第6話 約束

 気付いたら事務所で目を覚まし、テレビで飛行機事故を知り、挙句の果てに自分たちの葬式を見る羽目となり、さえない中年天使の話を聞かされ、無理やり自分を納得させたというのにまだ先があるとは。

「なによ、あたし達の私生活まで公開しておいて」

「そうよ、個人情報をもて遊んどいて。許せないわ」

「いくら何でも、それはないだろ!」

 ほとんど行く気になりかけていた三人は、行き場のない怒りをぶつけた。


 クレームが拗れる典型的なパターンだ。

 相手がやっと納得し、落としどころに近づいたのにちゃぶ台返しをする。

 一番危険な展開だ。

 こういう時は逆らわず下手に出るしかない。

「あの、冷静に聞いてくださいね。簡単に申しますと皆さんの戸籍だけが天国のシステムエラーで取れてないんです。ほんとごめんなさい。これは完全に天国のミスです。今後なんですけど、システムが復旧するまで地上にいてもらわなければなりません。それで詳しい説明に伺ったという訳です」と、男はバツが悪そうに話し始めた。

「はあ……」

 三人は、次から次へと起きる事態にため息しか出ない。

「ワシら一体これからどう言う立場になるんだい、その天使のオッツアン」

「あのネ、ツアコンの星野って言ってるでしょ。それにオッツアンからオッツアンって呼ばれたくないの。詐欺師に詐欺師と呼ばれた気分。これからの皆さんの立場は人間でも霊でもないその中間。中途半端な存在、つまり幽霊と言う事になります。こんな事天国始まって以来なんで、名前も何にするか結構揉めたんです」

 茜は、気分の切り替えが早い。途端に興味が湧いて来た。

「京子さん。当たってたね。すごい! あたし達お化けじゃなくて幽霊なんだって。幽霊になれるなんて、一生でそうないわ。それじゃ映画みたいに瞬間移動したり、壁通り抜けたり、透視したり、大きな物を動かしたり、とか出来るの?」

「幽霊なので、人間と霊の中間という曖昧な存在だから瞬間移動は出来ません。生きている時と一緒、移動するには歩くか乗り物です。あと、物は掴んだり動かしたり出来ますが力は生きてる時と同じ程度です。生きてる時と違うのは、先ず体重がなく、見た目は半透明で人から見えちゃう点です。生活面では食事と睡眠を摂る必要はありません。特殊な能力としては厚さ10センチ程度の壁なら通り抜けが出来るくらいです。透視は出来るといったら出来るけどこれも10センチ程度の壁なら何とか向こうが見える程度かなぁ。あっ、そうそう洋服は透視出来ないようにブロックかけときましたからね。念の為。それから幽霊同士の触れ合いは生きている時と一緒、相手の身体を通り抜けたり出来ないし、叩かれれば痛い。宇田川さんは、さっき抓られて分かりましたよね」


 素直に死んだ割には、メリットがほとんど感じられない。大いに不満が残る。

「意外に地味だな。手短に言うと人との違いは身体が半透明でせいぜい10センチくらいの壁なら通過で来て透視出来るくらい。旨いもの食べる楽しみもなく移動もテクテク歩き。なんかケチくさくねぇ」

「まっ、まっ、一応話は聞いてくださいよ。なんせこんな事天国始まって以来なんですから前例もないし。権限をどこまで認めるかも大変なんですから。と、と、取り合えず大切な壁通過の方法見てくださいね。じゃぁ、茜さんちょっとお願いします」

 そう言って男は茜のわきの下にそっと手を入れると、茜はフッと持ち上がり肩ぐらいの高さのスチール棚の上に乗せた。

「ホラ、体重ないから簡単に持ち上がるでしょ。それでは茜さん、あなたは今スチール棚が『ある』と思ってますね。だからスチール棚の上に腰掛けている訳です。では目をつむって棚板が『ない』と思って下さい」

 茜は棚板が『ない』と思い目をつむった。 

 その瞬間、「キャッ!」といって棚板を通過し落ちてきた。

 それをすかさず男が下で受け止めた。

「ねっ、『ない』と思ったから落ちちゃう。つまり『あると言えばある。ないと言えばない』こう言うことになります。壁が『ある』と思ってぶつかれば通り抜けられませんし『ない』と思えば通り抜けちゃう。まぁ、おまじないの文句は『あると言えばある』『ないと言えばない』とでも言いましょうか。口に出してもいいですし、心の中で思ってもいいですよ」

