後編
「マフィンくん、少しアミちゃんに冷たすぎない? あんなに好き好き光線だしてるのに、可哀想だよ」
そんなことを言ってくるのは、近所に住んでるパピヨン犬の女の子、パフェ。
パフェはこっそり家を抜け出してきて、今はボクの家のお庭でお話ししてるんだけど、君はわかっていないよ。
「パフェはアミのことをなめすぎだって。あの子のしつこさは半端じゃないんだよ。隙あらば抱きつかれて、オモチャやおやつを手に追いかけられるボクの身にもなってみてよ」
「え、アタシはご主人様に抱きつかれるの、好きだけどなあ。それにオモチャで遊べて、おやつを食べられるなんて嬉しいじゃない」
言いたいことはわかるけどさあ、限度ってものがあるでしょ。アミはとっくに、その限度を超えてるの。
「でも不思議。そんなに嫌なら、マフィンくんはどうしてアミちゃんの家にいるの?」
ああ、そういえばパフェには、話したことがなかったね。
あれは今から一年くらい前。当時ボクは、産まれたばかりの野良猫だったんだ。で、どうしてそうなったかはよく覚えていないけど、ボクは箱の中に入った状態で、何故か川をどんぶらこどんぶらこと下っていってたんだ。
「ねえ、愉快な言い方してるけど、それってすっごく危ないんじゃ?」
うん、実際かなりヤバかったと思う。川の流れは早くて、外に出たら溺れるのは確実。だからといってそのまま流され続けても、どうなるかは分からない。
どうしようかと焦って、箱から頭を出して外の様子を伺っていたんだけど、その時不意に、女の子の声がしたんだ。「大変、すっごく可愛い子猫が流されてる!」ってね。
「ああ、分かった。その女の子がアミちゃんで、マフィンくんを助けてあげたんでしょ」
そう、その通り。で、そのまま後は流れで、この家で暮らすことになったんだよね。
だからこれでもさ、一応アミには感謝してるよ。だって命を助けられたんだもの。けど、けどさあ……。
「だからってあんなに毎日毎日飽きもせずにつきまとわれて、頭撫でられたり尻尾をつつかれたりお腹に顔を埋めてきたりされたら、迷惑だって。暑い日でもお構いなしにべったりくっついてきて、うっとうしいったらありゃしないよ」
「で、でもそれも、アミちゃんなりの愛情表現なんだから……」
「だから我慢しろって? この先ずっと、一生涯? ボクがおじいちゃんになって死ぬまで、毎日毎日つきまとわれなきゃいけないの? それってすっごく嫌なんだけど」
これにはパフェも、気まずそうに口を閉ざした。
言っておくけど、ボクは何もアミを悪者にしたいわけじゃないよ。ただ、適度な距離感が大事だって言いたいの。それなのにあの子ときたら……あ、噂をすれば。
顔を上げると、ランドセルを背負ったアミが帰ってきたのが見えた。
瞬間、ボクもパフェも身構える。前にもこうしてふたりでいるところにアミが来たことがあったけど、その時は「モフモフ天国だー」なんて言ってボクらを追いかけ回して。ひどい目にあったよ。
さあ、来るならこい。逃げる準備は万端だ。と思ったら。
「……ああパフェ、来てたんだ。あはは、マフィンも元気そうだね。仲良く遊ぶんだよ」
笑っているはずなのに、どこか寂しげな声。
え、いったいどうしちゃったの?
「マフィンくん、アミちゃんの様子、変じゃないかなあ? なんだか、元気なさそう」
そんなこと言われるまでもない。いつもは元気が有り余っているはずなのに、今日は何だかしょんぼりしているし、ボクらが揃っているっていうのに、こっちを見ただけで近づいてこようともしない。
結局、アミはそのまま家の中に入って行って、玄関のドアは固く閉ざされた。
「アミちゃん、どうしちゃったんだろう? もしかして、マフィンくんが構ってくれないから、元気が無いんじゃ?」
パフェはそう言っているけど、そんなことあるもんか。そんなのいつものことだし、あのアミがそれくらいで……でも、うーん。
まさかとは思うけど、絶対にあり得ないわけじゃないか。
ええい、もう。追い回されなくて清々しているはずなのに、どうしてこんなにモヤモヤするんだよ。これも全部、アミのせいだからね!
