第2話 古河さんと肉まん(後編)

 翌日、古河は件の中華屋に立ち寄り、いつもの赤い袋を鞄に詰めたまま、足早に公園の外れへと向かった。


 タヌキが偽情報を掴ませたことについて、問い詰める必要がある。そういえば貢いだビワだって、取られ損だ。もともとタダで拾ったことはこの際、ちゃっかり置いておくとして。


 いつもの休憩用ベンチへ彼女が腰掛けると、建屋の裏手から、いつものタヌキの霊が歩いてきた。なんだか見る度に恰幅がよくなっている気がする。霊が太ることなんてあるのか、今度聞いてみよう。


「肉まん。だめだったよ」


 挨拶もなく、いきなりクレームから入る。社会人になって覚えた無駄な交渉スキルのひとつだ。もっとも、タヌキ相手に通用するとも思えないが。


「だから言ったじゃろ。あれだと」


「なんなの、その、”アレ”って」


 古河は眉根を寄せる。


「あの犬が肉まんを食べたいわけではないのじゃよ。あとはもう、実際に視たじゃろ」


「……それって、あの犬が肉まんを食べさせたいのは、あのお婆さん、ってこと?」


「かもしれんなあ」


 タヌキの表情なんて理解できる人がいるとはおもえないが、その言葉からは訝しげなトーンが聞いてとれた。


「かもしれん。ってあなた死んでるとはいえ、タヌキでしょ。イヌ科のお仲間でしょ。同胞のよしみで、ちょっと直接聞いてみてよ」


「やれやれだわい・・いつぞやも言うたが、あまり余計な首をツッコむものではないぞ」


 タヌキはそう言い終えると、薄暗い建屋の裏手へと消えていった。



 「───これで犬の方はよし。まあ私の方も、直接、あの人に聞いてみた方が早いかもね。」


 彼女は休憩用ベンチから立ち上がり、その足で例のベンチの方へ向かった。


 時間もいつもの昼下がり、彼女の推測通りであれば、あの人がいるに違いない。


 公園はさして広い敷地ではないものの、中央の池を回り込むので、移動に数分はかかる。初秋の茂みにはアブラゼミはとうにおらず、ツクツクボウシだけがその声を響かせている。彼女は、ここの公園を散歩するのが嫌いではなかった。


 木陰を選びながら歩くにつれ、視線の先にベンチが見えてくる。


「やっぱりいる。間違いない。あの人、毎日あそこに来ている」


 視線の先には、黒いサマーセーターを着た、先日の老婦人の姿が見えた。


「あら……すみません。一昨日もここでお見掛けしましたよね」


 古河は自然な風を装って、話しかけてみた。


「……」


 返事はない。例えば耳が遠いのであれば、耳を寄せてくるはずなので、どうやら聞こえている上で、スルーされているようだ。


 よろしい。ならば、もういっそそのまま聞いてしまおう。


「この肉まん、見覚えありませんか?」


「何故あなたがそれを聞くのですか?」


 冷たい声だ。あまりよく思われていないのを声のトーンから感じる。


「昨日、この袋を見て、随分と驚かれていたようなので。私、なにか悪いことをしてしまったかな?と思いまして」


「それはお気遣いありがとう。でも、あなたには関係のないことです」


 にべもなく返されてしまった。


 もう少し喰い下がってみるか……とも思ったがこの場は止めておく。


 あまり警戒されても良くない。こういう時、死人に比べ、むしろ生きている人間の相手をする方が、よほど面倒なのは間違いない。


 古河は赤い袋から肉まんを取り出し、無心に食べ始めた。


 あんなに美味しかった肉まんも、最近ではなんだか美味しくなくなった気がしていた。


 これは、4日も連続して食べているせい。そう思いたかった。


****


 翌日、古河は中華屋には寄らず、公園の外れへと直接向かった。


 いつも建屋の奥から面倒くさそうに出てくるタヌキが、珍しくベンチに前でだらけている。まあ幽霊なのだから、いつも建屋の奥から歩いてくるのも、ただの小芝居に過ぎないとは思うのだが。


