第8話 自動販売機②

 トレーニングウェアの胸には「朝倉」と名前の入った白い布が縫い付けてある。 

 120円を握り締めると自動販売機に向かって祈り始めた。

「自動販売機さん。お願い、今日こそ当たって。当たったら風間君に好きだって告白するわ。もう来年は高校卒業だし、風間君東京の大学に行ってしまうの。もう時間がないわ。でもふられるのが恐くて勇気が出ないし、お願い背中を押して。お願いします」

 そう言うと祈るように120円をゆっくりと入れ始めた。

『カシャ、カシャ、カシャ』

 投入口からコインの入る音がする。

 120円が表示されるとスポーツ飲料を選び、目を瞑ってボタンを押した。

 軽快な音楽が鳴り光のルーレットが回り始める。

『チャラ、チャラ』と言う音と共にランプが止まった。

 残念、ハズレだ。

「今日もハズレかぁ。仕方がないや。でも良かった。やっぱり告白するの恐いし。じゃあ、又明日ね。自動販売機さん。もう一周しよう」

 そう言うとスポーツ飲料を飲み干し、踵を返し走り去って行った。

『SANUKI』と校名の入ったトレーニングウェアの背中で結んだ髪が元気に揺れている。

 朝もやの中に少女の赤いトレーニングウェアが少しずつ溶け込んで行く。


 宇田川が妙に興奮している。

 オヤジは清純な少女に弱い、それは自分と違うものを持っているからだ。

「カッワイー! オジサン応援しちゃう。何でも言って」

 茜は、そう言うあられもないオヤジの姿を見ると心底情けなくなる。

「みっともない。鼻の下伸ばしちゃって、地面まで着きそうよ。まったく同じ人類とは思えないわ」

「アレ、お前嫉妬しているのか」

「バカじゃない。何で幽霊の一目ぼれに嫉妬するのよ」

「だって、そうじゃないか。他になんか理由あるのかよ。仮説には具体的に数値を持って述べよ」

 京子は、二人のやり取りを黙って聞いていたが、話のレベルにバカバカしくなってきた。

「二人ともいい加減にしてよ。幽霊に人の恋愛を助ける事なんて出来る訳ないでしょ。嫉妬もなにも、どんなに頑張ったってあの時代には戻れないんだから。時間は戻せないの。喜びや後悔があってもそれは『あの頃』と言う自分の歴史に埋もれてしまうだけ。それよりも自分の初恋でも思い出したら。私は小学校だったわ。好きな男の子がいて、でもその男の子は、クラスの別の子に気があるんだと思い込んで勝手にふられてたわ」

 思わぬ切り口が出てきた。

 とにかく三人とも時間を持て余している。

 生きていればデパートは繁忙期なのでこんな事を話しているゆとりはない。

 忙しいはずの時期に思わぬ暇が出来たので時間のつぶし方が分からない。

 宇田川も直ぐ話題に飛びついた。

「女ってそう言う事考えるのか。『誰それはあの人のもの』とか、『この人はあの人とか』勝手に想像してくっつける訳」

「そう言うものなの。好きな人の苗字の下に自分の名前書いたりして。ウーッ、懐かしい」

「オレは中学から男子校だったから、余り記憶がないな。小学校の時に可愛い子がいたけど淡い記憶さ。茜はどうだ」

「あたしの時代はオープンよ。小学生も高学年になると告ったりして」

 京子は目を丸くしている。

「ずいぶんオマセなのねェー」

 勝手に持ち上がっていると又軽快なジョギングシューズの音が近づいて来た。


 自動販売機の中は再び静かになった。

 朝もやの中から青いトレーニングウェアを着た少年が走り抜けて来た。少年は自動販売機の前で止まり軽く体操すると近づいて来た。

 胸には白い布で『風間』と名前が縫い付けてあり背中には『SANUKI』と校名が入っている。

 三人は目は、『風間』と言う文字に吸い寄せられた。

 少年は120円を握り締めると自動販売機に語り始めた。

「自動販売機さん。お願いします。今日こそ当たって下さい。当たったら朝倉に好きだって告白します。もう来年は高校卒業だし東京に行かなくちゃならない。でもふられるのが恐くて勇気が出ないんです。背中を押して下さい。お願いします」

