高度なコンピュータープログラムとヒトの脳の違いはどこにあるのかな

……、めっちゃ好き。作風も、内容も展開も、物語のその終え方もとても好きです。
適当に検索かけて、こういう作品に巡り会えるのが本当にいいですね、カクヨムって。

こういった心情を描いた一人称語りの小説って、他の表現方法よりもより深い没入感が得られますし、共感も強くなりますよね。小説が持っている映像作品にはない強み、それは内面描写のディティールが細やかに深く出来る事ですよね。とてもいいですよね。



さて、この作品の一人称語りの主人公は衛星軌道上の、元は兵器であった自律型コンピュータといった存在でありまして。

物語は彼の独白……というよりは独り言で進行します。コンピューターが意思を持ったら、こんな感じなのかなというロマンティシズムを覚えてしまう作品でした。


でも、意思ってなんなのでしょうね。コンピューターに組み込まれたプログラムが、自己を認識し、そしてただ与えられた役割を全うするだけに飽き足らず、妄想を繰り広げたり哲学を構築しようとしたなら、私ならそこに意思がある……彼には人格があるのだと思ってしまうでしょう。ですが、私が「彼には人格がある」と覚えてしまったそのコンピューターの挙動をプログラマーがじっくりと解析してみれば、それはやっぱりパーフェクトに解析可能で、さらには数分後の彼の挙動を完璧に予測できたりもするのかも知れません。となると、それはやはり人格などではなくてプログラムでしかいない、となるんですかね。

その考え方を突き詰めていくと、我々人間の、自分では高度だと思っているこの思索も、精度100パーセントで予測可能なもの、ただのプログラムに従って動いているだけの脳、という事も出来るのかも知れないんですよね。あぁ、イヤだ。

……こんな事をとりとめもなく考えさせてくれました、この作品は。
とてもいい作品です。