第7話 自動販売機①

 高松の街は朝の活気に包まれ、少しずつ人が溢れて来た。

 そして自動販売機の中も活気に包まれ、人で溢れかえっていた。

 三人はなんとか自動販売機に潜り込んだものの狭すぎた。

 三人はそれぞれ身体を曲げたり、腕をあげたり、足を引いたりしながら落ち着こうと懸命の努力を繰り返していた。

「ちょっと、宇田川さん変なところ触らないでよ。触ったらセクハラアンケートに実名入りで書くからね」 

「俺だって触ったり触ったりしたくないの。それにもう会社に籍はないからセクハラアンケートはもう書く機会がないの。お生憎さま」

「ちょっと.茜ちゃん、足引いてくれる。私の左足に乗ってるの」

「アッ、ごめんなさい。今なんとかするね」

「オイ、だからと言ってこっちの足に乗せるなよ。何だか狭いしエライ所に入ってしまったなァ」

「あの状況じゃ仕方ないわよ、宇田川さん。夜逃げみたいなもんね。いや、朝逃げか。まぁいいや」

 愚痴をこぼし合いながらも、三人はやっと自動販売機の中で身体を落ち着かせ処を決め始めた。

 茜を先頭に右後ろに京子、左後ろに宇多川と三角形に並ぶこととなった。

「京子さん、何とか落ち着いたわね」

「そうね、でもここは早くリロケーションする方がよさそうよ。私たち幽霊ホームレスにはちょっと狭いみたい。残念ながら」

 少し押されて宇田川の頭が半分自動販売機からはみ出し、その拍子にちらりと外が見えた。

「オイオイ、そんな事言ってる内に早速お客様だぞ。ありゃかなり酔ってるぞ。サアー皆、開店のご挨拶だ。笑顔で『いらしゃいませ』だ」

 前からべろべろに酔っ払った中年男がふらふらと自動販売機に近づいて来た。

 上着のボタンがはずれてチャックのあいたズボンからワイシャツの下を大きくはみ出させている。

 茜がサンプルのペットボトルの間から覗くと、自動販売機に近づく度にだんだん大きくなりその姿が視界に広がって来る。

「ちょっと、宇田川さんふざけないでよ。イヤだあんなの、あっち行けあっちシッ、シッ!」

「お客様を、姿や形で分けへだてをしない。富める人も貧しい人も平等に接客し、夢を提供し続ける。『夢売り百貨店。星越』それが私たち星越百貨店の社訓でしょ。茜ちゃん。お忘れなく」

「ソッ、ソッ、そんな事言うなら京子さん代わってよ。売り場の経験だって長いんだから」

「ごめんなさい私はバイヤー。つまり仕入れ担当。店頭の販売はあなた達の仕事。それに色々な接客も勉強よ。私もそうやって苦労して今がある訳」

「ちょっ、ちょっと宇田川さん。売り場の危機や部下の相談には、マネジャーとして対応するのが管理職の仕事でしょっ。モウ-、お願い」

「おっしゃる通り」

「じゃ、何とかしてよ」

「でも無理」

「ナンデ?」

「もう、前に来ちゃった」

 男がずれたメガネを直して自動販売機の飲料水を選んでいる。

「イヤ、もう徹夜で仕事しちゃってェー。今日休みだし、頭きたから24時間クラブのモーニングサービス行っちゃった。ナント、ビールと酎ハイにトーストとゆで卵がついて3000円。葵ちゃんが『入れて』って言うからボトルも入れちゃった。でもいいんだ。葵ちゃんカァーイー。こんど行ったらおじさん徹夜明けのお髭でスリスリしちゃおう」

「来たよーおッ!ワーン、いらっしゃいませェー。宇田川さん、最悪っす。この先どうせいッちゅうの」

 茜は、ほとんど取り乱している。

 中年男は酒臭い息を吐きかけながら飲料水を選び始めた。

「えーと、桃の天然パー、天然チュー?」

「天然パーはお前だよ」

「いや、最近の自動販売機は種類が多くて迷っちゃうわ。『ありがとうさん、バッタがかあさん』なんちゃって」

「宇田川さん、友達?」

「ちがう、でもなれるかも。意外といい奴じゃない」

「どこが! アーッ!こ いつ変な事始めた」

 コインを入れ、茜の左胸の位置にあるボタンを押そうとしている。

「コノ、コノ、コノ。どこ、さわろうとしてんだよ。このメタボおやじ。ウ、グッ、グッ、グッ」

 宇田川が必死になって茜の口を押さえている。

「茜、静かにしろ。自動販売機に俺達いるのバレたらどうするんだ」

 茜は、男の頭を引っぱたこうとしていた。

「コトン」と、音がして取り出し口に落ちたペットボトルを取ろうと男が頭を下げた瞬間、その頭上を茜の手が通過した。

「茜ちゃん、やめて」

 宇田川と京子が茜の手を押さえた。

「ウーッ。こいつ今度は、あたしのスカートの中に手ェ突っ込もうとしている」

 男は取り口に手を入れた。そしてフタを開け頭を上に向けて飲み始めた。その瞬間茜のケリが股間に入った。

 しかし何の衝撃も感じない。

 今度は京子が自分の足を茜の足に絡めた。

「なんか、この自動販売機落ち着きがない気がするなぁー。人の声聞いた様な、中から手足が出た様な」

 自動販売機の中にいる三人は、手や足を絡めたまま目を見張り固まっている。

「飲みすぎで、オレもついに幻聴や幻覚まで見る様になったか」

 三人は、その声に大きく何回も頷いた。

「早く家帰って鍵閉めて寝よう。オットいけネー。チャック開いてるわ。葵ちゃんに見られちゃったかなー。ウフッ」と言い、男は来た方向に去って行った。今度は逆に姿が次第に遠ざかって行く。

