第2話 古河さんと肉まん(前編)

 地元駅前の商店街の外れに、小さな町中華の店がある。


 店構えこそ小さいが、道路に面したカウンターがあり、餃子や弁当などを手軽にテイクアウトできる。ランチタイムともなれば、こぞって付近の地元民が並んでいるのを、古河さんは何度か見掛けたことがある。


 店内で食べる時は、老齢の店主が作ってくれるあんかけ焼きそばがすごく美味しいが、テイクアウトとなると話は別。この店の目玉商品は、なんといってもほっかほかの『肉まん』だ。


 控えめな厚さの生地に包まれた具材は、豚肉が中心だが、全体的に塩気が絶妙にほんのり効いていて、ジューシーなのにそのまま一個食べ切っても胸焼けしない。実は少し苦手な玉ねぎが、まったく入っていないという点も相まって、彼女も頻繁に通い詰めるほどのお気に入りになっていた。


 天気の良い日の夕方にはこれを買って、そのままの足で近所の公園に行く。


 木陰の下にある、少し古びたベンチに座り、のんびりとその肉まんをいただく。というのがちょっとした午後の楽しみ。妙齢の女子としては、少々はしたない気もするが、これが美味しいのだから仕方がない。


****


 頃は初秋。近年稀に見る猛暑だった今年の暑さも、ようやく落ち着きをみせ、公園で散歩────という名目のおやつタイムを嗜むには、ちょうど良い陽気だ。


 今日も独り、いつもの中華屋さんで肉まんを買い、のんびりと公園のベンチに座る。日中の日差しで温められたベンチは、まだほんのり熱を残しているものの、木陰に抜ける風は心地良い。


 ベンチに座ると彼女はおもむろに鞄を開け、肉まんの入った紙袋を取り出す。


 この紙袋は中華屋の特製袋で、赤い紙に中央に『豚』の文字の意匠を凝らしたマークがデザインされている。この界隈で、この赤い袋を見かけたら、まず中には肉まんが入っているとみて間違いない。というくらい、地元では市民権を得たデザインだ。


 一見、遠目からみれば、会社で燃え尽きたOLが夕方の公園でうなだれているようにでもみえるのか、彼女に話しかけてくる酔狂な人もいない。この公園の主である、ベビーカーを押す主婦軍団は、砂場前の遊具わきのベンチを今日も占拠しており、古河の座っている方のベンチは、殆ど人気がないのも助かっている。




 ──そんな長閑な平和も、つい先刻までの話。


 今、ベンチで肉まんを握りしめる古河の足元では、うすらぼんやりとした輪郭で、半透明の犬の霊が、ハァハァと大口を開け、空洞を思わせる眼でこちらを見つめている。いや、見ているのは多分、彼女じゃない。この犬はきっと、自分が大事に食べている、この肉まんを熱く見つめている気がしていた。


「柴犬……よね、これって」




 ──古河 透子は、いわゆる「霊」の視える人だ。


 ただし、なんでも視えるわけではなく、視える霊は毎日変わるという、実にぽんこつめいた霊視であり、今こうして視えている犬の霊も、おそらく明日には視えない可能性が高い。


 例えばそれが人間であれば、ある程度のコミュニケーションがとれる時もあるのだが、今日の相手は、犬だ。わんわんだ。


 動物があまり得意ではない彼女にとって、たとえ犬が生前であったとしても、まともなコミュニケーションがとれるとも思えない。しかも彼女はどちらかというと、動物に振り回される側の人間だ。


 そんな状況でも、目の前では肉まんがほかほかと湯気を立てながら、じつに食欲をそそる香りを漂わせている。早々に彼女はその犬と意思の疎通をとることを諦め、目の前の肉まんだけに集中することにした。


 終始、物欲しげに虚ろな双眸そうぼうからこちらをみつめる、柴犬の視線をスルーしながら、その日の残念なランチは終了した。正直、まるで落ち着かず、折角の肉まんの味はよくわからなかったのは言うまでもない。


