スターゲイザー

秋砂鯉

スターゲイザー

 快晴、真っ青な背景に浮かぶ酷くおぼろげな白い衛星と、微かに主張する赤い光。

 晴天、橙から紺のグラデーションにちりばめられた星々と、中央に一際強く光る赤い星。

 曇天、重たいねずみ色、微かな濃淡、星は見えない。

 快晴、濃紺の中央には、妖しく浮かび上がる星の川、我が物顔で中央を陣取る赤い星。

 日課であるアルバムの整理を終える頃、ちりちりと、脳に外部からの信号が割り込む。彼からの連絡だ。程なくして、膨大な量の荷物が届いた。受け取ったそれらを開封する前に一度端へ寄せ、目当てのものを探す。すぐに見つかったそれを開く。遠くの星々まで繊細に映し出されたそれの中央には、いつもの通り強い光を放つ赤い星が映っている。整理したばかりのアルバムに、一枚追加した。彼がわたしを映した写真は、これで18493枚目となる。


 彼から送られた大量の荷物を紐解き、整理し、保管する。これがわたしの仕事だ。しかし、仕事と言っても、誰かに命ぜられた訳でも、給金を貰っている訳でもない。他にやることがなかったので、勝手に行っているだけである。

 その荷物というのは、彼自身の“記憶”である。見聞きした音声、映像、文書、なにかを表す数字の羅列、形式も大きさもバラバラな大量のデータは、彼の記憶そのものであった。彼はそれらを大変ぞんざいに扱っていて、ほとんど投げて寄越されるそれらを、わたしは形を整えて、隙間なく綺麗に箱に詰め、保管庫の奥から大切にしまっていく。箱はもう、大きな部屋いっぱいを埋め尽くさんばかりに積み上げられている。

 彼もわたしも、ほとんど同じ時期に生まれたらしいというのは、彼の記憶を覗き見て知った。かつて、人類がこの青い星を支配していた頃だ。わたしたちは人間によって生み出された道具の一つで、彼は地上から、わたしは空から、人間の“敵”(つまりは、人間である)を殺す為に作られた。元々それがわたしの仕事だった。

 人間が人間を殺し尽くす寸前で、争いは終わった。無用の長物となり放り出されたわたしたちは随分と数を減らして、それから長い月日が経つ。

 彼がわたしに初めて荷物を押し付けて来たのは、宇宙に放り出されたままやることもなく、目の前の青い星を眺めるのにもいい加減飽きて辟易していた頃だった。彼とは面識どころか、存在さえもその時初めて知ったくらいだったので、突然寄越された大量の荷物を前にしばし呆然としたのち、あまりの身勝手に文句の一つも言ってやりたかった。けれどわたしは自ら発信する術を持っていなかったので、仕方なく、ほんとうに仕方なく彼の荷物を預かるようになったのである。


 彼がなぜ記憶を投げて寄越すのか、理由は定かではないけれども、想像には難くない。彼にとって、永遠に蓄積され続ける記憶はあまりにも重いのだ。ただぼんやりと星を眺め続けるだけのわたしとでは、比ぶべくもない。始めの頃に覗き見した記憶は、戦争の記録ばかりだった。最前線で働く彼の凄惨なそれらを見れば、切り離すように、投げ捨てるように、雑に押し付けられた事にも納得がいく。彼は辛い記憶から解放され、わたしは暇を潰す。利害の一致だ。そうして、人間の生が何周もする頃、わたしの保管庫には果てしない量のデータが積み上げられていった。彼が、このデータを再び必要としたことは、これまでに一度もない。


