デッキ交換

 冷房の効いたドラッグストア店内の空気が私を誘ったのだと思う。

 普段なら処方箋は家の近くの調剤薬局に出す。わざわざ電車を使ってまで毎月病院通いを続けているが、面倒なカウンセリングを終えたらあとは市街地をぶらぶらして過ごすことに決めている。医者からも気分転換の重要性はしつこく説かれていたし、なにも買わず食べずに帰りの電車に直行できないくらいには貧乏性だった。

 だから、できることなら鞄の中の処方箋は気にしたくなかった。病院を出た時点で私は患者から観光客に様変わりする。少なくとも気分だけは。

 ただ、そのドラッグストアはこの街に来るたびに目には入っていた。その分意識して近寄らないようにしていたと思う。病院の受付でも、新しい患者にはここで調剤するように勧めている。

 ちょうど客がひとり中から出てきて、店内の空気が私の鼻に入ってくる。薬や化粧品の匂いではなく、加工食品の匂い。レジの前に並べられたみたらし団子とバナナが目に入り、私は自然と店に入っていた。

 地元にはこうしたタイプのドラッグストアは見当たらない。インスタント食品と酒の品揃えは、家の近所のスーパーマーケットを凌駕しているのではないか。

 ここがドラッグストアであることを半ば忘れて、私は店内を見て回っていた。よくネットで話題に上るが近所ではお目にかかれなかったカップ麺があった。スナック菓子の値段は近所の店よりも十円以上安い。見たことのない高級アイスクリームが相応の値段で並んでいる。

 冷凍食品の棚を見終えて踵を返そうとした時、私は背後に立っていた人物と思い切りぶつかった。棚をよく見ようと中腰になっていたのがまずかった。相手は屈んだ状態の私の上から同じ棚を見ていたらしかったのだ。

「すみません」

 慌てて謝罪し、衝撃で取り落とした相手のバッグを拾おうと身を屈める。

 バッグからは無数のシールが貼られたページが剥き出しになった冊子が飛び出していた。私は思わずそのページを見て、あっと声を出してしまう。

 冊子の中に貼られていたのは薬局で出された薬の種類と量。これは相手のお薬手帳だった。私が目を奪われたのは、無論その内容だった。見知った薬の名前がいくつも並んでいる。私が出されている薬、過去に出されていた薬と、ほとんど同じラインナップだった。

「ちょっと」

 私にぶつかられてよろけていた相手は、ゆったりと姿勢を正すと、ねっとりとした声を上から浴びせてくる。

「あっ、ごめんなさい。なにも見てません」

 私は散らばった彼女のバッグの中身を拾い集めて大急ぎで返却する。

 彼女は私からバッグを受け取ると、さらにそれ以上のものを求めるように手を差し出してきた。

「あなたのも」

「え?」

 意図がくみ取れず、聞き返す。彼女はひび割れたような笑みを浮かべると、自分のお薬手帳を引っ張り出してひらひらと振ってみせた。

「見せて」

「えっ、いや……」

「私のを見たんでしょう。このままじゃ不公平」

 どういう理屈なのか。彼女がいわゆるまともな精神状態でないことは先ほどの手帳の内容からわかっていた。つまり私もまたイカレている。

 私は自分のお薬手帳を差し出した。彼女は中に素早く目を走らせると、「ありがとう」と言って私に投げ返す。

「ねえ、相談があるんだけど」

 無言で彼女を見つめていると、相手は卑屈に笑う。

「あなたと私の、交換しない?」

 私は初めてそのドラッグストアで処方箋を出した。調剤された一ヶ月――四週間分の薬を持って、近くの喫茶店に入る。彼女とともに。

「私、一週間ごとに病院に通っているの。あなたとは違うところだけど」

 テーブルの上に、ドラッグストアの袋に入った互いの処方薬を出す。彼女が一週間分の薬を差しだし、私は四週間分の薬を彼女に渡す。

「バックレたりしないから。来週もここで会いましょう。あなたに薬をきちんと渡すから」

 彼女と私は連絡先を交換した。それでも逃げることは可能だろう。もし三週間も薬を絶てば、私は間違いなく入院させられるか、死んでいる。

 一週間後、彼女は約束通りにやってきた。律儀に一週間分の薬を渡して、さらには処方された薬が意図せず変わった私の体調の変化まで聞いてきた。

 私たちは薬ひとつで簡単に人格が変成する。

 次の一週間が経つと、彼女はまたやってきた。その日の私はよくしゃべった。前回薬がまた変わったせいで、躁状態に振り切れていた。

 私は彼女を羨んだ。毎週薬を変えられる。違う自分になれる。それほどの治療が必要だと判断されている。

 そのまま彼女をデートに誘った。異様に興奮した状態の私を、彼女は落ち着いてリードし、ふたりでホテルに入った。

 シャワーを浴びて出てくると、彼女はベッドの上に大量の錠剤をばら撒いていた。

 私が彼女と交換した、四週間分の薬だと、すぐにわかった。

「半分あげる。キメない?」

 掌で錠剤をすくい、口にぶち込んで水で流し込む。

 私はやっと彼女の目的がわかった。

 オーバードーズ。もっとも簡単にキメる方法。そのためには、どうしても多量の薬が必要になる。彼女はきっと常習犯だった。だから病院は一週間分しか薬を処方しない。

 彼女はすぐにトリップする。ひょっとすると私がシャワーを浴びている間に別の薬をキメていたのかもしてない。不気味な笑みを浮かべ、私にキスを浴びせようと迫る。

 私が釈然としないままも彼女と唇を合わせると、いきなりえずいて床に嘔吐した。

 彼女はげらげらと笑い出す。私にゲロ臭いキスをして、水と一緒に錠剤を流し込む。

 利用されていたのだと理解する。だが逃げ出すことはできない。あと二週間。彼女に処方される薬を受け取らなければ、私は狂いに戻ってしまうから。

 私は彼女からコップを受け取って、大量の錠剤を飲み込んだ。

 人生初めてのキメセクはゲロの味がした。

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生きてるだけで殺される(殺伐感情戦線参加作品集) 久佐馬野景 @nokagekusaba

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