 この肉まんを包む赤い袋には、肉まん各種のカロリーがご丁寧に印刷されている。今日の肉まんは、512キロカロリーだ。無駄にカロリーだけ摂取してしまったような気分で、なんとも納得がいかない。


****


 翌日の夕方、古河は昨日の公園の外れを歩いていた。

 手には、近所の荒れ地に生えているビワを数個、適当にもいだものを持っている。


 これが一昔前であれば、住宅街になっているビワなどの果物は、近隣の住民によって収穫され尽くしてしまうものだったが、近年は誰のものともわからないビワを、勝手に採って食べる人もいなくなったのだろう。たわわに実ったビワの樹から、適当なものを採るのには、さして苦労をしなかった。


 到着した公園の外れには、もう最近ではあまり見掛けなくなった公衆電話と、それを設置するために建てられた申し訳程度の建屋と、小さな休憩用ベンチがある。


 ゆっくりとその休憩用ベンチへ古河が腰掛けると、建屋の裏手から、でっぷりとよく太ったタヌキが歩いてくる。タヌキとはいえ、その姿は茶色をしていない。


 ────そう、こいつも昨日の犬と同じく、動物霊だ。古河がこのタヌキと会うのは今日が初めてではなく、以前よりこのベンチでよく見掛ける、いわゆる顔馴染みだ。


 しかもこのタヌキは、何故か人間の言葉が話せる。曰く、霊としての格が違うのだ、と偉そうには言うけれど、どうにも怪しい。とはいえ、この公園周辺の情報、とりわけ夜の情報にはかなり詳しいため、近隣で困ったことになった時、特に動物霊絡みでは、このタヌキを訪ねることがあった。


 昨日の犬のことも、なにか知っているに違いない。彼女はそれを目当てにここに来たのだ。古河はベンチに座ったまま、少しかがんでタヌキに相対した。


「ちょっと聞きたいことがあるのだけれど」


「その手に抱えているものを、お礼にくれる、ということで良いのかの?」


 目ざとい古狸ふるだぬきだ。もう手に持っているものがバレたか。彼女は手に持ったビワの中から、大きなものを選んで、一つを足元に転がした。


 転がったビワは、タヌキの目の前ですっとかき消えた。度々、このタヌキの霊にはこうして食べ物をやっているが、いつもこうして食べ物が目の前で消えるのは、本当に不思議だ。


「あの犬のことじゃろ。関わるのはやめておけ」


「なによそれ。昨日のを見てたのなら、教えて。あの犬は何が欲しいの?」


内心、古河にもこの質問は、自分でも答えの予測が付いていた。


「・・・ほら、お前が昨日食べていただろう。あの犬が欲しいのはあれじゃ」


「あれって・・やっぱり肉まんなの?」


「──警告はしたからな」


タヌキは残りのビワをねだるでもなく、芝居がかったように、口角の端を上げると、背を向けて、建屋の裏へと静かに去っていった。




古河はベンチに座ったまま、しばし考えていた。


余計なお世話? そんなことは自分だってよくわかってる。

でも、たかだか肉まん一個であの犬が満足して、成仏できるのであれば、安いものじゃない?


なにより、ようやく出来た密かな楽しみである肉まんタイムを、毎回犬の霊に邪魔されるのは、ちょっとつらい。


****


 翌日。古河はいつもの中華屋で肉まんを買い、例のベンチへと座った。


 まだ陽は高いというのに、隣の草むらでは、少々気の早い虫がチリリリリと、か細い鳴き声をたてている。まだ本格的な秋の訪れにはしばらくある。本調子ではないのだろう。


 今日が、あの犬の霊が視える日なのかは、わからないが、今日視えなくても別にいい。


 それならそれでいつものように、普通に美味しく、ベンチで肉まんを食べるだけだ。彼女は、自分にそう言い訳しつつも、今日もここに来ることを決めていた。


 今日は2脚あるベンチに先客がいる様で、片方のベンチに、小柄な老婦人が腰を掛けていた。


 見れば髪は既に白くなっているものの、丁寧に整えられており、カジュアルな服装ではあるが、それなりに裕福な暮らしをしているのが、古河からも見てとれる。ふと思い返せば、そういえば老婦人が着る黒色のサマーセーターは、一昨日もここで見掛けた気がした。


