第7話 綺麗で醜い

 夢の中で青葉と出会った日も学校には彼女は来ていなかった。

 僕は彼女が一番危惧していた状況に陥ってしまった。

 彼女が現れてくれなければ今頃もっと多くの犠牲者を出していただろう。

 ただでさえ彼女が苦しい状況なのに何をしているんだ。

 彼女のためにも僕はテニスをもう一度再開すべきなのはわかっている。

 自分の存在意義を取り戻さなればならないと思う。

 でもそれができない。

 彼女に会いたいと思った。

 教えて欲しいと思った。

 自分は何なのか。

 何のために生きているのか。

 でももう自分には合わせる顔がない。

 弱虫だ。

 

 学校を終わり家に帰る。

 ベッドの上に寝転がり、彼女の言葉を思い出す。

 『君、テニス好き?』

 部屋の隅に立てかけてあったラケットを手に取る。

 テニスがしたい。

 純粋に思った。

 僕はすぐにスポーツウェアに着替え、ボールとラケットを肩に下げて家を出た。

 テニスが僕のアイデンティティを教えてくれる気がした。

 もっと言うと今の苦しい状況を忘れたかった。

 自転車にまたがり、例のテニスコートに向かう。

 夕日が傾き始めていた。

 日が暮れる前に着きたかったのでペダルに力を込めた。

 

 テニスコートに着くとAからDコートより少し離れた壁打ち場に向かった。

 幸いにもテニスコートは空いていた。

 靴紐を結び直しラケットとボールを取り出す。

 ボールは新缶しかなかったので独特のゴムの匂いが漂っている。

 ゆっくりと球出しする。

 ボールは勢いが足りずツーバウンドして帰ってきた。

 構わず打つ。

 手に一瞬ずっしりとボールの重みを感じる。

 そして心地良い音を立てて壁に一直線に飛んでゆく。

 壁も無慈悲にボールを返す。

 それをまた打ち返す。

 だんだん体温が高まっていくのを感じる。

 時々斜め方向に打ってみたり強く打ってみたらスライスをしてみたりする。

 楽しい。

 壁と打ち合いをする。

 体全身を使ってボールを送り出す。

 久しく感じていなかった高揚感が僕を巡る。

 改めて自分がテニスが好きなんだと思った。

 そのあと時間も忘れてボールを打ち続けた。

 楽しかった。

 そんな時不意に後ろから声をかけられた。


 「やっぱり君はそれが似合ってる。」


 振り向くとそこには森青葉が立っていた。


 「君、入院してるじゃ…。」


 「そうだよ。すぐ横の病院でね。」


 そうやって彼女は病院を指差した。

 

 「ごめん。」

 

 いろいろなこと全部ひっくるめて謝った。

 僕は俯いた。


 「謝らなくていいって言ったでしょ。これは二人の責任だから。」


 彼女は壁打ち場に引かれた白いラインを回るようにして踏み歩いていく。


 「それに嬉しかったよ、私。君の存在意義になれて。」


 僕は寂しかった。

 彼女がいなくなったら自分の居場所がなくなってしまう。

 自分のことしか考えていないのかもしれないけれど。


 「でも、君の本当の存在意義は私じゃないのかもね。」


 返す言葉がない。

 沈黙が続いた。


 「ひとつ聞きたいんだけど。」


 「何?」


 「君って本当に死ぬの?」


 ずっと気になっていた。

 これが何かの冗談じゃないかって。


 「本当だよ。」


 目頭が熱くなる。

 何とか涙は堪える。


 「今から少し死にかけの私の話を聞いてくれる?」

 

