第3話 目の前に居るのは…
むせかえるような草木の香りがたちこめる中、健太郎は目を覚ました。
健太郎の真上には、鬱蒼とした木々が空を覆い、わずかな陽光が差し込んできていた。木々からは、けたたましいほどの蝉の声がこだましていた。
「ここは、一体?」
健太郎は首を左右に振ると、辺りは古めかしい墓地が広がっていた。
どの墓にも色とりどりの花が飾られ、お酒やお菓子などのお供え物が置かれていた。
「どのお墓にも備え物が……ああそうだ、今はお盆だもんな。みんな墓参りに来たのかな?」
その時健太郎は、自分の右手に手提げ袋を持っていたことに気づいた。
慌てて中を覗き込むと、そこにはたくさんのお菓子とペットボトルのジュース、そして線香が入っていた。
「あれ?俺……なんでこんなもの、持ってるんだろ?」
健太郎は立ち上がり、砂利道を2、3歩歩きだした。
すると、目の前にはかすれた文字で「佐藤家」と書かれた墓石が立っていた。
「佐藤?ありふれた名前だな……」
墓石の前には、カラフルで大きな花が沢山供えられていた。
古ぼけた、今にも壊れそうな墓石なのに、一体誰がこんなに?
健太郎は、墓石の周りを見ると、そこには埋葬された人達の氏名が刻まれていた。
「坪倉……奈緒?」
健太郎が目にした名前は、間違いなく、奈緒の名前だった。
その時健太郎は、ようやく思い出した。ここは、以前、金子の話をもとに見つけ出した、奈緒のお墓であった。
しかし、一体何で自分は奈緒のお墓の前に居るんだろう?しかも、手提げ袋を提げて…健太郎はその理由を何度考えても、答えが出て来ず頭が痛くなった。
奈緒のお墓には、花以外の供物は何も無かった。
健太郎は、一緒にひと夏の思い出を作ってくれた奈緒のために、何か供えてあげたいと思い、手提げ袋からお菓子とペットボトルを取り出し、供物台の上に置いた。
そして、袋に一緒に入っていた線香にライターで火を灯し、香炉の中に入れた。
もくもくと線香の煙が辺りに漂う中、健太郎はしゃがみこみ、両手を合わせた。
その時、突然後ろから女性の声が健太郎の耳元に響いた。
「どうしてるの?私のお墓に、何の用?」
健太郎は声の主を確かめようと、後ろを振り向くと、そこには、肌の色が白い、髪の長い長身の女性が立っていた。
女性は白いミニのワンピースを着こなし、麦藁帽子を被り、にっこりとほほ笑んでいた。
その表情をじっと見つめ、健太郎は確信した。
そこにいるのは、間違いなく、奈緒だった。
「お前は……奈緒か!?」
「そうだけど、あれ?ひょっとして、健太郎くん?」
「そうだよ!健太郎だよ!どうしてここにいるんだ!?もうこの世には降りてこないって言ってただろう?」
「え?そんなこと、言ったっけ?」
奈緒の返答に健太郎は拍子抜けし、その場に倒れ込みそうになった。
「奈緒、あれだけ帰ってこないって言っておいて……そんなこと、あっさり言うなよ」
「ごめんね」
奈緒は、倒れ込みそうになった健太郎の身体を支えようと近寄り、そっと手を添えてくれた。
「ありがとう」
「ところで、何で私のお墓の場所、知ってるの?」
「ああ、金子さんに、この墓地に奈緒の墓があるって聞いてたからさ。だから俺、今まで本当にありがとう、これからもずっとあの世で元気に過ごして欲しいって思って、ここに来たんだ」
「あの世?今私は、ここにいるんですけどぉ?」
奈緒は、自分の身体はちゃんとここにあるよ、と言わんばかりに胸を叩いて、口をとがらせた。
「ま、まあ、そうだけどさ……まさか、再びこの世に来るなんて思わなかったからさ」
奈緒は、健太郎の言葉にちょっと不満げな表情を見せたが、健太郎の前に歩み寄ると、そっと白い手を差し出した。
「ま、いいか。それよりも、折角再会できたんだから、どこか行こうよ!大好きな健太郎君と、また一緒に楽しい時間を過ごしたいから。久しぶりに中川の町に来たから、ぶらぶらと散歩しよっかな?あ、途中コンビニにも行きたいな。金子さんが元気にしてるか、気になるからね」
健太郎は、奈緒の手をそっとつないだ。
すると、奈緒は健太郎の手をギュッと握りしめてくれた。
けたたましい程の蝉の声がこだまする林を抜け、二人は中川の集落へと歩み出した。
通りすがりの家々では、玄関先で迎え火を焚いていた。
暑さが収まってきた夕暮れ時に迎え火が燃え盛る風景は、中川のお盆の風物詩である。
ヒグラシの鳴き声が響く中、次第に辺りは暗闇に包まれてきた。
やがて二人の目の先には、この町唯一のコンビニエンスストアが姿を現した。
「ここで……俺たち、出会ったんだよね?」
「そうだね。ここだったね」
奈緒は、しみじみと昔を思い出すかのように話した。
「入ろうか?金子さん、元気にしてるか気になるし」
