第5話 嘘
今日もいつも通り待ち合わせの場所に向かう。
でも今日はいつにも増して気が重い。
できれば彼女にはこのことを言いたくないのだけれど。
待ち合わせ場所で彼女を待っていると少し立たないうちに彼女がやってきた。
楽しそうに歩いてくる。
いつも笑顔で羨ましい。
「おはよう、貘君。」
「おはよう。」
何気なく挨拶を交わす。
そして学校に向かって歩き出す。
「いつも思うけど君の声って通らないよね。」
「しょうがないよ。そう言う声なんだから。」
「確かに根暗にはぴったりだ。でも今日はいつにも増して聞こえにくいね。」
「そう?」
気分が態度に漏れていたみたいだ。
「わかった。掃除に使う体操服忘れたんでしょ。私も家出る寸前に気づいたよ。」
「ちゃんと持ってきたよ。そうじゃなくて…。」
「そうじゃなくてぇ?」
詰め寄ってくる。
気になるような言い方するんじゃなかった。
「言いにくいんだけど。」
「言いにくいんだけどぉ?」
もう一歩詰め寄ってくる。
これじゃ本当に言いにくい。
「また人を食べてしまった。」
「そっかぁ。」
彼女のわかりやすく落胆した。
本当に申し訳ないと思う。
「ごめん。」
「謝らなくていいよ。別に。」
意外にも彼女の返答は優しかった。
いつもならコテンパンだ。
「私にも問題あったってことだし。」
「本当にごめん。」
「それでどんな感じだったの?」
「今までに比べて派手にやってだ気がする。下半身はほとんど食べた。」
今までは食べたとしても腕とか、足とか体の部位を食べたら目を覚ましていたのだけれど、今回は下半身丸々食べてしまった。
食べ終えるまで気づかなかった。
「そうなると日常生活に顕著に支障が出るね。頭を食べていないだけマシだけど。」
「やっぱりそうだよね。」
「ちなみに誰?」
「充。」
「じゃあ、昨日の件が影響しちゃったのか。」
「おそらくだけど。」
「まだ存在意義は見つからないんだね。」
「そう言うことになるね。」
このままでは1ヶ月以内なんとかできそうもない。
本格的になんとかしなければ。
「私は君の存在意義にならなかったかぁ。
ガッカリ〜。」
彼女がうなだれる。
「冗談だよね。」
「冗談だよ。」
彼女はパッと顔を明るくして言う。
「よし、じゃあ今日は私が秘密の場所に君を招待しよう!」
「はい?」
急に何言い出すのやら。
行動が読めない。
「だから放課後帰るの遅くなるけどいい?」
「いいけど。」
「だよね〜。さすが帰宅部のエース。」
相変わらず癪に障ることを言う。
そろそろ怒ってもいい気もする。
「じゃあ、いつも通り自転車置き場で待ってるから。」
「オッケー。じゃあそう言うことで。」
校門の靴箱まで行ったところで彼女と別れる。
放課後はどこに連れていってくれるのやら。
その日は充は元気がなかった。
終始ぼーっとしていて締まりがない。
やはり夢の影響が出ていたのだろうか。
授業を終え靴を履き替えて自転車置き場で待つ。
もはやルーティーンになっている。
そしていつも通り彼女と共に歩き出す。
今回は朝約束した通り彼女についていく。
「どこにいくつもりなの?」
「秘密って言ったでしょ。行ってのお楽しみ。」
よくよく考えればこれまで彼女と学校以外の場所に行くのはほとんどない。
「歩いて行ける距離なの?距離くらいは教えてよ。」
「5分くらいだよ。大した距離じゃないよ。」
「そらならいいけど。」
話しているうちに自分が今通っている道に見覚えがあるのに気づいた。
「ここ見覚えある。」
「そうかもね。」
大通りを歩いていく。
車や自転車が忙しなく行き来する。
やはり昔よく通った気がする。
「ほら見えてきた。」
彼女が指差す方には赤い十字架が掲げられている。
「心が病んでるからって病院に連れてかなくても…。」
「あっははは。もう少し手前」
ゲラゲラ笑う彼女の言う通りの方向を見る。
そこには少し前まで通い詰めていたテニスコートが広がっていた。
「何ヶ月ぶりだろう。」
ここのテニスコートはよく利用していた。
テニス部の人数はそれなりにいたから学校のテニスコートでは全員練習できない。
だからレギュラーはよく試合前なんかは行かされたものだ。
僕は家と反対方向で遠いので嫌だったけれど。
「それが久しぶりに来てみたの感想?」
「そうだけど。」
「ふーん…。」
彼女は小さく仕切りに頷いている。
何か変だっただろうか。
そんなことより自分が思っていたよりテニスコートに来て興奮していることに気がついた。
テニスコートの横を通っていく。
「私、テニスしたことはないけど見るのは好きだからたまに来るんだ。」
「そうなんだ。」
僕には彼女の言葉はあまり耳に届かなかった。
コートを見回す。
A1コートからD4コートまでの合計16面。
結構広い。
ラケットと同じくらいの子供からシニアの方までたくさんの人がボールを追っている。
リズムを刻むボールを打つ音が聞こえる。
ザー、ザー。
砂入り人工芝であるオムニコート特有のスライディングの音もしきりに聞こえる。
やっぱりテニスコートは魅力的な場所だと思った。
