第5話 天使

 美恵子と沙織が慌てふためいて走り去ったのを見て宇田川がつぶやいた。

「どことなく、マズイ雰囲気だな。警備員つれてくるぞ。たぶん……。この姿見られて何て言おうか。ボク達、大ヘンシーン、スキルを生かしてデパートからイベント会社に転職。『転職はジョブリーチ!』なんて信じる訳ないよ」

「それにしても、美恵子早かったわねェー。最近太めだけど早いわ。バーゲン飛び込んでくるオバサンより迫力あるわ」

「沙織さんもセールの呼び込みの声小さいけど本当は出るんだ。ロックバンドのボーカルできる。問題なし」と三人が勝手な感想を述べ合っていると事務所の壁越しにある道路から『リン! リン!』と、かすかに自転車のベルの音が聞こえてきた。

 三人は、条件反射的に朝の通勤の波が始まったのかと思った。


 高松市は四国の北京と呼ばれる程自転車の多い街である。自転車の保有率は大阪、埼玉、東京、千葉の大都市圏に続き堂々全国第5位。通勤・通学の利用率は27%と全国平均の2倍である。これは中心市街地がコンパクトでフラットなことと舗装路と道路密度の高さに加え堅実な県民性も寄与している。ちなみに高松を含む香川県は、預貯金率も高く2009年には平均額1300万円で第1位に輝きその後も3位以内を常にキープしている。にもかかわらず交通事故の発生率は意外に高いのは、堅実な上に穏やかな県民性を考えると極めて不思議な現象である。


 という訳で自転車は高松市民にとって西部劇の馬みたいなものである。

 自転車は生活と切っても切り離せない。

『いただきさん』という魚の行商にも自転車が使われている。

 ついでに『いただきさん』についてのエピソードも紹介しよう。

 高松には、美しい逸話が沢山ある。

『いただきさん』もその一つだ。

 その昔南北朝のころ、美しい高松西浜に京からうら若い姫が流されて来た。姫は見知らぬ土地で途方に暮れたがやがて地元の青年と結ばれ、浜で漁網の糸を撚ったり魚を入れた桶を頭にのせて売り歩いたりするようになった。人々はいつしかこの姫を『糸撚り姫』と呼ぶようになり浜を『糸撚り浜』と名付けた。

 そして頭上に物を載せて運ぶ行為を『いただく』という事から、行商人が鮮魚を入れた桶を頭に乗せて歩く姿を姫になぞらえ『いただきさん』と呼ぶようになった。

 土地の呼び名や風習には歴史があり、その物語を聞くと世の中がいくら便利になり寿命が延びても人間の感性や行動は変わらないもので『流行の商品を提案する』などと粋がることが軽く思えてくる。


 三人は冬の早朝、街を走る自転車に思いを馳せた。

 夏の早朝爽やかな空気に包まれながらペダルを漕ぐのも良いが、冬の冷たい空気が頬を切る中走らせるのも気持ちが引き締まっていいものである。

 やがて事務所の壁越しに聞こえるはずのベルの音は『ジャッ! ジャン!』と部屋全体に響くように大きくなってきた。

 三人がその音は、道路からではなく頭上からだと気付いた瞬間、宇田川と同じ位の中年男がママチャリに乗って天井から姿を現した。

 頭上から降って来た男は、まずテーブルの上に自転車ごとバーンと乗るとその反動を活かして跳ねたと思ったら今度は前輪を上に向けトンと床に降りた。

「フロントリフトからのスタンディング! やったぜ、今年初めての成功。年明けから続けた成果だ。継続は力なり」

 

 中年男は、自転車を降りると固まっている三人の前で早口にしゃべり始めた。

「イヤー、モウ遅れちゃって。ごめんなさい、ごめんなさい。最近、人減らしすぎちゃって、あげくのはてにシステムエラーがあって連絡が混乱して、ホントごめんなさい。働き方改革とか言っていろいろやるけど結局は現場にしわ寄せ」