 ──まあ、隣のベンチで肉まんをかじるのは問題ないだろう。


 古河はそのままベンチに座り、鞄から肉まんの入った赤い紙袋を取り出した。


 肉まんは中にまだ、その熱を残しているようで、赤い紙袋越しにもその温かさが手に伝わってくる。


 すると、隣のベンチに座る老婦人が、肉まんの袋を取り出したことに気づいたようで、少し身体をびくっとさせた。


 そんなに驚くことではないと思うが、隣の女がベンチに座るなり肉まんを取り出せば、まあ多少は驚いても仕方がないか、と古河はひとまず手を止め、赤い紙袋を鞄にふたたび押し込んだ。


 その後、視線の端で老婦人の様子を伺っていたが、特に目立った反応はないようなので、ふたたび紙袋を鞄から取り出してみる。すると、今度は特にこちらを気にする様子はみられない。


 ようやくこれで肉まんが食べられるか、と本来の目的を忘れかけていたところで、ベンチの横にいつの間にか、いつぞやの犬の霊が座っていることに気がついた。今日は先日のように、口をだらしなく開いていない。


 待ち人来たる、ではなく待ち犬来たる、といったところか。


 古河は待ってましたとばかり、自慢げに肉まんを袋から出し、両手に持つと、犬の霊はまた熱い視線を古河に送ってきた。いや、この犬の場合、眼球のあるべきところは空洞なので、視線があるのかどうかはわからないが、まあ細かいことはいいだろう。


 やはりタヌキの言う通り、この犬の霊は、肉まんに反応しているということで間違いがなさそうだ。


 古河は犬の様子を見ながら、ベンチの上にそっと肉まんの入った赤い紙袋を置いた。


 犬の目的がこれであれば、なにか起こるはず・・・


 だが、犬は赤い紙袋に低く唸り声をあげるばかりで、まるで噛みつく気配はない。


 例えばあのタヌキの目の前に食べ物を投げれば、あっという間にかき消えたりするのだが、この肉まんの様子に変化は見られない。


 ──なにかがおかしい。古河は一旦、肉まんから視線を外し、犬の様子をよく観察してみることにした。


 「ウゥ・・・」


 犬は、赤い紙袋だけではなく、隣に座っている老婦人に対し、交互に低く唸っている。


 そこに敵意のようなものは感じないが、なにかを伝えようとしているのは間違いがなさそうだ。


 一方、犬の霊は老婦人に視えていないので、老婦人はとくに気にしている様子もない。


 そんな様子をみて、彼女がひとしきり悩んでいると、隣のベンチに座っていたその老婦人は、突然に立ち上がり、足早にその場を立ち去ってしまった。


 古河が来る前、老婦人は座ってなにかをしていた風ではなく、おそらくは休んでいただけだと思われ、いつ立ち去っても不思議はない。不思議はないのだが、肉まんの袋を出したのを見て、明らかに動揺していたのは確かだ。


 老婦人に気を取られ、足元を見ると、犬もいつの間にか姿を消してしまっていた。


 あの犬は肉まんを求めているのではなかったのか?


 明確に、老婦人にも唸っていたので、恐らくあの人も無関係ではあるまい。



 老婦人も立ち去り、犬も消えてしまっては、今日はもう出来ることはない。


 かくして彼女は今日も無駄に、512キロカロリーを食べること相成った。冷めても肉まんは美味しいのが救いだ。


 いくら美味しいとはいえ、このまま高カロリー生活を続けるのも、良くはないだろう。なにしろ古河のダイエットは絶賛継続中だ。駅のホーム階段だって、いまだに走って登っている。


「──これは、タヌキのやつにちゃんと説明してもらう必要がありそうね。」




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