3

 一目見るだけで死に至るような異形エネミーがいるという。

 そんなものがいてたまるかと、オレは其奴の言葉を一蹴した。



 空間が歪み、全ての均衡が崩壊する。

 視界の端に、歪で証明し難い何かが映り同時に世界が反転した。

 地が天に、天が地に。

 一体何が起きたというのか。

 右耳に内蔵されている通信機から音声が聞こえる。

『セキュリティーゲートを展開! ネットワークを切断して! キロギー! 聞こえてる⁈ キロギー!!』


 ――ああ、どうしてこんなことになったんだっけ。


 朦朧とする意識の中で最後に、最期に見たものは到底言葉では言い表せないほどの異質さと底の無い恐怖を具現化したような「形容し難い何か」だった。







比較的快晴と呼んでも良い程度には赤色の砂嵐が視界を遮らない散歩日和に、本来非番だった僕ら「零班」は運悪く我らが所長のお呼び出しを食らってしまった。

「休みの日まで二人の顔なんか拝みたくないんだけど〜」

「奇遇だな、僕も同感だ」

 サイクロン共通のジャケットに腕を通しながら僕とビアンカが悪態を吐く。

 今僕らが向かっているのは、シェルター増設補助対策本部「ARES」最上階に鎮座する所長室だ。

「二人とも口を慎めよ、オレたちの映像は逐一管理室に送られてんだから」

 やけに緊張した面持ちの零が僕らを窘める。

 仲間の首が飛んだ時も自分の腕が千切れた時も対して狼狽すらしなかったが、どうやらそれ以上に所長に呼び出された事の方が恐ろしいらしい。

 僕は慈悲の心を持ってビアンカと目を見合わせて互いに肩を竦めた。


 白一色の無機質な廊下を進み、自動昇降機エレベーターの箱に入る。

 パネルに手の甲を翳すと同一箇所に内蔵しているチップが反応して個人認証が完了した。

 同時に音声ガイドが流れる。

『目的地はどちらですか』

「五階の所長室だ」

『了解致しました。五階、上へ参ります』


 所長室の扉は、何故だか古めかしい木製で作られている。

 とは言っても機能は周囲と何ら変わりないため、自動昇降機エレベーターの時と同様、手の甲を翳すと「ピッ」という電子音と共に間髪入れず扉が開いた。

 部屋の薄暗さと目に痛いほどの明るさが僕らを覆う。暗闇と電子の光に目が慣れるのに数秒かかり、それからようやく部屋の全貌が見えた。

 壁一面に複数のモニターが設置してあり、そのモニターだけが部屋を照らす唯一の光源になっている。

 モニターに映っているのはARES内部の他に、シェルター内の至る所にも設置している監視カメラの映像だった。映像を弄れば道行く人の顔は勿論、一通りの情報が得られるようになっているらしい。僕らにはその権限がないから詳細は解らないが。

 所長はモニターを背負うように僕らと向き合っていた。逆光で顔は見えない。

「失礼致します、ビアズリー所長! ファースト、トゥエンティーファースト、ナンバーアキ、三名只今参りました!」


「……うんうん、よく来たね」


 ビアズリー所長の穏やかな声を聴覚が拾う。

 僕の頬を冷や汗が伝った。

 さすがに気が抜けない。

 子供をあやす母親のように優しくて心地好い声。本当に、目の前の人が母さんだと錯覚してしまうほどに。

 けれど決して見誤ってはいけない。

 そもそも僕らに母親なんて存在は初めからいないのだから。

「先の討伐戦で唯一戦果を上げた班だと聞いているよ。よくやった、さすがだね。……そんな君たちを見込んで頼みがある」

 所長の背後、そして僕らの目の前にある比較的大きめのモニターの映像が切り替わった。

 おぞましく蠢く何か。黒い影のようなものから幾本もの触手が生え、緑色の液体を垂らしながら此方へと伸びる。

 突如、映像が乱れたかと思った次の瞬間、ぷっつりと途切れた。

 見覚えのある異形エネミーだった。


 気持ち悪い。


 胃の中のものをぶちまけるところを何とか抑え、飲み込んだ。喉が焼けるように熱い。

 これが不快感だと気づくのに数秒かかり、さらに所長は「記録データの日付は新しいだろう」と柔らかな口調で問い掛けた。

「これが先日の討伐戦で出た異形エネミーだよ。視認しただけで脳内に擬似ウイルスを送り込むタイプの汚染型のようだ」

「……擬似ウイルス、ですか?」

「そう、擬似ウイルス。ウイルスであってウイルスではない。端的に言うと私たちのネットワークをジャックしてウイルス汚染に侵されたかのように錯覚させ、再起不能ログアウトさせた状態であの触手からウイルスを送り込むみたいだ。……と、研究員は言っていたかな。新手の旧世界の異物……呼びにくいから私は彼らに『クトゥルゥ』と名付けた。どうだい、センスあるだろう?」

「はい、さすがです」

 応えたのは僕だ。

「気持ちのない返事をありがとう」

 所長がにこやかに笑う。

「そこで本題だ。端的に言うとアレの調査を頼みたい。無理難題を言っているわけじゃないんだ。危険だと思ったら即刻退避、場合によれば調査中止でも構わない。何でもいい、今はとにかく解析するべき情報がひとつでも欲しいんだよ。それはきっと……この世界を大きく変えるかもしれないから」

「世界を変える……? それは一体……」

「さぁね。知りたかったら任務を終えてきなさい」

 上手い人だ。

 欲しい情報は手に入らない方がおかしいようなこの世界でまだ未知のものがあると期待させて、それは自分たちの力に懸かっているという。

 誰だって好奇心には勝てない。

「請け負ってくれるね?」

 僕らの答えは一緒だった。


「はい」

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サイクロン・アイズ ~ One memory ~ 喜岡せん @yukiji_yoshioka

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