「フゥー。アーもう死ぬかと思、お前いい加減にしろ。お前おさえるのに、俺たちゃ蛸じゃないんだ」

「そんな事言ったって。あんなスケベおやじの相手なんか出来ないわよ。仕事とは言え我慢の限界超えてます。すでに人権の問題です」

「宇田川さん、今のはちょっと極端なお客様だけど茜ちゃんの気持ちは分かるわ。それに少し狭すぎない。もっと広いお店に移動しましょうよ」と京子が提案した。

「京子さん、賛成!お引越し、しよう」

「そんな事言ったってどうやって移動するんだよ。俺たちゃ歩くしかないんだぜ。幽霊タクシーかトトロの猫バスにでも乗るか。小さい街だ、知り合いにでも見られたらどうする」

「大丈夫、ほら来たわ」

京子の指さす方向を見ると、ペットボトルと缶ジュースの箱を満載した銀色に輝くパネルトラックがやって来た。そして商品を補充する為、三人のいる自動販売機の前で止まった。

「サアー、運転手が降りて台車に積み込みを始めたらチャンス、荷台にもぐり込むのよ」

「ウワー、なんかあたしワクワクして来た。映画のスパイみたい」

 パネルトラックが自動販売機の前で止まると、運転手が降り、後ろのドアを開けて台車にジュースの箱を積み始めた。

「オッ!今だ。人もトラックの陰になって見えない。いくぞ、小さく声を揃えて」

三人は声を揃えた。

「ないと言えばない」

『スーッ』と、自動販売機から出てきた三人はトラックの横から荷台にもぐり込んだ。

 大成功だ。

 三人はハイタッチをして喜びあった。


 こうして三人の自動販売機の旅が始まった。

 スタジアムの自動販売機ではスポーツの試合を観戦し、県民会館では有名アーティストのライブを見たりスーパーでは人の噂話を聞き、思わぬ事に驚いたりもした。

 公園、テーマパーク、駅やフェリーの発着場。ありとあらゆる場所を旅して回った。

 22日の明け方、三人は中央公園近くの自動販売機にいた。

 中央公園は市の中心部にあり、市民の憩いの場になっている。嘗ては、球場があった。

 今は公園になっている。近くには官公庁や企業の本店や支店が集まっており、まるでミニ日比谷公園だ。閑静な住宅街や学校も近く、市民ランナーが走っている姿をよく見かける。

 三人は、公園近くにある細い路地に面した自動販売機の中にいた。路地の両脇には、サラリーマンや学生相手のうどん屋や飲食店があり、自動販売機もズラリと並んでいる。幽霊から見れば格好のマンション街だ。

 三人は、少し大きめなソフトドリンクの自動販売機を選び、潜り込んでいた。自動販売機の中央にはルーレットの様な丸いランプがついており、抽選でもう一本当たる仕組みだ。

 三人は、その中で声を潜めて話し込んでいる。

 宇田川は、一昨日の20日に見たサッカーの興奮が冷めやらない。

「イヤー、まさかこの繁忙期に練習試合とはいえカマタマーレ讃岐が見れたなんて、特に皆が働いている時に見るから余計最高。幽霊になって本当に良かった」

 京子は昨日の夜、県民会館で聞いたライブを思い出していた。

「私は、月山リカのライブが良かったわ90年代の懐かしいポップスをいっぱいやってくれて。アラフォーの私は昔を思い出しちゃった。今のバンドは良く分からないから、やっぱりあの頃の歌は共感するわ。ああ私の青春よ!胸が熱くなるわ」

 茜は、スーパーで聞いたゴシップが楽しくてしょうがない。

「あたしはさァー、スーパーで聞いた噂話よ。誰も自動販売機の中に私達がいるなんて思わないから、無防備にいろんな話するのよね。中でも食品の景山主任と婦人の日野原さんが付き合ってるなんて知らなかったわ。不倫よ不倫! しかも景山さんの前歯が入れ歯だなんてェー、チューした時はずれたりして。アーハッ!」

 三人は、「クーッ!」と声を潜めて笑い合い、この3日間で見聞きした事を思い出しては盛り上がっていた。

 時間が経つのを忘れてしまう。

 やがて鳥の声が公園から聞こえて来た。

 すると朝日が顔を出し、あたりを明るく照らし始めた。光はビルの最上階に当たったと思うと『スゥーッ』と落ちてきて三人のいる路地を走り抜けて行く。闇が拭い去られ、まるで光のワイパーだ。

 立ち込めた朝もやは、ビル街や公園をオプラートの様に優しく包みこんでいる。

『タッ、タッ、タッ、タッ』

 ジョギングシューズが、軽快に地面を蹴る音が近づいて来た。

 朝もやの中、うっすらと見える公園を背にして赤いトレーニングウェアの少女が駆け抜けて来る。

 吐く息が白い。

 自動販売機の前でゆっくりと止まり息を整えると顔を少し紅潮させて近づいて来た。

 三人は静かになり、近づいてくる少女をそっと見つめた。

 

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