 京子は、今見たのを参考に冷蔵庫のドアの取っ手を掴んでみることにした。ドアの取っ手を『ある』と思えば掴めるが『ない』と思えば手がスルッと抜けてしまう。

「本当だわ。でも習慣になってるから、その都度切り替えなんて難しいよ。壁にぶつかって通過出来ずバタバタしそう」

「そう、そこです! 京子さん。それが一番危険なんです」

「エツ! なに? 私何か言った?」

「それが、今回来た一番大切なところです。皆さんはまだ幽霊に慣れてないので今までと同じ感覚でいますよね。壁があればぶつかってしまう。でも慣れてくると壁を通過するのに慣れてしまってうっかり人に見られてしまうかも知れない」

 三人の視線が集まった。

「いいですか。ここからがポイントです。皆さんは昼でも夜でも人から見えてしまいます。でも皆さんはこの世にいてはいけない人間なのです。ですから人に見られてはいけません。できる限り静かな所に隠れていて下さい。人目に付く日中に出歩くなんてとんでもない。ドアや壁を通過したり、半透明で透けて見えちゃう人間がウロウロしているところを人に見られ、挙句の果てに『天国に行く途中の順番待ちだ』なんて言ったもんなら大変な事になります」

 茜にはそう言われても自分で選んだ訳でもないし、やる事だけ一方的に押し付けられるのも納得がいかない。

「なんで私達がそこまで気を遣わなきゃいけないの。納得がいかないわ」

「お気持ちは分かります。では、お聞きしますが皆さん天国はあって欲しいですよね」

 そう言われ、三人は頷いた。

「でも、本当にあるかどうかは疑問でしたよね」

 又しても三人は頷いた。

「もし、人々が本当に天国がある事を知ったらたらどうなります? 人生、生きていれば辛いこともありますよね。でもそれを乗り越えるから達成した喜びもある。仮に心が折れそうな時、つまり『ふと、弱気になり魔が差した時』天国のドアを叩きたくなりませんか? 天国があることが逆に不幸な人を増やしてしまう。人には人生を全うして欲しいのです」

 正論だ。三人にもそれぞれに大切な人がいる。

 宇田川にある人の顔が浮かんだ。

「意味は分かったよ。ところで、もし見られたらどうなるんだ?」 

「答えは、簡単です。天国行けなくなります」

 京子には、『もしかして』と別の希望が生まれた。

「じゃあ、生き返る訳!」

「ンナ訳ありません。幽霊のままこの世を虚しく彷徨います。簡単に言うと浮かばれない状態」

 がっくり来る。少しは救われたい。

 半ばふて腐った様に茜が聞いた。 

「そんな人いるの?」

「いる訳ないでしょ。そんな事故なかったもん。でも希望して残った人はいますよ」

「その場合、どうなるの?」

「契約社員として色々働く事になります。職種は様々ですが選べません」

 最初からろくでもない結末は予想していたが、ものの見事に応えてくれた。


 今の話で凡そのルールは理解したものの宇田川は少し不安になった。

「そんなこと言ったって、『ある』も『なし』も関係なく、さっき俺の腕は壁に入っちゃったし、京子はテレビに頭突っ込んで茜は冷蔵庫の中覗いたぞ。それに店の仲間にも見られちゃったよ。美恵子と沙織だったよなぁ。あれどうなっちゃうの?」

 京子と茜も頷いている。

 男は少し焦った。

 到着が遅れたのは迂闊だった。

「エッ、あれね。やり方知らなかったし無意識にやっちゃったんだよね。まぁ、それはいい事にします。ノーカウント。ゲーム開始のホイッスル前だから特別にします。お仲間に見られたことは……。ウーン、あの程度だったらこちらが消えちゃえばただの気の迷いで済んじゃうでしょう」

 重大な事態の割に意外とザックリだ。組織なんてそんなもんだ。押し付けられた現場が右往左往して何とかする。天国も大組織だからそんなもんだろう。少しゴネて何か引き出してみよう。

「意外といい加減だな。やる事は分かったけど何かインセンティブを付けてよ。やる気も出ないし。現場の裁量で出来ることもあるだろ」

「チョッ、チョッと待って下さい。だからデパートの人ってきらい。客ずれしていて。分かりましたよ。とにかく変装するなり隠れるなりして幽霊だってバレない様にしていてください。見返りに約束をします。先ず、お迎えを早めます。クリスマスイブ、24日の土曜日夕方6時にしましょう。その時は必ず三人一緒にいて下さいね。それからあなた達の愛する大切な人、一人だけですが一生の健康と幸せを必ず見守ります。そして幸せになる様、必ず導きます。マッ、風邪引いたり、軽い失敗したり多少のリアリティーは持たせますけどね。この程度なら何とか私の裁量で出来ますから。これ天国としては、結構ヤバイ橋なんですよ本当は……。もぅ」


