空に走る PP

文月(ふづき)詩織

走れ葵

 葵は激怒した。必ずやこの禽息鳥視きんそくちょうしなペンギンの群れから脱せねばならぬと決意して、短い尾をぷりぷり振った。


 葵は勤勉なペンギン、つまりキンペンである。彼女はワイズペンギング賢いペンギンを旨とする名君の治める街の空にそびえる水族館に生まれた。ダイバーシティ潜水者の街として優れた水族館であり、彼女の周囲は常にインテリジェンツーな香りをまとったハイソハイソーシャルディスタンスでビューティーでシー・エレガンスなパリペパーティーペンギンで固められていた。


 ところが邪知暴虐なる館長の企み・ペンギン繁殖プログラムによって、ペンギンが空を泳ぐ雲上の水族館から堕落ペンギンの集う小さな海に叩き落されたのである。


 ペペ、ペン太、ギン子……。名前からして勤勉さに欠けたペンギンどもは、小さな海に設置された力ないクーラーの上にでろぉんと横たわっている。

 その情けない姿に苛立ちを覚えた葵は、初めこそ小さな海の中央に堂々と立って残暑に耐えたが、数分で音を上げてでろぉんに合流した。364.2422日、常に最適温度に保たれてきた生まれ故郷が懐かしい……。ここのペンギンにはファーストペンギンの気概がなく、環境にはペンギンファーストの心遣いがない。


 周囲に流され熱さに負けてキンペンでなくなってしまった自分への失望が、鼻でスピスピと音を立てた。故郷のペンギンたちは実にキンペン的なポヨヨッとした腹をしていたというのに、この小さな海のペンギンたちの腹はポヨポヨと情けない。

 失った親友の、ポヨヨヨッと凛々しい後姿が瞬膜に浮かぶ。


 葵はすっくと立ちあがり、ポヨヨッとした腹を張った。


ペペさん、ギン子さんンクワックク葵は太陽光水族館に帰りますフリッパーブンブン&尻尾ぷりぷり

突然どうしたのだ目をぱちくり?』


 ペペは驚いたように問う。


ぢつは親友が命の危機なのです目を閉じて首を竦める骨がヘンなのだとクルアァニンゲンが話しているのをキュキュキュ聞いたのですフリッパーおっぴろげ友の安泰を確かめないことには足をむずむずヨチヨチ走ることもできません空を仰いでギョロロロロ

それはいけないなツピューイ


 ペペはのちのち立ち上がる。


付いて来な、お嬢さんフリッパーぶんぶん外に出るための道を教えようお尻ふりふり

でもね、お嬢さんクェックェックェ


 ギン子が静かにペンギン語を添える。何かを見透かしたような黒い目がきらりと光った。


絶対に日没までに戻るのよググググ、キャワワ飼育員にばれたら嘴カチカチ困るからねフリッパーを広げて伸びる

わかりましたンクワックペン太さんをペン太の背中にペン質にして下さい頭を擦り付けるもしも私が帰らなかったらペン太を腹で押した後ペン太さんを鋭い嘴で焼き鳥にしていただいて構いませんつついてひねる

ちょっと待ていキュワワなぜ俺がつつかれて痛がる?』

わかったわンキューイ少し遅れて来ると良いわ頭ぷるぷるそしたらペン太を瞬き二回焼き魚にしてあげるキュッキュッキュ

魚と違うわいじだんだ


 葵はそっと嘲笑した。ペンギンは魚類ではなく鳥類なのに……。さすが下賤のペンギン。知識も浅いと見える。


行ってきますクックアドゥールドゥドゥ



******



 葵は嘘を吐いた。


 本当は死に瀕した親友はいない。詞はもう死んでいる。


 ペンギンの美を極めたような、見事なペンギンだった。美しいものは儚いのか。骨がヘンだと言われて連れていかれたきり、二度と戻って来なかった。


 詞がいなくなって、葵は気力を失った。誰にも葵の孤独は解らない。


 ただ一羽きりの友達だったのだ……。


ペンギンを信じることはぢっと空を仰ぐ。決して空虚な妄想ではないのよどこか寂しそうに


 美しくしゃがれた彼女の声が、ふと蘇った。


他のペンギンの仲間になる艶やかな羽毛とふくよかな体。ことを願いなさい。肩越しに葵を見つめる濡れた瞳。そうすればそれはさながら友達百羽見返りできるかも美ペン図


 寂しいわけでは、ない。ペンギンは群れで生活してはいるけれど、互いに助け合っているわけではない。群れは敵の目をくらませるための囮であり、ライバルでもあるのだ。友達なんかぢゃ、ない。


 てちてちとアスファルトの上を歩く。足の裏が熱い。


 私はきっと笑われる。葵はパリペなどではない。本当は根暗で臆病なぼっちペンギンだ。でろりんとした田舎ペンギンたちのことが、ぢつのところ羨ましかったのだ。


 ざあざあと雨が降って来た。艶やかな羽毛に弾かれた水滴が玉となって落ちてゆく。海へと没する太陽が、雨を横から照らして虹を為す。


 ああ、日が暮れる……。

 紫外線色に混じって輝く遠くの海は、まるで血のような赤……。


 葵はくるりんと踵を返し、走り始めた。


 日が暮れる。暮れてしまう。このままでは、ペン太がじうじう焼かれてしまう。私はなんと言うことをしてしまったのか。

 ペン太は信じてくれた。ペペもギン子も、全て見透かしてなお葵を逃がしてくれた。彼らはお馬鹿な田舎ペンギンなどではない! ペンギンを信じる勇気と誠の心を持った、立派なペンギンだった! 

 彼らの信頼に報いねばならない。断じてペン太を焼き鳥にさせてはならない。多分美味しくないし!


 走れ、葵!


 フリッパーをクワッと広げ、重心を激しく左右に揺らして、葵は駆ける、コケる。クチバシから雨を受け、背中に太陽を受け、小さな海へと転がり戻る。


 日が落ちる寸前に小さな海に戻り、オロオロ歩いていると、ぎぎぃと脱出口が開く。


 ペペが立っていた。彼は何も言わずに葵を招き入れた。


 葵は小さな海に飛び込んで、クーラーの上で涼んでいるペン太に駆け寄った。葵のフリッパーが高らかな音を立てる。


何故俺が殴られねばならんのかキューイキューイキューイ!』


 ペン太が強い声で抗議する。


気付いたの。私が間違っていたわピューイピューイピューイ私は他のペンギンとツピューイ絆を作ることができると信じたいウゲゲゲゲ……』

どうして殴ったンクアックア! フリッパーブンブン!』


 葵のフリッパーが再び唸った。先と同じくらいに音高く。


どうかクンアックァー!あなたたちの仲間の一あおい の みだれづき!羽にしてもらえないでしおともだちのペン太はょうかたおれた

嫌だンクアックアー!』


 ペン太の抗議をかき消すように、小さな海に歓声が満ちる。


歓迎だンクアックアー!』

歓迎だンクアックアー!』


 こうして葵は小さな海の一員となり、他のペンギンと仲良くでろぉおんととろけるようになったのだった。



~空に走る Party Penguin~ 了

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