◆◇◆◇
結論から言うと、アミが元気無いのは、ボクのせいじゃなかった。どうやら学校で友達とケンカして、落ち込んでるみたい。
何でも、キツいことを言われたみたいだけど、なんだそれくらい。いつもボクに邪険にされてるのに、少しもめげないでいるじゃないか。鋼のメンタルはどうしたんだ。
……まてよ、それでも落ち込んだってことは、よほど嫌なことを言われたのかも。
こんな時、人間の言葉を話せないのがもどかしい。もしボクが喋れたなら、ウジウジするなって、ガツンと言ってやれるのに。
まったく、普段元気な時はボクを追い回すし、落ち込んでたら落ち込んでたで、空気が悪くなる。アミってば本当に、世話が焼けるんだから。
まあ、どうせ放っておけばすぐに、調子を取り戻すんだろうけどね。ご飯を食べて、お風呂から上がった頃には、また懲りずにボクをモフろうとしてくるはずだよ。
だけど、そんなボクの予想は外れて、アミは元気がないまま。
お父さんやお母さんも、いつもと違う様子に心配していたけど、アミは食後のデザートも食べないで、早々に自分の部屋に引っ込んでいっちゃった。
アミでも、こんな風に落ち込んだりするんだなあ。
ボクはアミの部屋の前に立ちながら、ドアを見上げる。
ドアは閉ざされているけど、なんだこんなもの。ボクの手に……いや、肉球にかかればこれくらい、簡単に開けられるんだから。それっ!
ジャンプしてドアノブにしがみつくと、ガクンと回って。ぶら下がったままジタバタ暴れていたら、少しだけドアが開かれた。
どうだ。追いかけてくるアミから逃げるために覚えた、ドア開けだ。
もっとも今日は、逃げるんじゃなくて様子を見に来たんだけどね。
小さく開いたドアの隙間に体をねじ込んで、部屋の中へと入っていく。
電気は消えていて、中は真っ暗。だけどボクは猫、暗くたって室内の様子は、ハッキリ見えるんだ。
見るとベッドが膨らんでいる。
ボクはピョンとベッドに飛び乗ると、頭と思われる膨らみの前に、ちょこんと座った。
おーい、アミ。アミってばー。
どうせまだ起きてるんでしょ。息遣いで分かるよ。まったく、いつもは面倒臭いくらい構って攻撃してくるのに、ボクの方からやって来た時は寝たふりだなんて、良い性格してるよ。そういう悪い子には……。
ボクはぴょんって跳躍して、そのままお腹にダイブしてやった。とたんに、「うえっ」という悲鳴が聞こえて、布団の中からアミが顔を出してくる。
「あ、マフィン。あはは、珍しいね。マフィンが甘えてくるだなんて」
何言ってるんだ。ボクは別に、甘えに来たわけじゃないんだからね。
今日はせっかくゆっくり過ごせそうなんだ。本当は君のことなんて放っておいて、のんびりくつろいでいたかったのにさ。君が元気なさすぎるから、気になって仕方がないじゃないか。
ボクはニャンとも鳴かずに、そのまま布団の中に潜り込んだ。
「あわわ、マフィンってばくすぐったいよ」
ふん。いつもは君の方からモフモフしてきて、その度に僕がくすぐったい思いをしてるんだから、これくらい我慢してよね。
「えへへー、マフィンがデレてくれたー。もしかして、慰めてくれてるのかな? 実は今日、学校で友達とケンカしちゃったの。ううん、ケンカって言うより、アタシが一方的に悪いのかな。友達を傷つけちゃったんだ」
アミはそう言ったけど、きっとそれは違う。アミが意味なく誰かを傷つけるような子じゃない事くらい、分かってるよ。
何があったかは知らないけど、きっと何か誤解があって、仲違いしちゃったんだ。まったく、人間ってのは本当に面倒で困る。
頬についていた水滴をそっと舐めると、アミは嬉しそうに、ぎゅっとボクを抱きしめる。
こら、くっつくなー。……まあいいや、今日だけは特別だからね。
いつもは元気すぎるくらい元気で、ボクの都合なんてお構いなしにベタベタ触ってきて、追い掛け回してくる迷惑な女の子。だけどさ、こんな風に元気がない方が、余計に迷惑なんだからね。調子が狂うったらありゃしないよ。
だから今夜だけは、ボクがそばにいてあげるから。だから明日からは、また元気になりなよ、アミ……。
◆◇◆◇
普段はあまり意識しないけど、嫌だ嫌だと思っていた事でも、急になくなると案外寂しいものなんだって思う。元気の無いアミを見るのが、あんなに苦しいとは思わなかったよ。
まあボクもたまになら、懐いてあげてもいいかな。そう、たまになら……。
「マフィーン!」
学校から帰って来るなり、一直線に突っ込んでくるアミから、逃げ回るボク。
ちょっと、昨日のしおらしさは何だったの?
今日は帰って来るなり、元気いっぱい。この様子だと多分、友達と仲直りはできたんだろうけど、昨日大人しかった反動かな。いつもより激しく追い掛け回してくる。
ええい、エアコンの上に避難……と思ったら、ガシッと捕まえられちゃった。ええい、放せー!
「ああ、もう。マフィンったら暴れないの。昨日デレてきたのは何だったの?」
それはこっちの台詞だよ。どうやらこの様子だと、友達と仲直りはできたんだろうけど、元気になった途端またこれか。
ああ、こんな事なら、甘い顔なんてするんじゃなかった。もう、アミなんて嫌いだ―!
……まあ、本当はそんなに嫌いじゃないのは、ボクだけの秘密だよ。
子猫のマフィンと、構いたがりの女の子 無月弟(無月蒼) @mutukitukuyomi
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