あの日のこと
長月そら葉
想像しか出来ない、八月六日
あの日、朝から晴天だった。
蝉が元気に鳴いて、五月蠅いくらいで。
戦争のせいで十分な食べ物はなかったし、空襲警報で自由に外に出られる時間も少なかった。
それでも。お兄ちゃんもお父さんも、戦争に行っちゃったけど。はがきが時折届く。
元気にしていると。お前たちの幸せを祈っていると。お国のために戦うのだと。そんな言の葉たちを送ってくれる。
きっと、それは幸せなことだ。お母さんも弟も、まだ見ぬ妹も、わたしの傍にいる。
だから大丈夫だと、その時までは思っていた。
けたたましく、警報が鳴り響く。
敵機が来ると、防空壕へ隠れろと。
それが外れることもあったから、わたしは油断してしまったのかもしれない。
お母さんは大きくなったお腹を抱えて、弟の手を引いて庭に掘った防空壕へと隠れた。お前も早く来なさいと、わたしを手招く。弟は警報の音に驚いて泣いている。
それに応じて、駆け出した。
その時だった。
何かが、弾けた。
何もわからなくなった。
様々な色の光が視界を覆う。
気付いた時、家は潰れていた。
お母さんは、弟は。そう思って視線を動かす。
いた。
けれど、防空壕は崩れていた。
お母さんの手が、助けを求める手が、かろうじて見えた。
わたしは叫び、その手を引っ張った。
でも、助けられない。
お母さんの上から、重たい土と建物の残骸が圧し潰してくるから。
かろうじて、お母さんの声が聞こえた。
お母さんは言った。お前だけでも、逃げなさい、と。
わたしは嫌々と子どものように首を振った。お母さんと弟と、おなかの妹置いてなんて、行きたくない。
何処からか、焦げ臭いにおいがした。
火の手が迫っているのだと、本能が理解した。
朝八時だ。朝ごはんの用意をしている家もあったことだろう。
急いで、助け出さなければ。
お母さんは、逃げろと言う。その声は、どんどんと小さくなる。
早く。早く。
誰か、助けて。
周囲を見れば、こちらにやって来る人影が見えた。
わたしは走って、助けを求めに行った。
行こうとした。
でも、恐ろしくなって逆方向に走り出した。
その人は、人に見えなかった。黒くて、ただれて。水を求めていた。
怖くて怖くて。お母さんのもとへと駆け戻った。
しかし、間に合わなかった。
家は火に包まれ、どうしようもなかった。
わたしは、立ちすくむ暇さえ与えられなかった。
ただ、お母さんの言葉通りに動いた。
逃げなさい、という最期の言葉。
何処まで走ったかなんてわからない。
気が付けば、救護所にいた。
そこには、わたしのように生き残った人たちがいた。
同じかそれ以上の、死んでしまった人たちもいた。
彼らは多すぎて、火葬されていた。
もう、何があったのかもわからない。
あの乳飲み子が、何をしたというの?
黒くなってしまった我が子にしがみついて泣き崩れるあのお母さんが、何をしてしまったというの?
水を求めて歩いていたあの人は、絶対普通の人だった。
わたしは、どうしてここにいるの?
もう、なにもわからないよ。
お国のために、たくさんの我慢をして、寂しさをひた隠した。
それが最善だと信じていたから。
でも、違ったの?
誰か教えてよ。
ねえ。
わたしは、生きていていいの?
お母さんも、弟も、いないのに。
妹は、生まれてくることさえできなかったのに。
お兄ちゃんもお父さんも、同じ人間を殺すために旅立った。
そんなこと、してほしくなんてなかったのに。
そんなこと、したくなかったはずなのに。
確かに笑顔もあった日々が、消えてしまったように感じた。
それからしばらく経って、あの日に何が起きたのかを知った。
原子爆弾が落とされたのだという。
たくさんの人生が、そこでぷつりと切れてしまった。
長い間、草木も生えないだろうと言われた。
昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分
あの日を、わたしは忘れない。
―――――――――
わたし、長月そら葉、は小学校が広島でした。
平和学習や8月6日の登校日などの経験は、わたしの人生に影響を与えているのだろうと思います。
幼い頃のことですから、覚えていないことも多いです。
それでも、戦争は何も生み出さない。生み出すとすれば、恨みや諍い。そんな思いは、胸に残っています。
当時、平和資料館にも行きました。被爆者の方たちの経験談を聞くこともありました。たくさんの残された遺品、証言、展示、お話。それらすべてが、語り掛けてくるのです。
わたしの拙い文章が、想像でしかない文章が、誰かの「戦争をしてはだめだ」という思いにつながることを祈っています。
コロナ禍の中、伝えられない思いを抱えた方が、たくさんおられることでしょう。経験を持つ方々は、多くはないのです。時間も長くは残されていません。
何も知らない青二才のわたしが言える事なんて、ないのです。
でも、平和な日本だからこそ、出来る事がたくさんある。
それを忘れないでください。
長崎に原爆が落とされたのは、同年8月9日午前11時2分。
では、偉そうに失礼いたしましたm(__)m
お読みくださった方、感謝申し上げます。
あの日のこと 長月そら葉 @so25r-a
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます