第28話

 アマンキメツィとサンカロンギの二人は、兵士達に取り押さえられた。連行されていく二人を見届け、そして振り向き、見上げる。

 ワーンガーは、立ったままの姿で、完全に動きを停止していた。

 見たところ、何も変わっていない。それでもワーンガーは、俺に一撃で敗れたのだ。

 俺が斬ったのは、ワーンガーの内側にある力だった。

 ワーンガーの体は、斬ることができない。体を斬ることはできなくても、その中にある形のないものを斬ることは、できた。

 でも、ただ剣を振るだけでは斬れない。極限までワーンガーに近づいた時だけ、近づく勇気を持った者だけが、斬ることができる。それはあの時、グスタシオの魂が教えてくれた。俺に勇気があったかどうかはわからない。ただ、グスタシオが教えてくれたことだから、俺は何も怖くなかった。それだけだ。

「やっぱりアケヤはグスタシオでした」

 空いている俺の左手を、ナラカは両手で包み込むように握った。

「俺は俺だよ。でも、グスタシオが助けてくれた。グスタシオが力を貸してくれたから、俺は勝てたんだ。俺の力じゃない。グスタシオのおかげだよ」

「でも、アケヤがいなければ、グスタシオはたすけるひとがいませんでした」

「それは、そうだけどさ」

「アケヤはすごいです。わたしはアケヤがだいすきです」

 左手だけでなく、今度は腕ごと抱え込んで、体を寄せてきた。

 これは、どっちの意味の「好き」なんだ。

 知りたいような、知りたくないような。日本語はそこが曖昧な言語だ。そのことを恨めしく思う気持ちと、ありがたく思う気持ちが、心の中で複雑にせめぎ合った。



 その後、アマンキメツィとサンカロンギへの取り調べが、厳しく行われた。

 俺への襲撃が失敗した後、ワーンガー復活への道が閉ざされたと判断した二人は、モイスに近づくことにした。モイスを支配することで、ヴァスヒューダを影で操るつもりだったのだ。

 しかし、カガニスがいる以上、モイスはあくまでも王の補佐だ。今は実質モイスが国政を取り仕切っているとはいえ、カガニスが成長すればそうではなくなる。だからカガニスを殺して、モイスを王にしようとしたのだ。

 モイスが二人を追いかけて神殿の地下に行った時、二人はまだワーンガーを目覚めさせるつもりはなく、いざという時に本当にできるのかどうか、確認のために行っただけだったらしい。そこへ正気に戻ったモイスが現れたことで、急遽見切り発車でワーンガーを目覚めさせることにしたのだ。もし準備万端な状態で目覚めさせていたなら、途中でワーンガーに抵抗されて振り落とされるなんてことはなかったかもしれないし、俺だって、あんなに近づいて剣を振ることは、できなかったかもしれない。だから、モイスが二人を刺激しなければワーンガーは目覚めることなく平和だったのに、なんてことは、決して思わない。


 ヴァスヒューダには、この二人以外にも、魔術師はたくさんいる。

 ワーンガーは再び地下深くに封印された。檻も鎖も新しく作られ、最新の術式が施された。これで、もし仮にワーンガーが再び目覚めることがあったとしても、それは数千年、数万年先という遠い未来のこととなった。


 そういえば、ソホロドからはかなり離れた村で、馬に乗った一人の男がさ迷っているのが発見されたそうだ。知らぬ間に魔法を掛けられ、今自分がどこにいるのかが全然わからなくなってしまったらしい。男の懐からは、カガニスが襲撃されたことを知らせる、ベーン領主の手紙が見つかったとのことだ。



 食堂で朝食を食べながら、ふと考える。

 俺には、使命がなくなった。

 ワーンガーが封印し直されたおかげで、俺は自由にソホロドを離れることができるようになった。ヴァスヒューダは広い国だ。それに、この世界には他にもいろんな国がある。これからはもっと、遠い場所にも行ってみようと思う。

 さすがに一人で行くのは寂しいから、ナラカも誘ってみよう。この世界に来てから、ナラカが隣にいない日はなかった。今さら離れるのは不自然で、なんだか落ち着かない。それに、言語が違うことは誰も気にしないけど、やっぱり日本語とヴァーセ語を話すナラカがいた方がコミュニケーションを取りやすいだろうし、不安がない。

 あとは……マヤーリエは宮殿での仕事があるし、レイミンは王族だから気軽に遠くへ行くことはできないだろうし……やっぱり、ナラカと二人ってことになるだろう。

 食事を終えて、部屋に戻ってきた。しかし、いつもならこの時間に部屋に来ているはずのナラカがいない。

 どうしたんだろう。

 一人で出掛けるとメモを残し、外に出た。

 ずっと変わらない、薄着がちょうどいいくらいの爽やかな暑さ。この平穏な生活も、ずっと変わらず続いてきたかのように錯覚してしまう。

 でも、大通りは今も工事中だ。

 ワーンガーが出現したことによってできた巨大な穴、そして踏み砕かれた石畳。工事は毎日続けられているけど、そう簡単には元通りにはならなさそうだ。建物に被害はなかったけど、歩道もだいぶ壊れたせいで、露店はまだ休んでいる。

 ただ、角を一回曲がれば、以前と変わらない街並みが広がっている。むしろ、大通りに人がいなくなった分、こちらに人が集まり、賑やかさが増していた。

 特に目的もなく、ぶらぶら歩く。ワーンガーと戦ってからの数日は、急に人が集まってきて歩けなくなったり、逆に近づきづらそうに遠くから眺められたりしていた。でも最近はまた以前と変わらず、普通の一人として見られるようになってきていた。