「うん」
入口のドアの前には、金子が焚いていたであろう迎え火が、まだ少しくすぶっていた。
自動ドアが開くと、カウンターの中では金子が一人で、コロッケやメンチなどの惣菜を温める作業をしていた。
「こんばんは!奈緒だよ~。金子さん、元気?」
「え?奈緒ちゃん、帰ってきたんだ!?もうここには来ないって思ってたけど」
「私も良く分からないけど、とりあえず、帰って来たんで、立ち寄ってみましたぁ~」
そう言うと、奈緒は敬礼のポーズを取った。
それを見て、金子はどことなく安堵したような表情を見せた。
「そうか、とにかく、また会えてよかったよ。これから二人でまたデートに行くのかい?」
「うん。これからあっちこっち、ブラブラと歩いていこうかな?」
「今日は暑いから、これでも飲みながら行っておいで。お互いラブラブになりすぎて、熱中症にならないよう気をつけるんだよ」
金子はそういうと、冷蔵庫から冷たいペットボトルのお茶を2本取り出し、健太郎と奈緒に手渡した。
「アハハハ、金子さん、お上手ね!『ラブラブ』だって。欧米か!ってね」
奈緒は大笑いし、懐かしいギャグを交えながら金子の背中を叩いた。
金子は照れ笑いしていたが、突然首を振ると、真顔に戻り、じっと奈緒の顔を見ながら、問いかけた。
「奈緒ちゃん」
「何?金子さん」
「また、これからもお盆にはここに戻ってくるのかい?」
「さあ、それは、どうかな……」
「そうか。じゃあ、心の奥でまた会えると、ちょっとだけ期待していいかな」
「いいともォ!って言いたいけど……」
奈緒の言葉が止まった。
しかし、金子は敢えて奈緒を問い詰めなかった。
「そうか、分かった。とにかく、久しぶりに会えてうれしかったよ。二人で楽しい時間を過ごしておいで」
「うん!行ってくるね!」
奈緒は、大きく手を振ると、片手でペットボトルを持ち、片手で健太郎の手を握り、身体を健太郎の方に寄り添うように、そっと斜めに倒して歩き始めた。
表に出ると、外はすっかり闇のとばりに覆われていた。
二人は足元に気をつけながらも、集落へと続く近道であるあぜ道を歩き出した。
時折、二人の目の前を、何匹かの蛍が舞い踊っていた。
「わあ!螢だ!こんなにいっぱいいる~!」
奈緒は健太郎の手を離すと、無邪気な顔で螢を追いかけ始めた。
白い手に止まった蛍の放つ小さな明かりは、奈緒の顔をほの薄く照らしていた。
「すごい!奈緒の顔、蛍の光に照らされてる!」
「ヘヘヘ、ちょっと不気味で怖いでしょ?」
「そ、そんなことないやい!不気味な奈緒の顔も俺は好きだよ!」
二人は童心に帰って螢を追いかけているうちに、あぜ道を抜け、中川の集落へと出た。夜も更けたからか、迎え火が消えた家が多かった。
家々の窓から差し込むわずかな灯りを頼りに、二人は集落の中を歩いた。
奈緒は、ペットボトルのお茶を飲みながら、色々なことを楽しそうに話してくれた。
高校時代の合唱部の同級生のこと、幼い頃に亡くなった父親に連れて行ってもらった釣りのこと、そして健太郎とデートした時のこと。
色々話すうちに、二人は奈緒のお墓がある墓地の入口にたどり着いた。
「今日は遅いから、ここでお別れかな?」
「うん……本当はもっと話したいし、一緒にいたいけど」
奈緒は、健太郎の腕に自分の腕を絡め、顔を健太郎のシャツの中にうずめた。
「でもさ、俺、こうしてまた奈緒に出会えて、話ができて、本当に嬉しかったよ」
「私も、健太郎くんとまた会えて、お話できて、すっごく嬉しかったよ……」
そう言った後、奈緒は健太郎の方に向き直り、そっと顔を近づけた。
健太郎の胸が突然高鳴り始めた。
奈緒の顔が近づくと、健太郎は目を閉じ、唇をそっと奈緒の唇に近づけた。
少しずつ、徐々に、奈緒の唇が近づいてきたその時、奈緒は突然、健太郎から目を逸らし、横を向いてしまった。
「え?奈緒、どうしたんだい?急に……」
健太郎が慌てて奈緒の体をそっとさすったが、奈緒は無言のままだった。
その時、まるで吐息を吐くかのように小さな声で、ようやく奈緒が言葉を口にした。
「ねえ、健太郎くん。みゆきちゃんとは…上手くやってるの?」
「え?」
健太郎は、奈緒の言葉を聞いた途端、身体が石のように動けなくなった。
「結婚したんでしょ?みゆきちゃんと」
「ま、まあ……そうだけど」
畳みかけるように問いかける奈緒に対し、今度は健太郎が何も言えなくなってしまった。
あれほど陽気に会話していた二人はそれ以上何も言葉を交わさず、墓地へと続く林の中に棲むフクロウの低い声のみが響き渡っていた。
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