 普段は鷹揚おうようとしているタヌキが、珍しく自分から話しかけてくる。


「察しの悪いお前でも、もう気がついたじゃろ」


「ええ。あのイヌは、あのベンチに憑いてるわけじゃない。あのお婆さんに憑いてる」


 古河にも、おおよその推測はついていた。よくよく思い返してみれば、あの犬との最初の出会いの時も、老婦人はあのベンチのそばにいたのだ。


「もうわかったのなら、余計なことをするでないぞ」


「そう言われても、こんなの放っておけるわけないじゃない」


 もし、今のやりとりの様子を誰かに目撃されていたら、延々と独り言を言っているように見えるのだろう。気づけば彼女は感情的になり、少し声を張ってしまっていた。


「ならば人間のことは人間同士で解決するのがよかろう。ただしあの犬は・・」


「・・・わかってる。首を突っ込んだ以上、それぐらいの気は回すわ」


「あの婆さんは、爺さんと二人でよく、この公園に犬の散歩に来ていたんじゃ。それはもう仲睦まじくての。よくあのベンチに並んで座って、あの肉まんを食べておった」


「じゃあ!どうして?!」


「人間の考えることは、わしにはわからんよ」


****


 タヌキにはぐらかされた後、公園から帰る足で、中華屋に立ち寄った。いつもより遅い時間のためか、店頭に並ぶ客の姿もない。まあ、そのタイミングを狙っての訪問だから、計算通りだ。


 それにしても4日。4日連続で肉まんを買えば、店主の方も声を掛けてくるというものだ。


 「おっ。お嬢ちゃん、今日は遅かったね。肉まん、まだ残ってるよ」


 顔だけじゃなく、いつも買っているものまで覚えられている。


 店主は高齢ではあるが、この手の飲食店の店主というのは、客の顔を良く覚えている。きっと、あの老婦人のことも覚えているに違いない。


「はい。それでは、いつもの肉まんをひとつ下さい。あっ、肉まんと言えば……それと、あの……以前、柴犬を連れた老夫婦が、ここによく買いに来られていませんでしたか? たしかご婦人の方は、黒いサマーセーターがお似合いで」


「ああ、よく来てくれてました。いつみても仲が良くてね。よく覚えてますよ」


 聞けば、やはり覚えているようで、昔からお店に来てくれる夫婦で間違いないようだ。あとひとつ、大事なことを聞いておこう。


 私は霊が視えはするものの、生前どんな色をしていたのかはわからないことが多い。あの犬の霊も白く煙っていて、生前の毛色が古河には解らなかったのだ。腹毛と明るさが違うので、白柴という可能性は捨てていたが、赤柴か茶柴か黒柴かがはっきりしていなかった。


 「えっと…あの柴犬、すごく可愛かったですよね。たしか……茶芝でしたっけ?」


 多くの場合、黒と赤を見間違える人はいないだろう。それであれば、中間の茶色でかまをかけるのが自然だろう。


 「ん? たしかあれは茶というより赤柴だったんじゃないかねえ。さっき、あなたが黒いセーターって言ってたけど、奥方がよく着てたセーターは明るい茶色だったから、覚えてるんですよ。犬とお揃いなのか、ってね」


 よく二人で犬を連れて店に買いにきては、「婆さんが、ここの肉まんが大好きでな。」と爺さんは満面の笑顔で言いながら、肉まんを買っていく。それで、店主もよく覚えていたらしい。


