2
僕らがいる施設は全部で四つの建物で構成されている。
一つ目に、先程僕とビアンカが居た「研究所」。
それから施設の関係者が寝泊まりをする「第一寮棟」及び「第二寮棟」。
寮棟は二つの渡り廊下で繋がっており、地下へ下ると研究所への抜け道もある。
最後に、僕ら「サイクロン」と呼ばれている140名から構成される組織、シェルター増設補助対策機関の本館、通称「ARES」。
研究所を抜け、コンクリートばかりで無機質な中庭を通り、ARES内部にある自動エレベーターで四階の食堂へと向かう。
その間僕を侵食するウイルスが唸り声を上げていた。
「……うう、お腹空いた……」
「お前……講義後も何か食ってたじゃねぇか。エネルギー変換効率の問題か?」
隣にいる同期で
「相変わらず食いしん坊だね。施設の食糧が底を突くのも時間の問題じゃない?」
零と僕の真正面に立ち、扉を背負ったビアンカが明度の高い小麦色の髪をツインテールで結い上げながら言った。
「失敬な、ちゃんと自重してる。僕は二人と違って頭脳派だから他人よりも変換量が大きいんだ」
「どうだかな。
「そうそう! サオたちの
「……考えとく」
そうこうしているうちにエレベーターの上昇が止まり、自動でドアが開いた。
食堂特有の食べ物の匂いが直接僕の臓器を襲う。
この匂い……様々な調味料を駆使して作られた最上級のソースの香りと……食用だからこそそそられる焼けた肉の香ばしさ……今日のメインメニューは
「肉……」
「あ、おい、サオ!」
目指すはただ一直線。
僕は何一つ迷うことなく注文口へ駆けた。
*
口内に広がる濃厚な味。厚く柔らかい肉と絡み合うソースは、きっと最適な数値で計算し尽くされているに違いない。
少なくとも僕の幸福数値は際限なく過去最大点を叩き出している。
「……幸せの味がする」
なんという奥深さ。此処が施設外の
ARESに対しては思う所ありだが、食堂に関してだけは捨てたものじゃないなと痛く関心してしまう。
「ふふ……ふふふ……………」
「ほんっと、いつも気難しくてどチビで冷静沈着なのに食事の時だけは子供みたいだよね〜、笑う」
人工的に生成された木材に釘打ち、削り、組み立てられたテーブルと椅子に僕らは向かい合って座っている。
正面には零、零の右隣にはビアンカといういつもの順番だ。
「此処までくるといよいよ病的だな」
「…………はんはふぉ」
ナイフとフォークなんてめんどくさい所作を取っ払ってがっつきたい気持ちを何とか抑え、ひと口を味わいながら噛み締める。
しかしそれでも腹は減るんだよなぁと頭を悩ませていると、暗い顔をしたビアンカが徐に口を開いた。
「ご飯時に悪いんだけどさぁ〜、昨日何があったか教えてくれないかな? 知った顔が減ってる気がするんだよねぇ」
「ビアンカ、それはだな……」
「………………みんな
僕は施設長に報告したままの言葉を伝えた。傍のグラスに入れられている水をひと口飲む。
ビアンカが息を呑んだ。
それを首肯と受け取り、僕は話を続ける。
「研究所にいる人達はさっきのビアンカと同じで適合機体待ち。今は
そういう人はバックアップソフトから随時データを引き出して新しいメモリに移し替えているんだけど、
「……その希望がある奴らすら、ほんのひと握りだぜ」
零が苦笑いを浮かべた。
「昨日鉢合わせした異形だが……あれは最凶最悪だ。精神汚染を受けた
バックアップを取り損なった人達はみんな阿呆だ、とは僕は思わない。
バックアップに費やす時間は人によるけれどおよそ一時間程度だ。その間は情報の行き来を無くし、
要するに、何も出来ず暇なのである。
その怠惰が仇となったのか。
午前中に受けた世界史の講義で出てきた「旧世代が怠惰だったから」との言葉を思い出した。結局元々は旧世代の生き物なのだから、僕らの怠惰は「旧世代の遺物」なのだろう。
「まあ、誰もあんな規格外と鉢合わせするなんて思ってなかったんだから仕方ないよ。それに、
そうだ。
ただ、データ量に見合う機体が居ればの話だが。
「サイクロンは全部で140いるんでしょ? 無事なのはどれくらいなの?」
「……ざっとで50だ」
「……そっか。キロギーも
ビアンカが長い睫毛を伏せた。
「悲観することないよ」
僕の言葉に二人が顔を上げた。
「データベースを構築さえすればまたみんな戻ってくるし」
「……サオはいつもそうだね」
「は?」
「莫大な
「……そりゃ機体が変われば外見は違うけど」
眉を顰める。直後空気を振動させるほどの衝撃が僕らのテーブルを揺らした。
飲料水を入れたグラスが音を立てて振動し、ヒビが入って割れ、とくとくと水が零れていく。
「落ち着けビアンカ。……それと、今のはサオが悪い」
隣の零が溜息を吐く。
零がそう言うのならそうなのだろう。一体何が悪かったのか僕には検討も付かないが、僕らには聴こえない周波数で唸るビアンカに「軽率だった、ごめん」と頭を下げた。
「……あたしこそ、ごめん。別に、サオの生き方とか、考え方を否定する心算はないんだけど」
陰鬱とした空気が僕らの間に流れる。一秒、二秒と流れる時間が僕には永遠にさえ感じた。
とうとう感覚がバグったかと憂いた瞬間、今度は空気をぶち壊すように零がおちゃらけて言った。
「お~いビアンカ~、そこは一発殴るぐらいしとけ~。たまにはこの馬鹿に愛の鉄槌でも振り下ろしとけ~」
「……ビアンカに殴られると物理的に
「そうよ、サオなんか私の
「はは……」
実際にやってしまいそうな所が怖い。
けれど、人間の数だけ千差万別な思想や理念を根本から否定せず、それどころか理解しようとさえする性格は確かにビアンカの美徳だ。と、僕は考える。
「ま、めんどくさい話の続きは食事が終わってからにしよ! いただきま~す!」
「……僕、拭くもの持ってくる」
話し込みながら食べ続けていた僕は既に食べ終えていたので片付けのついでにと席を立つ。
自動洗浄機に突っ込み、横に掛けられている布巾を手にして再度席へ戻ると、頬に詰め込んだまま微動だにしないビアンカの姿が目に入った。
余程美味しかったのだろうか。気持ちは解る。
ゆっくりと咀嚼し、呑み込んで、一息を吐く。
それから出来の悪いロボットのようにゆっくり顔を上げて呟いた。
「……味がしない」
こういう時の脳内演算は呆れるくらい優秀で、僕ら三人は揃って同様の答えを導きだした。
――神経回路のバグ。
「異常アリアリじゃ~ん!」
ビアンカが天井を仰ぐ。
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