 彼女が悲しそうに微笑む。


 「いいよ。」


 「私、小さい頃から体が弱かったんだ。

だからよくこの病院に入院してた。」


 「不登校だった理由も?」


 「そうだよ。」


 確かに彼女がノイローゼになる姿は想像できない。


 「だから君のことよく眺めてた。病室の窓から。」


 「テニスしてるとこ?」


 「そう。」


 「覗き魔だね。」


 僕は冗談っぽく笑いながら言った。


 「女の子はいいのよ。」


 彼女も微笑みながら言う。

 彼女は続けた。


 「体が弱いからスポーツはほとんど親に止められた。だから楽しそうにしている君が妬ましかった。」


 当たり前だ。

 僕も同じように妬むだろう。


 「でもそれ以上に羨ましかった。憧れだった。同世代の子が毎日頑張る姿を見てると私も頑張れたんだ。」


 それは意外だった。

 そんなふうに見られていたとは思はなかった。


 「病室に籠りっぱなしだったから夢の中でなりたい自分を想像するうちに夢の中で自由に動けるようになった。」


 「それっていわゆる明晰夢って奴?」


 実際になったことはなかったけれど聞いたことはあった。


 「そんな感じ。だからあなたの夢の中を覗いたたんだ。」


 「それってプライバシーの侵害って奴じゃないの?」


 笑いながら言う。


 「そうかもね。」


 「君の夢は希望で満ち溢れてた。豊かかだった。」


 彼女は続けた。


 「でも君は辞めてから夢の中で飢えるようになった。そんな君は見てられなかったよ。」


 「じゃあ、まさか僕が初めて食べたのは。」


 「私だよ。」


 遠い昔の記憶が繋がった。


 「だから君に味をしめさせた私にも責任がある。」


 「僕なんかのために君の短い人生を使ったの?」


 それならば確実に間違っている。

 責任を感じて動くなんて彼女らしくない。

 あくまで自分を通すのが彼女だと思っている。


 「責任だけでしたわけじゃないよ。私が好きなものを好きなようにしただけ。」


 「本当?」


 「そう。君は私にとって好きな『もの』だったからね。」


 僕は赤面していた。

 

 「だから君には戻って欲しかった。私にとって憧れのあの姿に。好きなものを全力で追いかけて欲しかった。」


 彼女が目がキラキラと光を反射した。

 自分が他人の希望になってるなんて思いもよらなかった。


 「余命を聞いたとき自由にするって決めた。だから迷わず君に会いに行ったよ。君の支えになれるように。」


 「でも僕は未だに君のように周りを気にせずテニスをできる気がしない。」


 「そうだろうね。私はどんなに考えても君がなぜそんなに周りの評価とか存在意義とか気にするのかわからないよ。」


 「僕も君のように死が迫っていないから自分の存在意義を考えずにはいられない。でも、それができる君が羨ましい。」


 「私も好きなものを好きにできる君が羨ましい。」


 お互い顔を見合わせる。

 僕たちは互いに理解し合うことはできないのだろう。

 そもそも人の気持ちに実際に経験しなければ本当の理解に至ることなんてできない。

 人の気持ちを理解しろなど不可能なのだ。


 「分かり合えなくてもいいよ。それでも互いを支えにはできる。」

 

 彼女が笑顔でそう言った。


 「どう言うこと?」


 「君はテニスを追い求めればいい。周りが何と言おうと私が好きなものを求めている君を君として肯定してあげる。」


 確かに誰か一人だけでも自分を認めてくれれば自分の居場所を見つけられる。

 他人の評価に振り回されなくて済む。

 


 「そのかわり君は君の好きなものを追いかけて私の生きる希望でいてよ。」


 「何それ。」


 僕は思わず笑う。

 無茶苦茶だ。

 普通こんな風にお互い確認し合わない。


 「これで私は他の誰よりも特別でいられる。」


 「僕たちの関係、本当にねじ曲がってるよ。」


 「そうかも。」


 お互いに笑い合う。


 「私は君の金星になれたかな?」


 「醜い金星だけどね」

 

 僕と彼女はクスクス笑う。

 

 「それでもいいよ。君の特別にさえなれたら。」


 彼女は他人の目を気にせず自分の好きなことを求められるそんな美しい存在じゃなかった。

 彼女も誰かの特別になりたくて必死だったのだ。

 

 空を見上げると太陽は沈み始め一番星が輝き始めた。


 



 

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醜い惑星 @youscream

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