 人は経験を積むほど疑り深くなる。調子のいいこと言って本人がトンズラというのも組織にありがちだ。ここは、釘を刺しておく必要がある。

「一人かケチだな。もう少し何か出来ないのかよ。それに約束したって、人事異動とかやらでどっか行っちゃうんじゃないの」

「宇田川さん約束しますよ。それに私たちには人事異動はないんです。私はもう1500年もこの仕事やってるんです。事情があってこの世に残りましたけど、もとは人間だったんですから」と、男は寂しそうに眼を伏せた。

 二人のやり取りを聞いて茜は少し気の毒になってきた。

「なんか訳ありそうね。おじさん」

 何事も引き時が肝心。

「茜、私もいいわ。それで手を打ちましょ」

 多数決で決まったようだ。

「茜と京子がいいなら、俺も納得するわ。それで他に注意点はないのか? とにかく隠さず全部言ってくれ」

 契約が決まった以上詳細を確認し、後で揉めないようにしなければならない。

「では最後の決まりです。あなた方は言わば空気みたいなものですから色々な物に入り込む事が出来ます。例えば『ある』と思えば洋服を着ることも出来ます。洋服を着れば壁を通過することは出来ませんが人目を誤魔化すには良いでしょう。それから興奮したり、びっくりして我を忘れると体が浮き上がりますから気を付けて。加えて悲しみで心が満たされた時、透明になります。以上です」

 初めての経験は若いほど馴染みやすい。

「何か、ワクワクしてきたわね。京子さんやってみようよ」

「そうね、私も! どれからやってみようか。私もワクワクしてきたわ」

 茜と京子が盛り上がり始めた時、ドアの向こうで人の気配がし始めた。美恵子と沙織が警備員を連れてきたのである。

 男の口調が急に強くなった。

「まずい、人が来る。早く隠れて」

 ただならぬ雰囲気に三人は、ただバタバタと慌てふためき狭い事務所の中でぶつかりあっている。

 茜が机の下から顔を出し男に尋ねた。

「そんな事言ったって、どこに隠れればいいのよ。天使のおじさん」

「壁の向こう側の道路に向かって自動販売機があります。壁を抜けてその中に隠れて。サアー早く、見られたら大変です。壁の抜け方は分かりますね。『あると言えばある。ないと言えばない』ですよ。お迎えは24日の土曜日、クリスマスイブの夕方6時、さっき言ったルールも守って、約束ですよ。サア、おまじないの文句を声を揃えて。ハイッ!」

 三人は、壁に向かって声を揃えた。

「ないと言えばない!」

 そう言うと三人は、スウーッと壁に消えていった。

 男は自転車に乗りつぶやいた。

「ふう、まずは何とかなった。それにしてもあの三人大丈夫かなァー。マッ、心配してもしょうがないか。私も消える事としよっ、では『ないと言えばない!』っと」そう言うと男は勢いよく自転車を漕ぎ、壁に沿ってクル、クル、クルッと廻ると天井から吸い込まれるように消えていった。

 そして部屋の真ん中で小さな羽毛がフゥーッと舞った。

 それと同時に事務所のドアが開き、警備員とその後ろに隠れた美恵子と沙織が入って来た。

「警備員さん。いるでしょ、いるでしょ。美恵子と見たんだから」

「そう、こっち向いてニヤーッと笑って、私も沙織と見たの」

「誰もいませんけど」

「エッーうそ。ホントだぁ、いないわ。でも見たのよ。いたのよそこに、ねえ美恵子」

「間違いないんだってば。本当です。私たちが『オバケェー!』って言うと、手を振って『違う、幽霊』って言い直したのよ」

 二人は、泣きそうである。

「お化けが幽霊だって自己紹介した訳? ンナ馬鹿な。クッションも冷たいし、形跡もない。まあ、私がもう少し調べますからお二人共早出の仕事片付けて下さい。クリスマスの商品並べ変えるんでしょ」

 二人は、納得しない様子で売り場へと出ていった。

 警備員は、もう一度部屋の中を調べたが異常は発見できなかった。

 最後にそっとテレビに触れた。

 何故か少し暖かかった。

「幽霊がテレビを見る? まさか……」と、警備員は一言だけつぶやいた。



 

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