第4話 また逢う日まで…

「奈緒、ごめんな」

 果てしなく続きそうな二人の間の険悪なムードを変えようと、健太郎は、自分から奈緒に謝罪しようとした。


「どうして?健太郎くんが謝るの?」

「だって俺、奈緒のこと好きなのに、そして奈緒は俺のこと好きなのに、みゆきと結婚したからさ」


 すると、奈緒は突然口元を押さえ、頬を膨らませてププッと吹き出し始めた。


「アハハハ、結婚したことを私に謝るの?」

「だってさ、奈緒が寂しがるんじゃないかって。だから、ずっと、伏せていたんだけど」

「いいのよ。私になんか気兼ねしなくたって。そんなことより、私が気になることは

 ……」

「え?」


 奈緒は、真下を見ながらクスっと笑うと、髪を振り乱し、健太郎の方に向き直った。


「健太郎くんとみゆきちゃんが、幸せに過ごせているかどうかだよ」


 健太郎は、奈緒からの返答に驚いたが、大好きな健太郎の前で本心を出さず、忖度しているんじゃないか?という感じもあった。


「本当にそうか?俺がみゆきと結婚したことが悔しいと思わないのか?ずっと好きだった男が、奈緒の親友とはいえ、奈緒以外の女と結婚したんだぞ。普通なら悔しいって思うんじゃないのか?」

「だって、私がずっと大好きだった人と、たった1人の大親友だった人が結婚したんだもん。悔しいどころか、私、すっごく嬉しかったんだよ。あっちの世界にいる時に、二人が結婚したって話を聞いた時、嬉しすぎてバンザイ三唱しちゃったもん!私なりにお祝いがしたくて、結婚式の時にちょっぴりお邪魔しちゃったしさ」

「え?奈緒……やっぱりあの時、来てたのか!?」


 健太郎の結婚式で、フラワーシャワーの最中に、奈緒らしき髪の長い少女が参列者の間から突如現れ、健太郎の頬にキスしたことを、健太郎は鮮明に覚えていた。


「ねぇ、健太郎くん。私、最後にどうしても言いたいことがあるの」


 そう言うと、奈緒はツカツカと健太郎に歩み寄り、喉元に人差し指を突き立て、不敵な笑みを浮かべながら言った。


「健太郎くん、家事は分担しなくちゃだめだよ。みゆきちゃんだって疲れてることがあるんだからさ、その時は健太郎くんががんばるんだからね。あ、それから、仕事で疲れていても時々みゆきちゃんをデートに連れて行ってあげてね。みゆきちゃんはああ見えて、結構感激屋さんなんだから」


 奈緒は上目遣いで、捲し立てるように健太郎に忠告した。

 しかし奈緒は、言い終えた後も、健太郎の喉元から人差し指を外さなかった。

 まだ言いたいことがあるけど、言葉にならず、もどかしい思いをしているように見えた。

 やがて奈緒は気を取り直し、全身の力を振り絞って言葉を発した。


「それから…二人の間に生まれてくる子どもは、不幸にしないでほしい!私みたいにならないように、ね」


 最後にこの言葉を話すと、奈緒は瞳に涙を浮かべた。

 生前の辛かった思い出が頭の中に湧き上がり、駆け巡ったようであった。

 健太郎は、持っていたハンカチで、奈緒の瞳をそっと拭った。

 以前、奈緒からもらったハンカチであった。


「ありがとう…あれ?このハンカチ、私のだよね?」

「ああ、これ、今でも使ってるよ。このハンカチが奈緒だと思って、大切に使ってるんだ」

「これが私?」

「うん。これだけが、奈緒の大事な形見だから」


 健太郎がそう言うや否や、奈緒は腕を伸ばし、健太郎の肩に絡めてきた。


「嬉しい!たとえ結婚していても、私は健太郎くんのことが大好き!これからも、ずっとずっと大好き!」


 そういうと、奈緒はふっくらとした唇と健太郎の唇に近づけ、そっと押し当てた。

 最初はお互いの唇を重ねただけだったが、奈緒は次第に唇に力を込め、健太郎は息をするのも苦しくなっていった。


「奈緒!嬉しい…嬉しいけど、ちょっと、苦しい!た、助けて!助けてくれえ!」


 奈緒からの強烈な口づけが続く中、健太郎は意識が朦朧としていき、そのまま全身が地面に崩れ落ちていった。



 □□□□


「奈緒~!苦しいよお、奈緒!助けてくれ~……」


「あの~…私、奈緒ちゃんじゃないんだけど」


「え?」


 明らかに奈緒の声ではない、違う女性の声が健太郎の耳に響き渡った。


「え?奈緒じゃないの?」


 健太郎は飛び起きると、目の前にいる女性を凝視した。

 そこにいたのは、栗色でふんわり長い髪の奈緒ではなく、ショートカットにした黒髪のみゆきであった。


「え?俺、さっきまで奈緒とずっとデートしてたんだけど?」

「デート?奈緒ちゃんと?さっきまで私と一緒に子作りしてたのに?」


 みゆきからの問いかけを元に、辺りを見渡すと、みゆきと二人きりで、ベッドの上で生まれたままの姿でお互いに腕を肩に絡めたまま、横たわっていた。


「ハハハ…俺、みゆきと仲良ししてたんだ。じゃあ、奈緒とのデートは、夢だったのか…」


みゆきは両手を上にかざし、やれやれと言わんばかりの表情をした後、ベットから落ちていたタオルケットを拾うと、何も身に着けず裸のままの二人の身体を覆った。


「私たち、子作りした後、お互いそのままぐったりして眠っちゃったみたいね。私の夢の中にも出てきたよ。奈緒ちゃん」

「はあ?」

「久しぶりに中川に帰ったら奈緒ちゃんがいて、一緒にずーっと近況報告していた。そしたら奈緒ちゃんが突然、神妙な顔つきになってさ。健太郎さんが辛い時には私が支えて欲しいって。そして、二人の間に生まれてくる子供は、何よりも幸せに育ててあげてほしいって。奈緒ちゃんみたいに、不幸な生い立ちにならないようにって」