 三人は突然の事に固まってキョトンとしている。

「そうそう、こうしていきなり出てこられても何とも言えないよね。でも心配しないで、誰でも皆そうなの。『自分だけが他の人と違う』とか『生まれつき異常なんじゃないか』とか悩まないでいいから。とにかくこればっかりは一生に一回しかないし、練習出来ないし。私? 私ネ。今、自己紹介するから待ってて」

 そう言って胸のポケットから名刺を取り出すと、その瞬間名刺は人と同じくらいの大きさになった。

「ネッ! すごいでしょ、これ。最近開発されたんだ。ガンズ老人でも見やすいバリアフリー名刺。うちも結構研究開発してんだ」

 その名刺には『天国ホールディングス、ヘブンエキスプレス株式会社、西日本事業部、四国支店、高松営業所、ツアー第2課、主任心得、ツアーコーディネーター、星野通』と書いてあった。

「マッ! こう言う訳」と、勝手に話し終わると自慢げに拳を腰にあて笑顔で三人を見渡した。


 なんでも最初に聞くのは、勇気がいるものだ。

 京子が遠慮がちに尋ねた。

「あのう、ちょっと質問してもいいですか。今のあり得ない現れ方とかお名刺の無駄に長い肩書から察しますとあなた様は、天国の関係者と言う事になる訳ですか?」

 男は頷いた後少し首をかしげてから

「マッ、そう言う事でいいかな。天国も時代に合わせて組織変更して運輸部門だけは独立したって訳。だって地上の人口は増えてるし、組織の垣根を外して効率化しないと天使がいくらいても足りなくなっちゃう。それでシステム変えてホールディングスにして改革した訳、順序逆かな。改革してホールディングス化かな? まぁとにかく今は天国ホールディングスの1社。だから肩書も変わって、天使も今はツアーコーディネーターって呼ばれてるの」

 男は、そのあと飽き飽きした口調で「やっている仕事の内容は一緒だけどね。天国に連れていくだけ。一緒に行くのが原則だから流行りのリモートなんか無理」と言って首をすくめた。

 説明は長いが要領を得ない。

 少し苛立って茜が質問した。

「さっきから話を聞いてると盛んに『天国、天国』って言ってるけどあたし達天国行きなの。そりゃ地獄はいやだけど天国行くほどの良い事してきた自信もないし、良く『人は生まれながらに罪びとです』とかなんとか言うじゃない。第一何処で誰が決めたのよ」

 茜の理解の速さと勢いに男は少し気圧された。

「意外に物分かりがいいね。珍しい。普通『死にたくない』とか、もう少しもめるんだけど。誰が決めたって言われても。ヒラの私には決める力はないし。でも天国に行きたくないんでしたら一応手続きは出来ますけど、手続き面倒ですよ」

 茜は余計な質問をしたと少し焦った。

「テレビのニュースで予習したから一応心の準備は出来ていたというか。『ちょと、そんなことも聞いてみたいなぁ』と思っただけでぇ。単なる好奇心。先続けてください。お願いします」