 宇田川は、口の前で両手を丸くして筒を作り小さな声を出した。

「同じ事言ってるよ。さっきの片思いの相手じゃないか」

 茜も口の前に両手を丸くして答えた。

「片思いじゃないよ。両思いだよ」

 京子も同じポーズで答えた。

「何とか助けない」

 三人は目を合わせると親指を立てた。

「イイネェー。」

 意見の一致は見たがやり方が分からない。

 茜が宇田川に尋ねた。

「でも、どうやろう」

「いいから『当たり。』って言っちゃえ」

 京子が首を傾げている。

「でも、ジュース出せないわよ。コンピュータ管理だし。」

「いいんだよ、後で送るとか何とか言って。」

 二人は、呆れている。

「セコッ!でもやるか」

 少年はポケットに手を突っ込み『チャラ、チャラ』と言う金属の触れ合う音をさせて、コインを探し始めた。

 そして、自動販売機に近づきコインを入れようとしたが直前でやめた。

「こっちじゃなくて向こうのほうが良さそうだな」

 そう言うと、くるりと回り路地の反対側にある自動販売機に向かった。

 宇田川が焦れて呟いた。

「バカ、こっちだ。こっちに来い」

 すると、少年は自動販売機の前で振り返った。

「何か言ったかな? そら耳?」

 宇田川は、手のひらを上に向け指を動かしている。

「よし、よし、いい子だ、いい子だ。こっちへ来い。こっちのミーズはアーマイぞ。カモン、カモン」

 よし、もうすぐだ。

 突然、男の子の動きが止った。

 路地の中央で両方の自動販売機を見て少し考えている。

「やっぱり、あっちがいいかも。」

 そう言うと振り返って反対側に向かった。

 京子が熱くなっている。

「アンタのその優柔不断な態度がダメなのよ!」

 茜も同様だ。

「ハッキリしろ。ハッキリ! 朝倉やめろアンナノ。でも、向こう行っちゅうよ。どうしよう」

 少年は上を向いて歩きながら考えている。

 そのとき風で転がってきた空き缶を踏んづけ少年が転んだ。

「イッテェー」

 チャンスだ。

 宇田川が自動販売機の中で京子と茜に囁いた。

「ネズミだ」

 すると二人は口を押さえて、「ウゥープッ」と叫び、思わず飛び上がった。

 飛び上がった二人の踵を掴んで宇田川が向かいの自動販売機の方へ投げた。

 すると綺麗な弧を描き、二人は道路を挟んで向かい側にある自動販売機に吸い込まれる様に着陸した。

 少年は『ヤレ、ヤレ』と言った表情で立ち上がると、トレーニングウェアの後ろを『パン、パン』と叩き京子と茜のいる自動販売機に近づいて来た。

 そして、ゆっくりと120円を入れ始めた。

『カシャ、カシャ、カシャ』

 コインの入る音がする。

 120円が表示されるとスポーツ飲料を選び、目を瞑ってボタンを押した。

 軽快な音楽が鳴り光のルーレットが回り始める。

『チャラ、チャラ』と言う音と共にランプが止まった。

 残念、ハズレだ。

 すると茜が鼻をつまみ機械的な声を出した。

「本日も瀬戸内飲料をご愛顧頂きありがとうございます。ただいま機械が故障の為、モウ一本出ません」

 京子が人差し指を上下させて確認する様に続けた。

「あなたは当たりです。当り! 商品は後日お届けしますので。住所とお名前を書いて自動販売機の取り出し口に入れておいて下さい。今日のラッキー占いは、なんと好きな人への告白です」

 少年は、思いがけない展開に目を丸くしている。

 だがニッコリと笑い、スポーツ飲料を飲み干すと「よしっ!」と言って元気に走り 出し、手を振り上げ時々ジャンプしながら朝もやの中に消えていった。


 その日の夜、三人は再びデパートの事務所に集まっていた。

 京子と茜が宇田川に文句を言っている。

「宇田川さん酷いじゃない。『ネズミ』とかウソついて、思わず飛び上がったわよ。私達危うく見つかる所じゃない」

「あたしだって、どうなるかと思ったわよ。ヤバイッたらないわ」

 宇田川は防戦一方だ。

「そう怒るな。あれしか方法ないだろ。それに、安全確認をしてある。計算してやってるんだ。安心しろ」

 京子と茜は口々に文句を垂れ続けた。

 するといつの間にか宇田川は静かになりテーブルの上に眼を落とした。

 京子と茜がその姿に気づき、尋ねた。

「宇田川さん、どうしたの元気ないわね」

「少し、言い過ぎた?」

 二人が心配して顔をのぞき込んだ。

「ゴメン、ちょっと考える事があって。言ってもいいかな」

「ええ……」と、二人は小さく声を落とした。

「俺たち大事な事をやり残していると思うんだ。確かに三人でいると楽しい。何かミニ家族の様であったかいし。でもそれは現実から目をそむける為の方便の様な気がする。今日はもう23日だ。明日の夕方6時には迎えが来てしまう。日中は行動出来ないから24日の明け方から迎えが来る夕方の6時までは自動販売機の中だ。だから残された時間は、今日しかない」

「そんな事分かってるわよ、あたし達だって」

「茜ちゃん、宇田川さんの話聞きましょ。続けて宇田川さん」京子が柔らかくさとした。

「ありがとう。じゃあ結論から言うよ。俺たちそれぞれに、本当に別れを告げなければならない人がいるんじゃないか。もちろんその人に声をかけたり姿を見せたりする事は出来ないけど一目だけでも見て心の中で別れを告げたい。そう思ってるんじゃないか」

 いつになく宇田川の口調が強い。

 京子も同じ事を思っていた。

「そうね、実は私もそう思っていたの。でもその時自分が冷静でいられる自信がなくて言えなかった」

「あたしも、同じ。もう二度と会えなくなると思うと怖くて。でも現実から目をそむける事は出来ないんだよね、きっと」

 茜も同じ事を考えていた。

 三人は思わず、目を合わせた。

 宇田川が立ち上がって言った。

「よし、それなら勇気をもって会いに行こう。俺たちの大切な人に。そして23日から24日に変わる夜、又ここに集合だ。いいか」

「うん!」

 宇田川の言葉に京子と茜は決意を込めて答えた。

 数分後三人は、人通りのまったく途絶えた深夜のアーケード街に立っていた。

 丸亀町一番街前ドーム広場の真ん中で三人はお互いを見つめ合い、ゆっくりと頷くとそれぞれの方向に分かれて行った。

 宇田川は西へ、京子は東へ、茜は南へと向かって行く。

 十字路の中央から少しずつ遠ざかり、三人の姿が小さくなって行く。

 そして小さな肩が悲しみで少しづつ震えると、3人はやがて透明になっていった。

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幽霊の自動販売機 結城 てつや @ueda1192

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