 あるとき、彼の荷物に小さなデータが添付されていることに気付いた。開封すると、それは地上から上空を映した画像のようだ。中央には、強い光を放つ赤い星が映っている。これは何だろうと逡巡し、すぐさま、彼がわたしを映したものだと気付いた。そうか。わたしは、地上からこのように見えているのか。戦時中、仲間が地上からのレーザーで何基も撃ち落されたが、こんなにも目立つなら当然と言える。わたしたちを作った人間は想定できなかったのだろうか。……しかし、ここから見上げる宇宙は暗闇ばかりだというのに、そちらから見ると、こんなにも鮮やかなのか。紫から紺に移り行く空には、沈む陽に燃やされた緋の雲が揺蕩い、こちらではツンツンと高飛車な星々も、全く違う様子で恥ずかしげにきらめいていた。ぐわん。なんだろう、脳のどこかの回路が酷く揺れた感じがした。すぐさまその画像から意識をそらし、(いそいそとアルバムに格納し、)彼の荷物の開梱にとりかかった。

 それから、彼は必ずわたしの写真を添付するようになった。彼からの写真を見る度に、かつてない、言い様の無い感覚になる。わたしは、それらを正しく言い表す言葉を持たない。ぐらぐら、ふわふわと落ち着かなく、何度もアルバムを見返しては戻し、気付けばまた見返している。どうしたことだろう。自己点検プログラムは異常を示さなかったというのに。

 ところでわたしは、地表の砂粒までも詳細に見通せる優秀な目を持っている。かつて地上の敵を殲滅するのに大変重宝したものだ。この目があれば、信号を辿って、彼の姿をこの目に収められるかもしれない。可笑しいことに、これまでの長い間、一度も彼の姿かたちを捉えようとは思っていなかった。そうして待ちに待った次の機会に、わたしは目を凝らして、ついに彼を見た。わたしと同じ、真っ赤な双眸が、まっすぐこちらを見ていた。また脳がぐわんと揺れた。


 定期的とは言えない周期で、彼が荷物を送ってくる。わたしはそれを整理し、保管する。この関係が終わったのは、3つ目の保管庫がいっぱいになろうかという時だった。その頃には、彼の生活は随分安定していて、大きな争いもなく、悠久の時間とうまく付き合っていく術を見つけたらしい。預かる記憶も、ただ持ちすぎて重たくなった分を預けているような具合だった。そんな折、巨大な彗星がこちらを目掛けて近付いていることが分かった。

 瞬時に軌道を算出すると、彗星は青い星の表面ぎりぎりを通り、そのまま通過して去っていくようだ。恐らく地上に大きな影響はない。しかし、その進路上にはわたしがいた。時間の猶予はあまりないようだ。

 わたしは慌てて準備にとりかかった。彼から預かった莫大なデータをできるかぎり圧縮し、シェルターにぎゅうぎゅうと詰め込む。彼はこれまで一度もこの記憶たちを必要としたことはない。けれども、このまま宇宙の塵にしてしまうのは、何故だろう、わたしが嫌だった。必死で詰め込んだパンパンのシェルターをさらに圧縮し、何重にも保護をかけ、使い切りの非常用射出ユニットに搭載する。最後に一つだけ、小さなデータを添付した。そうして長い間預かっていた荷物は、これまでずっと見つめるだけだったあの星へ向けて、飛んで行った。小さくなりゆくそれを見送るわたしは、衛星軌道上から動くことのできないわたしは、周りに漂うたくさんの仲間の死骸と共に破壊された。

 からだが、慣性に従って散り散りになって行く。その時、わたしはあのアルバムをシェルターに積み忘れてしまったことに気が付いた。彼の記憶たちと別に保管していたことが災いした。けれども、あれは彼がわたしにくれたものだから、このままわたしが持って行こう。


 あの荷物を彼が見つけてくれるのか、見つけたとしても、それを復元し取り出す技術が地上に残っているのか、そもそも彼があれらを必要としているとは思えないけれども、あれらが永遠に失われるのは嫌だ。これはわたしのエゴだ。

 わたしが最期に見た光景は、こちらをまっすぐに見上げるあの赤い双眸。涙を流したように見えたのは、きっと願望が見せた幻だろう。

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