「え?それって、俺が言われたことと大体同じじゃん」

「そ、そうなの?」


 どうやら、奈緒は二人の夢の中に出てきたようであった。

 そして、二人とも奈緒とつかの間の楽しい時間をすごし、二人とも奈緒から色々と「ご忠告」を頂いたようであった。


 □□□□


 お盆休み、健太郎とみゆきはそのほとんどを自宅で過ごした。

 唯一の外出は、有楽町へ映画を見に出かけたくらいだった。

 奈緒は現実世界に甦ってくることも、二人の夢の中に出てくることも無かった。

 そして、お盆最後の日である8月16日を迎えた。

 健太郎とみゆきは、特にやることも無く、二人でタオルケットにくるまってテレビを見ながら過ごしていた。


「結局奈緒は、あれっきりなのかな?」

「今はどこに居るんだろうね?中川に居るのかな?」

「弟の幸次郎に聞いたら、中川でも見かけていないって。もう現実の世界には戻っていないんだろうな」

「そうかもね。でもさ、夢の中であっても、私たちの元に来てくれたんだから、しっかり送り出してあげなくちゃね」


 そういうと、みゆきは、送り火の時に使わず残っていたおがらの入った袋を健太郎に見せた。


「そろそろ夕暮れ時だし、送り火でも焚こうか?とりあえず、奈緒ちゃんをあの世に送り出してあげなくちゃね」


 二人はベランダに出ると、おがらを皿の上に置いてそっと火を灯した。

 怖い位に真っ赤な夕闇が辺りを包み込む中、火は勢いを増し、音を立てて燃え盛っていった。


「今年のお盆は、結局東京で過ごしちゃったね。こんな味気ないお盆、初めてだよ」

 健太郎は、送り火を見つめながらガックリと肩を落としていた。


「そうかなあ?私は楽しかったよ。普段はお互いに仕事で、二人で一緒に過ごす時間がなかなか取れないからさ。それに、昨日は健太郎さんが私がずっと見たいと思っていた映画に連れてってくれたし、普段料理なんてやらない健太郎さんが手料理振舞ってくれたし」

 みゆきは、健太郎の隣で微笑みを浮かべながら、送り火に照らされた健太郎の横顔を見つめた。


「まあな、奈緒が色々俺にアドバイスしてくれたからな」

「え?今、何か言った?」

「あ、いや、その……何でもないよ」

「あのさ、以前も私言ったよね?ハッキリしない人は大嫌いだって」


 そう言うと、みゆきは突然立ち上がり、健太郎のズボンのポケットからハンカチをそっと抜き出した。

 それは、去り際に奈緒からもらった、彼女の形見ともいえるハンカチだった。


「おい!返せよそれ!俺の大事なハンカチだぞ」


 すると、みゆきはクールなまなざしで、ハンカチを健太郎の顔の前で振りながら詰問してきた。


「ね~え、私と奈緒ちゃん、どっちが好きなのぉ?」

「はあ!」

「さあ、どっち?私、ハッキリしない人は大嫌いだからね!」

「それは…決まってんだろ、みゆきだよ」

「本当に?」

「だって俺、みゆきのことが好きだから、結婚したんだよ?奈緒はどんなにあがいても、もうこの世には戻ってこない。だから、今俺がこの世で一番好きなのは、みゆきだよ」

「ありがとう。じゃあ、このハンカチは処分しなくちゃね」

「こらっ!それはダメだ!」

 健太郎は目の色を変えて、みゆきの手から強引にハンカチを奪い取った。


「あ~あ、やっぱり好きなんだね、奈緒ちゃんの事」

「バカいうな!もういい加減にしろよ、みゆき!」


 その時、夜空に突然、まばゆい光を放ちながら大きな流れ星が現れた。

 流れ星は、徐々に弧を描きながら夜空をゆっくりと横切っていった。


「今日も流れ星、見れたね。こんな都会の真ん中で何度も見れるなんて!ねえ、流れ星に願い事、しようか?」


 みゆきは目を閉じると、流れ星の方向に向かい、両手を合わせた。


「早く、子宝に恵まれますようにっ」


 一方、健太郎はみゆきに覚られないように、言葉を発さず、胸の中でそっと願い事を唱えた。


「みゆきと幸せな家庭が築けますように、そして…奈緒と、またどこかで会えますように」


 すると、誰かがささやくような声が、健太郎の耳元に響き渡った。


『大丈夫だよ。これからも、私は遠くからずっと見守ってるからね』


 健太郎は声を聞いて驚き、慌てて辺りを見回したが、みゆき以外には人影も何も無かった。

 気が付けば、明るい光を帯びて夜空を横切っていた流れ星は、いつの間にか消え去っていた。


「あれ?流れ星、どこかに行っちゃったのかなあ?」


 突然の出来事に驚きを隠せない様子のみゆきだったが、健太郎はみゆきの肩を抱き寄せ、夜空を見つめながらそっと呟いた。

 奈緒からもらった、形見のハンカチを強く握りしめながら。


「そうだね……でもさ、きっとどこか遠い所で俺たちのことを見守り続け、いつの日か、俺たちの願いをかなえてくれるかもね」


(おわり)

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一瞬の夏~遠くから、見守ってるからね~ Youlife @youlifebaby

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