、大きな負荷を環境に加えなかったのだろう。いや、加えられなかったというべきか。人口構成数の減少、社会経済活動の縮小、そして文明の衰退を迎えたんだ……
〈クガイ〉は3万年間の地球の歴史に想いを馳せた。だが〈タケイ〉の意識は観測に向けられている。彼はその結果からの判断を述べる。
「いや、低レベルとはいえ、僅かだが活動は見られるな。だが熱放射などの数値も低いし、やはり産業経済活動と呼べるものは見られないな。とは言え、知的生命体の活動は続いているとは言えるか」
〈タケイ〉は一度言葉を切り、地球と月、そして太陽系全体に意識を向けた。
「宇宙での活動も僅かだが続いているようだ。だが確認できる限り産業文明時代の人工知能による
〈クガイ〉は黙って〈タケイ〉の言葉を聞くだけで、特に発言したりはしなかった。それでも〈タケイ〉は言葉を続ける。
「現在の地球世界はエネルギー消費から見て、宇宙文明の発達段階説・〈カルダシェフ尺度〉に照らし合わせるとⅠ段階を遥かに下回る水準だ。かつての地球時代、産業革命以前のレベルに落ちている」
いわゆる 中世、機械技術文明が発達する以前のレベルだという。〈クガイ〉と思考を共有させている〈タケイ〉には地球文明の知識があり、よって〈カルダシェフ尺度〉という言葉と意味を知っていたのだ。
ここで黙っていた〈クガイ〉が応えた。
「だが〈タケイ〉よ、それは彼らが退化したものだとは言い切れないぞ」
「そうだな。だが在り方は今の我々とは著しく性質を
〈クガイ〉の意識は過去へと向かった。それは〈
〈タケイ〉はそんな〈クガイ〉の思考を読み取ったのか、静かに語りかけた。
「お前は〈
懐かしむ波動が現れる。〈クガイ〉の意識より、その時代のイメージが流れ出た。
「そうだよ。誰もが星々を目指した時代だ。各種生体強化、電子的機械化強化を重ねた人類はホモ・サピエンスの
想い出の光景は〈クガイ〉の情感を伴って〈タケイ〉にも伝わる。だからからか、〈タケイ〉にも思考の中に揺らぎが現れた。
「そして〈ゲートドライヴ〉の実現、それは有人恒星間飛行を現実のものとした」
絢爛たる輝きを放つ光のリングの数々、それは銀河世界への扉だった。流れてくるイメージは〈クガイ〉が当時
――“解放”か……
「
次々とリングを潜っていく数多の宇宙船の映像、少し現実感が乏しい。それはリアルな記録というより、〈クガイ〉自身の記憶が築いたイメージという
「それでも俺たちは目指したんだ。未踏の銀河世界を、遥かなる冒険の旅をね」
“記憶”は、しかし事実を歪めるものではない。〈クガイ〉の記憶のイメージは確かに〈
それはめくるめく勇躍の時代だった。
無限に拡がる銀河世界の光景が浮かぶ。数多の星々の驚異の世界が拡がっていた。
その中で、
「オリオン腕を越え、ペルセウス腕を越え、更に外へ――或いは銀河系中心核へと向かう。変容を重ねた俺たちは更なる拡散を行った――」
そこで言葉を終える。後には残響のような心の流れが残った。
「太陽系起源知性の旅路か。ちょっとした叙事詩になるな」
微笑みの波動が伝わる。
「叙事詩か。〈タケイ〉、お前にも
「そうかもな」
そこで会話が一旦途 切れる。2つの意識は自然と地球へと向う。
宇宙に浮かぶ蒼の彩りは際立つ存在感を示す。
〈タケイ〉は意識を集中し、観測機器と自身の意識の接続レベルを上げた。純粋
そして、響くものを感じた。
「静かだな、本当に静かだ。でも緩やかに波動は伝わる。これはまるで――」
彼の言葉は途切れる。それは表現に迷ったからだ。
「まるで夢見ているようだ――こう表現するのだよ」
唐突に割り込んだ〈クガイ〉の言葉に〈タケイ〉は驚いた。それは明らかな動揺の波動を伝え、感じた〈クガイ〉はそれに対して同じく驚きを憶えた。
「はは、お前のそれはかつての
「うるさい」