「じゃ、説明しますね。天国には地上の人全ての記録が残されています。だから皆さんが良いことばかりしていない事は良く知ってますよ。まずは茜さんあなた!」

 茜は、いきなりの指名にたじろいた。


「エッ! 何よ急に」

「あなた、11月23日おでんや『天の川』でマスターがお客の会計してる隙にカウンターからおでん鍋に箸伸ばして竹輪とゲソとったでしょ」

「ウワァーン、ソッ、ソッ、それは……。だってお給料前でお金なかったし、お腹すいてたから」

 普段の言動の割にやることのスケールが小さくいじましい。

「茜ちゃん、情けない。」

 京子は、ホトホト呆れている。

「そう言ってる京子さん」

「エッ! ナニ、ナニ、私」

 今度は、京子がうろたえて始めた。

「あなた、12月2日地元のスーパー『丸星』で『レジにて半額にいたします』って言うシール、あれ自分の買うキャベツに貼ったでしょ」

「アッ! あれはハガレかかってたのを貼りなおしたのでェー」

「ウソです」

「ハィ」

「セコッ!」と、宇田川が言い放った。

「宇多川さん、あなたも他人ごとではありませんよ」

「ナッ、ナッ、ナッ、なんだよ」

 宇田川は後ずさりしながら、顔をひきつらせた。

「あなた、12月7日『スターダストコーヒー』でスティックシュガー15本ポケットに入れたでしょ」

「アッ! あれは東京へ行かなきゃならないし、スーパーで袋ごと買って東京行ってるうちに悪くなってもいけないし、その後飲み会だったから」

 共犯者がいる事は嬉しいしが、後めたさでは優位に立ちたい。攻めるには多い方が勝ちだ。

 京子と茜は、とたんに共闘を組んだ。

「情けない、砂糖が悪くなる訳ないでしょ。ねぇ京子さん」

「茜ちゃん同感。それに東京は2日間だけじゃない」

 どれも五十歩百歩だ大した違いはない。


「マアー、とにかく皆さんスケールが小さいと言うか、いじましいと言うか、その位ならやらなきゃいいのに。いずれにしてもその程度の積み重ねでは地獄へなんか行けません。一般的に言いますと産まれて学校で勉強して社会に出て働いて亡くなった場合、たとえいい加減でもさらに言えば若干ズルしても地獄へ行く事は出来ません。地獄へ行くのは難しいんです。駐車違反で刑務所に入ったことないでしょ。そんなんで引ぱってたら刑務所いくらあっても足りないの。地獄も一緒!」

 なんとなく救われ『ほっ』とした空気が流れた。

「天国の門って以外と広いのね。でも門の前まで言ったところで共通テストとかないの。あたしあれ苦手」茜は、共通テスト直前に体が不調になった苦い思い出がある。

「ある訳ないでしょ。だいたい天国は、住んでる皆さん上手くやってくれるから、手間はかからないけど、地獄は看守付けなきゃならないし、しかも24時間体制で年中無休。手間かかるの。皆さん鬼とか勝手に呼ぶけど仕事は3Kよ。そんな仕事してれば、誰だってああ言う顔になっちゃいますよ。あれは怒ってんじゃなくて泣いてるの。だから来て欲しくない訳」

 京子の職務はバイヤー、商売のネタを見つけるのが癖になっている。

「悪い事しても地獄へ行かない方法ってあるのかしら、マニュアル本出したりして。ねぇー茜ちゃん。『今からでも間に合う、天国へのリロケーション』なんてタイトルでね。茜ちゃん一緒に商売しようか。天国行ってノウハウ積んでさ」

「アッ、それいいアイデア。さすが京子さん。天使のおじさんコツはないの?」

「ツアコンの星野です。コツっていわれてもねェー。普通にしてれば行かないけど。マァ要点は、ポイント制と言う事かな。良い事やればプラス、悪い事はマイナス、そうなってんの。そして生涯ポイントが少しでもプラスなら天国。だから悪い事したら何でもいいから急いで良い事してほしいの。世の中、いつ死ぬか分からないんだから。駐輪場で倒れた自転車起こしてもいいし、うどん屋のテーブルにこぼれたお水拭いてあげてもいい。何でもいい。ちょっとでも人や社会の役に立つ事なら。そんな事かな、他にご質問は?」


 質問も出し切った様子に宇田川が手を『パン!』と打って区切りをつけた。

「別にないよ。じゃあー仕方がない。行こうか天国へ」

 今度は、男がうろたえ始めた。

「イヤ、ソッ、それがそうは行かなくて」

「なんだよ、それ!」

 三人の声が一斉に揃った。


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