 ──ただし、ここ半年ほど前から、姿を見掛けていないらしいのだが。


****


 翌日、中華屋でいつもの肉まんを買った古河は、いつもの時間に例のベンチへ向かっていた。


 黒色のサマーセーター。


 程なく着いたあのベンチには、あの老婦人が所在なさげにさびしく座っている。


 古河が見掛ける老婦人は、常に黒いサマーセーターを着ている。

 以前は、決まって赤柴とお揃いの色を着ていたはずだ。


 ──つまり婦人の心は。おそらくもう、柴犬から離れてしまっている。


 ここまで来て、怖気づいても始まらない。


 そもそも、見ず知らずの人に話し掛けるのは、あまり得意ではない古河だったが、この場合は仕方がない。覚悟を決めて、話し掛けてみることにした。


「こんにちは。またお会いしましたね。私、最近ここのベンチで肉まんを食べるのが大好きで」


 反応は、無い。古河は構わずおしゃべり好きな女の体で、そのまままくし立てた。


「ここの肉まん、食べたことあります? もうホントにすっごく美味しいんですよ。たしかいつだったか、ここで食べている時に何度か、この袋と同じものを持っている、赤柴を連れたお爺さんと、このベンチで一緒になることもあって。人気あるんだなー、って」


「……それ、おそらく私の夫だと思います」


 よし、今日は会話になっている。前回は肉まんをいきなり取り出したので失敗したが、今回はうまくいきそうだ。


「だんなさん、よく犬に喋ってました」


「そうなの?」


「"あいつはこの肉まんが好きでな…… もし俺がいなくなったら、あいつのことを頼むぞ。"

 って、よくワンちゃんに話しかけてました」


 古河は慣れた作り笑顔で、作り話を更に盛った。


 老婦人はうつむき加減で、表情はわからない。だが、明後日の方向を見つめながら、ゆっくりと話し始めた。


「……あの人ね。あんまりお肉が好きじゃなかったの。


 だから私も彼に合わせて、肉は嫌いってことにしていたのだけれど。


 ある時、ほんの気まぐれで、その肉まんを売っている中華屋で肉まんを買ってね。


 ここのベンチで食べた時に、私ついうっかりして、"美味しい!" って本気で言ってしまったの。


 それから彼はずっと、ずっとそのことを覚えていてね。


 その時以来、私があの肉まんが大好きだと思いこんで、散歩の度に肉まんを買ってくれるようになった」


 ──やはり肉まんは、犬が好きなのではなかった。


 だとすれば、あの犬の目的はきっと…… 古河は嘘を重ねる形で、更にカマをかけた。


「"あいつに元気がないようだったら、この肉まんを食べさせてやってくれ。" と、ワンちゃんによく言ってましたね」


「……。そう、そうだったの。


 あの犬、夫が亡くなってからも、毎日のように散歩をねだってきたの。


 仕方なく連れて出ると、あのお店に引っ張っていこうとしてね……それが私、耐えられなくて……」


 すーっと、背中に冷たい汗が落ちるのがわかる。


 これは、────このまま聞いてはいけない話だ。


 特に、にだけは聞かれてはいけない。


「そ、それじゃあ私はもう行きます!」


 自分から話しかけておいて不自然だが、跳ね起きるように古河はベンチから立ち上がった。その背中に、言葉は続けられた。


「ありがとうね。でもあの人、独りでここの公園に来たことなんて無いのよ。毎日一緒にいたんだから、それぐらいわかるわ。」


 婦人は初めて古河の方を見て、暗く微笑んだ。


****


 酷い気分を引きづりながら、古河は公園の外れの休憩所に向かった。


 いつの間にか日はすっかり傾き、広葉樹の隙間から刺す西日が、休憩所のベンチを茜色に彩っている。


「───最悪の気分。」


 いつの間にか待っていたタヌキに対し、古河はいきなり毒づいた。


 わかっている、これは優しいタヌキの警告を無視した、馬鹿な女のただの八つ当たりだ。


「だから言ったじゃろ。あの犬は、自分を殺した相手があの婆さんだと気づいておらん。」



 鞄に入っている肉まんは、もう冷めきっているに違いない。

 もうこれからは家で食べよう。


 もうあのベンチに近づくのを、金輪際止めたのは言うまでもないだろう。


 ────それと、連日の肉まん生活で、一週間で体重が1kg増えたのも、言うまでもない。またもダイエットは失敗だ。


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古河さんは昨日の霊が視えない かたなかひろしげ @yabuisya

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