バツの悪そうなものを感じ――それもまた
「――で、何なんだ、“夢見る”というのは?」
〈タケイ〉には〈クガイ〉の言葉の意味が分からなかったのだ。
「まぁ、俺なりの印象だ。大した意味はないよ」
軽くいなされたような感じがして、〈タケイ〉は少し苛立った。
「何なんだよ、いい加減だな」
「怒るなよ」
「うるさいわ」
明らかな苛立ちは、完全に
「あの星はね、もう眠りに就いているんだよ」
「だからそれは――」
〈タケイ〉の言葉を遮るようにして〈クガイ〉は話を続けた。
「だからさ――」
〈クガイ〉は言葉を切るが、少し考え込むような波動が流れてきた。どう言えばいいのか、考えているようだ。
「――そうだな、こう表現するといいかな……“ゆっりと休みたい”――こんなところかな」
一呼吸間を置き、クガイは続けた。
「誰にだって休息の時は来る。産業革命時代から太陽系時代の人類はそれはもう激しかったんだ。経済成長に拡大拡張政策、そして戦争だ。約400年続いた産業文明時代は人類を疲弊させていたんだ。いい加減休みたくもなるというものだ。
蒼き星の姿が心なしか拡大するように見えたと、〈タケイ〉は感じた。
「だが〈クガイ〉よ、お前たち
〈タケイ〉は〈クガイ〉とこの地球に残った
「そうだな、それは3万年間の歩みの違いかな。ホモ・サピエンスとポストヒューマンの違いも大きいな」
彼は地球に意識を向ける。
「ホモ・サピエンスは安らぎの刻を迎えたんだ。この世界はもう眠りたいと思っているんだろう。静かに、夢の中に微睡むのさ」
僅かな間を置き、タケイは呟く。
「滅びを選択するというわけか。この3万年間に何があったのか分からないが、ちょっと後ろ向きに思えるな」
いや――と〈クガイ〉の被りを振る波動。
「それは俺たちの価値観だ。銀河世界で活動を続ける宇宙知性のものだ。それは1つの姿に過ぎない。絶対なものではなく、他を否定する権限などはないぞ」
断固たる――といった言い様で、〈タケイ〉は些か怯むものを憶えた。〈クガイ〉の言葉には強い意志が感じられたのだ。
「彼らは黄昏の時代を迎えたんだ。それも1つの選択、他者がどうこう言うものではない」
静かな波動と共に、〈クガイ〉は言葉を終えた。〈タケイ〉は何も言うことはなく、耳を傾けるだけだった。
「眠りたい――それもまたいいじゃないか」
眼前に拡がる蒼き惑星・地球――そこに発生した知的生命体の1つが今、その歴史を閉じようとしている。星の蒼さはそんな彼らを暖かく包み込むかのように見えた。黙って見つめるだけだったが、やがて〈クガイ〉が話し始める。
「だが後継者たちはこの銀河系で生き続ける。太陽系起源の知性が絶滅するわけではない」
〈クガイ〉から流れる波動は何処までも静かで、そして暖かだった。
再び太陽系外延、オールト雲の中。七色の光輝が瞬き、リングが出現、その中よりフラーレン型構造体が出てきた。
〈クガイ〉と〈タケイ〉は遠くに望む黄金の翼を見る。それは太陽の輝きと照らされた星間物質の輝きだ。輝く姿は確かに宝石のようだと〈タケイ〉は心底思った。それはいつまで変わらずそこにあるかのよう。だが永遠不変はない。この
それもまた1つの選択、知性の辿る道行きの有り様だ。
「行こうか、〈タケイ〉」
〈クガイ〉の言葉が〈タケイ〉を現実に戻した。
「もういいのか」
「ああ、十分だ」
そして〈クガイ〉の意識がフラーレン型構造体の
「さらばだ、故郷よ。俺たちはこの銀河世界で生きていくよ」
リングは爆発するような光輝を放つ。七色の雫を飛ばし、構造体を彼方へと
そして、彼らは飛翔する。旅を続けるのだ。果てなく、何処までも、宇宙の彼方へと――――
天の果てに生くるとも 新 @bladerunner2017
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