「君、本当にテニス好きなんだね。」
「うん。ここのコートは砂が少ないからよくこけたよ。懐かしい。」
本当に懐かしい。
そして強く思った。
ボールが打ちたい。
打ち合いたい。
彼女はAコートからDコートまでのゆっくりと周りを回っていくように歩いていった。
その間僕はテニスコートに釘付けだった。
D4コートまで行くと彼女は観戦用に階段のように三段になったベンチの一番下に腰を下ろした。
僕もその横に座る。
D4コートでは車椅子テニスの人がいた。
ボールを打つときも笑っている。
本当に楽しいのだろう。
「この人たちいつもこの時間帯に来てるんだ。」
「へぇー。」
車椅子の大学生ぐらいの人とその父親らしき人がラリーをしている。
二人ともなかなかうまい。
テニス歴も長いのだろう。
「君はこれをみてどう思った?」
なぜそんな質問するのだろう。
「普通にうまくて、楽しそうだなって。
あと僕も打ちたいと思った。」
「君はそう思ったんだね。」
彼女は切なそうな顔をする。
「そうだけど、この質問がどうかしたの?」
いまいち質問の意図がわからない。
少し沈黙が続いたあと彼女は覚悟を決めたようにこちらにを向く。
今までで見せたことのないくらい真剣に真っ直ぐ僕を見据える。
「君、本当は怪我してないでしょ。」
その瞬間息が詰まるような感じがした。
心拍数が上がっているのが分かる。
汗が噴き出る。
「何言って…」
「ごめん、正確に言い直すね。とっくの昔に怪我、治ってるでしょ。」
体が強張る。
「最初、私はもうテニスができない体なんだと思ったたの。いわゆる選手生命を絶たれるってやつ。」
「急にどうしたんだよ。」
僕はぎこちなく笑って見せた。
彼女はスルーする。
「したくても好きなことができないってとても辛いことだから。だから君は仕方なく貘になったんだと思ってた。」
彼女は淡々と続ける。
息が詰まる。
「君と会ってから君が部活に戻ってきてくれって部員から言われてるのを何回か見かけた。」
「そ、そんなのあったっけ。」
誤魔化そうとした。
しかし彼女は無視する。
「君はテニスについて抵抗がなかった。だからてっきり自分の中でテニスについて蹴りをつけてると思ってた。」
目を晒す。
彼女はこちらを脇目もふらず見つめている。
「でも、テニスが好きだって言ったよね。君。」
「言ったけど。それはとりあいず行っただけで。」
「誤魔化さないで!」
彼女の語調が強くなる。
「本当にできない人は自分でできないことをわかってるんだよ。諦めや絶望と共に。
だからそんな人がテニスが好きなんて簡単に言えるはずない。」
もう誤魔化せない。
「何より君は言ったよね。ボールを打ちたいって。それはさ、できるやつだからこそ言えることなんだよ。できない奴はそんなの悲しくて言えないよ。」
沈黙が辛い。
「本当のことを教えて。」
彼女は静かに言う。
言わざる終えないと思った。
だから伝えた。
僕は周囲から強い期待を集めていた。
けれど、秋頃から小中まで勝てていた奴らが伸び始めて結果が思うように出せなくなった。
それでも期待に応えようと必死に練習して勉強の成績が下がった。
でも親はそれを許さなかった。
テニスは将来仕事になるわけではないのだから勉学を疎かにしてはいけないと。
睡眠時間をほとんど削り死ぬほど頑張った。
そしてパンクした。
彼女は僕が話している間、何も喋らなかった。
ただ正面から僕の目を見つめていた。
「それで君はテニスが好きなの?」
全ての話が終わった後、こう問いかけてきた。
「好きだよ。」
「じゃあ再開すればいいじゃない。」
「そんなに単純じゃないんだよ。」
簡単に言わないで欲しい。
周りの無責任な期待がどれだけ辛いのか。
勝手に僕のことを期待のエースだといって僕にテニスを押し付ける。
そうして僕をテニスでしか評価しようとしなかった。
だから、テニスをし続けなければならなかったのだ。
日々周りの期待に応えるために努力し続ける。
周りに見限られる恐怖と日々闘いながら努力しなければならない。
期待は人を喜ばすこともあれば、苦しめることだってあるんだ。
そんな楽しくないもの二度とごめんだ。
「君は楽したいだけなんじゃないの?」
うるさい。
「手放しに自分を認めて欲しいだけじゃないの?」
うるさい。
「君は逃げてるだけじゃないの?」
「うるさい!」
声が昂る。
「君なんかに分かるわけないじゃないか。
どれだけ苦しいか。分かるわけない!」
気づいた時には大声で怒鳴っていた。
それでも彼女は黙っていた。
晒していた顔を彼女に向けると彼女の目からスッと一線の涙が頬を伝っていったのが見えた。
「君こそわかってないよ。好きなものを好きなように追いかけられることがどんなに幸せなのか!」
彼女はボロボロと涙を零しながら僕に負けないぐらい大声でそう言った。
彼女がそんな表情を見せると思っていなかった僕は走り去る彼女を追いかけることができなかった。
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