 考えてみれば、こうして気軽に一人で出歩けるのも、以前とは違う。以前はいつまた襲われるかわからないから、ナラカやマヤーリエがそばにいるのが当たり前だった。でも、そんな心配は、今はもう必要ない。

 そういえば、ナラカはどうしたのかな。さすがにもう宮殿に来ているだろうか。もしナラカにその気があればだけど、旅行の話をしてみたい。


 思った通り、ナラカは宮殿に来ていた。

 しかし、いたのは俺の部屋ではない。門を入ってすぐのところにある広場だ。

「アケヤ! みてください!」

 大勢の人が、ナラカと一緒に広場に集まっていた。体の色はもちろん、老若男女さまざまな人達が、ざっと見て百人くらい、俺に視線を浴びせている。

「えっと……」

 全く、状況が飲み込めない。見ず知らずの人もいれば、顔をよく知っている露店の店員もいる。ひょっとして、仕事ができなくなった補償を俺に求めに来たのだろうか。それはさすがに、俺のところに来るのは筋違いだ。

「ナラカ、この人達は」

「はい! みんな……」

 ナラカは一旦振り向いて、集まっている人達の視線を確認した。

 みんな……何なんだ? 急に喉の乾きを感じ、息が詰まる。

 前に向き直したナラカが、大きく口を開いた。

「みんな、にほんごをおぼえたいです!」

「……………………ええっ!?」

 ど、どういうことだ?

「みんな、アケヤがだいすきです! いつもわたしがアケヤとはなしていますから、みんなもアケヤとはなしたいとおもいました。ですから、にほんごをべんきょうしたいです!」

「で、でも、どうして、急に」

「アケヤはワーンガーとたたかいました! すごいひとです!」

「そんなことないって。あれはグスタシオが力を貸してくれたから」

「でもほんとうにたたかったのはアケヤです!」

「えっと、う、うん」

「ですから、にほんごをおしえてください! わたしも、もっとにほんごをべんきょうしたいです!」

 俺にワーンガーと戦う意思があったのは確かだし、実際に戦ったのも俺であることに間違いはない。だから、あまり否定はできない。

 でも、どうする……。

 日本語教師として、日本語を勉強したい人が増えたのは、素直にうれしい。

 でも百人もの大人数に教えることは、俺にはできない。

 講義型の授業なら何人いても大丈夫かもしれないけど、語学の授業というのは会話の練習をしたり、それぞれの生徒が正しく発音できているかを教師がきちんと聞き取ったりしなければならないから、大人数の授業は適していない。実際にはさまざまな理由を総合してなんだろうけど、日本国内の日本語学校では、一クラスの上限は二十人と定められている。

「ナラカ」

「はい!」

「やっぱり、俺には無理だ」

「えっ! どうしてですか?」

 元気いっぱいだったナラカの表情が、急に曇った。

「さすがに、多すぎるよ」

 二十人が三十人くらいに増える程度ならなんとかなるけど、百人となるとそうはいかない。

「でも、みんなにほんごをべんきょうしたいです!」

 このままでは、授業は成り立たない。

 でも、解決方法が、ないわけではない。

 まず、全体を午前と午後に分ける。二部制にして、午前にやった授業を、生徒を入れ替えて午後にもう一回やるのだ。これは、日本国内の日本語学校でも一般的に行われていることだ。

 この方法で、百人を五十人ずつに分けることができる。しかし、まだまだ多い。五十人を、さらに半分に分けたい。

 だから……。

「言っただろ、『俺には無理だ』って。俺だけなら、無理だ。だから、ナラカも先生になって、日本語を教えてほしい」

「へっ?」

 一瞬、きょとんとした顔を見せた。そして、

「わ、わたしが? わたしがせんせいですか? わたしがおしえるんですか? こんなにおおぜいのひとたちに、わたしがおしえるんですか?」

 人差し指を胸に当てたまま、振り向いて百人の生徒希望者の顔を見回し、そしてまた前を向いて俺を見た。こんなに慌てふためくナラカは、記憶にない。

「そうだよ。ナラカも教えるんだ」

 初級の学習者なら「わたしが教えますか」と言いそうなところを、ナラカは「わたしが教えるんですか」と言った。ごく自然にこういう言い方ができるくらいなら、初心者を教える教師として、問題はないはずだ。

「でも、ヴァーセごがわからないひとも、たくさんいます」

「俺もヴァーセ語はわからないけど、日本語を教えたよ」

「そうですけど……、はい、わかりました。がんばります!」

 困惑していたナラカの表情が、やる気に満ち溢れた顔つきに変わった。

 俺とナラカで教えるなら、たとえ百人の生徒がいても、なんとかなるはずだ。

 ついさっきまで、これからはのんびり旅行を楽しもうなんて思っていたのに、全然それどころではなくなってしまった。ここに集まった人達にどうやって日本語を教えていこうか、今はそのことで頭がいっぱいだ。でも、それが楽しくて仕方がない。やっぱり俺には、日本語を教えるのが、一番合っているのかもしれない。

 俺がこの世界に召喚された理由は、今はもうない。

 それなのに、これからの方が、むしろ忙しくなりそうだ。

 日本語教師としての俺の人生は、この異世界でも、ずっと続いていく。

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異世界で日本語が通じなかったので、教えることにした。 夕見すくな @sukuna00

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