第2話 蛙

僕の名前は水野勇気です。八歳です。先月小学三年生になりました。

今の僕は“井の中の蛙大海を知らず”です。

今の僕は井戸の中の蛙さんです。

僕は小学二年生の時から、クラスのみんなに無視をされていました。

でも僕の名前は勇気。とても悲しかったけど勇気を持って毎日学校へ行きました。

学校を風邪でもないのに休む事は良くない事です。大人でもそれは同じです。

そう先生から教わりました。お父さんも仕事を休んだ事がありません。

心が風邪をひいているみたいだけど、熱は無いので毎日学校に行きました。


僕はみんなに悪い事をした覚えはないけど、みんなにごめんなさいをしました。

誰からも返事は返って来ません。

誰も僕を見てくれません。

みんなには僕の姿は見えていないようです。

みんなには僕の声は聞こえていないようです。

僕の中で何かが音を立てて壊れる音がしました。

心臓があるところがズキズキと痛いです。でも怪我はしていません。

保健室の先生にも見てもらいました。

少しだけ休もうねと、保健室の先生はお母さんを学校に呼んでくれました。

僕は風邪も怪我もしていないのに、ずる休みをしている気分がしました。


次の日。僕はランドセルを背負っていつも通り勇気を持って学校に行こうとします。

お母さんはもう少し学校をお休みしてもいいよと言ってくれました。

でも僕はずる休みをしたくないので、いってきますと言ってお家を出ようとしました。

お家の外へ出ようとした瞬間、僕の足は玄関に根っこをはりました。

一歩も前に進みません。玄関のドアを開けられません。

何回試しても結果は同じです。僕の足はお家の方には動くのに、外には動いてくれません。

急に気分が悪くなりました。また心臓があるところがズキズキと痛いです。

目の前が真っ暗になりました。朝ごはんで食べたパンを全部吐いてしまいました。


お母さんは慌てて僕を助けてくれました。

僕はこの日から学校に行くどころか、お家から出られなくなりました。

お父さんもお母さんもずる休みをしている僕を怒ってきません。

担任の先生も時々お家に来てくれましたが、怒ってきません。

僕はずる休みをしているのに、誰も怒ってきません。

先生は嘘つきです。


季節は夏になりました。

お母さんは毎日、僕の部屋に来てくれます。

色々なお話をしてくれます。

お母さんは僕がお家にいても退屈しないよう

色々な本を買ってきてくれます。

お父さんはお母さんには内緒なと言って

時々ゲームソフトを買ってきてくれます。

お父さんもお母さんも時々来てくれる担任の先生も、みんな優しいです。

ずっとお家でずる休みをしているのに、みんな僕に優しいです。


僕はゲームが大好きです。学校から帰ってきてからの一番の楽しみです。

でもお父さんには悪いですが

学校に行っていた時より、ゲームが全く面白くありません。

なので、お母さんが買ってきてくれる本を読みます。


本の中に”井の中の蛙大海を知らず”とありました。

お母さんに意味を聞きましたが困った顔をして教えてくれなかったので

自分で、国語辞典で意味を調べました。


“狭い世界に閉じこもって、広い世界のある事を知らない“

“狭い知識にとらわれて大局的な判断のできないたとえ”


と国語辞典に書いてありました。

二番目に書かれていた意味は僕にはよく分かりませんでしたが

一番目に書かれていた意味は僕でも分かりました。


僕はずっとお家に閉じこもって、外の世界を知らない。

僕は、本当は人間じゃなくて、井戸の中の蛙さんなのだと思いました。

でもそのことわざには続きがありました。


“されど空の青さを知る”


閉じこもっているからこそ、見えてくる世界もあるそうです。

僕もお家にずっと閉じこもっているので、窓の外から空をよく見ます。


空は色々な表情をします。

元気な青色の時もあれば

少し元気のない水色の時もあります

風邪を引いたみたいに灰色にもなります。

時々、空も人間と同じように泣きます。

夏になってさっきまで元気な青色だったのに急に真っ黒になります。

黄色の叫び声とともに、大粒の涙を流して泣きます。

お母さんに聞きました。

ゲリラ豪雨というそうです。

僕は自分でも調べました。

国語辞典には驟雨(しゅうう)とも書いてありました。

僕はゲリラ豪雨より驟雨の方が、日本語の響きが綺麗だなと思いました。

夏の夕方はとても綺麗です。

普段はオレンジ色ですが

驟雨の後の夕方は朱色です。僕は驟雨のあとの夕方が好きです。

夜の空は月明かりに照らされて、綺麗な紺色をしています。

僕は都会に住んでいるので、お星さまがあまり見えない薄い紺色ですが

田舎では真っ黒な空に、沢山のお星さまが黄色くキラキラと輝いて

とても綺麗だそうです。

僕もいつかは真っ黒な空に黄色くキラキラと輝く沢山のお星さまを見てみたいです。


今日もお母さんが僕の部屋に来ました。

今日はお父さんも一緒です。

お母さんは顔を下に向けています。

お父さんは怒っているときの顔をしています。

きっと僕は今日はじめて、ずる休みをお父さんに怒られます。

僕の井戸の中の生活はもう終わりです。

きっとお父さんは僕を井戸の中から強制的に引き吊りだす気です。


でも意外でした。

お父さんはお母さんと僕を天文台に連れて行ってくれるみたいです。

今の時間、天文台には人がいないから大丈夫だと言ってくれました。

お父さんの顔は怒った顔からとても優しい顔に変わっていました。

僕は時々怖いけど、お父さんの事もお母さんと同じくらい大好きです。

お父さんがそう言ってくれたので、僕は頷きました。

お家の外に出るのは久しぶりです。自然と今日はお家の外に出られました。


天文台に着きました。

空の色は相変わらず薄い紺色です。お星さまはあまり見えません。

その変わり街が色々な色でキラキラと輝いています。

都会と田舎では空と地上が逆転しているみたいです。

車のライト、赤色と黄色、建物の黄色、緑色、青色。

色々な色が交差してキラキラと輝いていてとても綺麗です。

僕はそこで少し大海を見ました。


お父さんが僕の肩に手を置いて優しく話しかけてくれます。


「勇気。あの光の下には沢山の人が生活しているんだ。光の数だけ色々な人がいるんだ。」


お母さんもお父さんに続けて、少し言い辛そうに優しく話しかけてくれます。


「勇ちゃんの事、分かってくれる人もこの世界にはあの光の数だけいるのよ。」


僕は目から汗が沢山でてきました。

心臓があるところがポカポカと温かいです。


お父さんは僕の肩に手を置いたまま、また優しく話しかけてくれます。


「勇気。学校、転校してもいいんだぞ。転校することは逃げる事じゃない。勇気の新しい第一歩だ。もちろんお父さんもお母さんも勇気とずっと一緒だ。」


お父さんは優しい顔でそう言ってくれました。

お父さんの会社では、“てんきんとどけ“というものがあるそうです。

お父さんは“てんきんとどけ”を会社に提出すると、他の街に転校できるみたいです。


僕は思いました。

僕は”井の中の蛙大海を知らず”の蛙さん。

でもお父さんとお母さんは僕に大海を教えてくれました。

大海はとても綺麗な場所です。

僕は井戸の中から出てみたくなりました。

僕はお父さんとお母さんに自分の気持ちを素直に伝えました。


「僕、明日がんばって学校に行くよ。」


お母さんの目からは僕と同じ汗が沢山でていました。

お父さんは黙ってトイレに行きました。さっき行ったばかりなのに。変なお父さんです。


“井の中の蛙大海を知らず”

“されどこの世界の綺麗さを知る”

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