第6話 もう我慢できない
次の日は一人で学校に向かった。
昨日のこともあり、彼女と面と向かって話せる自信がなかった。
連絡は入れていたし、彼女の方も気まずいだろうからこれでいいと思った。
でも、心のどこでまた自分が嫌なことから逃げているような気がした。
学校に着いて席に座り彼女になんと声をかければいいか悩んだ。
気づいた時にはホームルームのチャイムが鳴っていた。
先生が出席確認を取る。
「そこの席あいてるのは誰?」
先生が問う。
「森さんです。」
委員長が何気なく応える。
昨日の出来事のせいだろうか。
彼女は僕に会いたくなかったから来なかったのだと思った。
内心、ホッとした。
けれどそれが3日も続いた頃にはさすがに違和感を感じた。
彼女が寝込むイメージがあまりなかったから尚更心配になった。
その日はちょうど日直で日誌を職員室に返すついでに担任に聞きにいった。
「お願いします。」
「お、ありがとうね。」
担任は小柄な女性の先生だ。
先生と言うよりも生徒に近い感じでうちのクラスでも話しかけやすいことで評判だ。
「先生、聞きたいことがあるんですけど少しいいですか?」
「いいよ。進路のこと?」
先生は微笑みを浮かべながら言った。
「そうじゃなくて、森さんのことなんですけど。」
「へぇー、本当に聞いてきたよ。」
「それはどう言うことですか?」
まるで僕が来ることを予見していたかのようだ。
「まぁ、ここでは騒がしいからもう少し静かなところで話そう。」
確かに先生たちが忙しそうに右往左往している。
連れられるまま進路相談室へ行った。
「そこらへんのパイプイスにでも座って。」
言われる通り壁にいくつか重ねて置かれていた中から一つ取り出し座る。
先生も大きなデスクに突っ込まれていた丸い回転式椅子に腰掛けた。
「それで森さんはなんで休んでるんですか。」
気になってしょうがなかった僕は先生が座るとすぐ口を尋ねた。
「簡単に言えば体調不良ね。」
やっぱりか。
彼女が3日も来ないのはおかしい。
「じゃあ、治り次第くるんですね。」
「治ればね。」
先生の声のトーンが暗くなる。
「わざわざ君をここまで呼んだんだから大体察しはつくよね。」
それはそうか。ただ体を壊しているだけならその場で言えばいい。
何か重い病気でも患っているのだろうか。
「森さんは今入院してるの。」
薄々わかってはいたけれどやっぱり信じられない。
少なくとも彼女の日頃の振る舞いからは想像がつかない。
「いつ病院は退院できそうなんですか。」
たぶん僕との喧嘩も影響していると思った。
そう思うと申し訳ない気持ちになる。
「そこは定かじゃないのよ。あと、彼女が伝えて欲しいことがあるって。」
「なんですか?」
この前の喧嘩のことだろうか?
「私は直接言ったほうがいいと言っただけどね。」
先生が言いづらそうにしている。
「彼女の余命、あと1ヶ月なの。」
は?
あまりにも現実味がなくて呆然とする。
「何言ってるんですか?」
声が震えているのが分かる。
「そのまんまだよ。正確には6月の終わり頃に医者に言われたそうだからあと半月ぐらいだろうけど。」
そこからはあまり覚えていない。
文字通り頭が真っ白になった。
どこに入院してるとか、どんな病気だとか言っていたような気もしていたけれど何も頭に入っては来なかった。
気付いたら自転車置き場で立ちすくんでいた。
やっと彼女の金星の話をしたときの最後の横顔に意味が分かった気がした。
そして、彼女のこれまでの他人を気にしない行動がまさに捨て身だとわかった。
まるで悪い夢を見ているかのようだった。
その日はその悪い夢から逃げるように。
目覚めるように眠りについた。
夢の中で僕は貘になっていた。
今までにないくらい腹が減っていた。
死にそうだった。
夢中で人を喰った。
母親に起こされるまで我に帰ることもなかった。
起きた時に僕は3人を頭から足先まで丸々喰ってしまったことに気がついた。
でも今までのような背徳感はなかった。
それどころか僕は現実でも飢えていた。
夢の影響がここまで出ているのだろうか。
そして悔やんだ。
自分がどれだけ彼女に贅沢を言っていたのか。
学校に行くと4つの空席ができていた。
でも気にならなかった。
そんなことより彼女のことで頭がいっぱいだった。
でも彼女に会えるほど僕には勇気がなかった。
死期の迫る相手を目の前にまともに話せる自信がない。
だからまた僕は逃げた。
彼女にあいに行くことも、今までの許しを請おうともしなかった。
放課後、家に帰り悩んだ。
好きなものを追いかけられることがどんなに幸せなのか。
言葉ではわかっても本当の意味で彼女に同情は出来なかった。
好きなものを苦しいことや周囲からの目を彼女のように言うように全て取り去って求めることは自分にはできない。
人の評価は気になるし、他人より優れていないとアイデンティティは保てない。
ましてや今からテニスを再開しても自分の存在意義を取り戻せる自信はない。
答えが出ないまま日が暮れ寝床についていた。
もうどうでもよかった。
人を喰ったって構わない。
自分さえ満たされれば。
その夜も貘になっていた。
空腹感は昨日と変わらない。
彼女が自分にとってどれだけの存在意義だったのかやっとわかった。
失ってみないとわからない。
だから、彼女の言う好きなものを好きなようにすることができる幸せもわからない。
まず一人目。
逃げようとする人間を押し倒し噛み付いた。
男は苦しそうに悶えた。
「いやだぁぁぁ!」
首から血が吹き出し、口から肉の感触が伝わる。
断末魔を聞き流して食い殺した。
まだ満たされない。
振り返ると遠くに人影が見えた。
そいつに向かって全速力で走っていく。
こっちを見ても逃げる素振りはない。
好都合だ。
目の前まで駆け寄っても立ってこちらを向いたままだ。
そいつの腕を力一杯噛む。
犬歯が肉に食い込むのが分かる。
骨の砕ける音が聞こえる。
僕はそれを楽しんでいる。
自分でも狂ってしまっていることはわかった。
そいつは噛み付いても悲鳴もあげたり、暴れたりしない。
まるで受け入れているようだ。
食べやすくてありがたい。
そう思って次は頭からいこうと顔を見るとそいつ、いやその少女は泣いていた。
口元は優しく微笑んでいるのに。
「君は本当に困った人食い貘だよ。」
ふっと我に帰る。
ベッドの上で勢いよく背中を起こす。
彼女の顔がまだ目に焼き付いている。
その顔が初めて喰ったあの少女の顔と重なった。
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