第四話 波衣

数日後

 丸山には週に二日休みがある。そして今日はサシャを家に泊めてから初めての休みだった。

 だというのに丸山は太陽が登ろうと、昼になろうと、一向に布団から出ようとしない。普段から夜に働いているため、生活習慣が夜型になってしまっているのだ。

「あの〜、マルヤマさん、今日は何か、予定とかは無いんですか?」

 ついにしびれを切らしたサシャが、丸山の枕元に座って聞く。

「・・・。」

 しかし、丸山は返事はせず、一度寝返りをうち、サシャに背を向ける。

「マルヤマさん〜。」

 しかしサシャは諦めようとしない。今度は声を掛けるだけでなく、両手で丸山を揺さぶる。何度も、何度も。

「起きてくださいよ〜。」

「どっか行きましょうよ〜。」

「せめて、散歩だけでも。」

「あぁ〜、もう、うっせえ!!」

 丸山はそう怒鳴ると力任せに掛け布団を放り投げて、立ち上がる。そして上からサシャを見下ろし。

「わかった。行くぞ、風呂。」

「本当ですか!」

 明らかに喜びで上ずった声で、両目をキラキラと輝かせサシャが聞き直す。

「あぁ、本当だ。だが、夜だぞ。目立つ訳にはいかんからな。それまで寝る。」

 そうだけ言い残すと、丸山は再び先程放り投げた掛け布団を掴み取り、眠りについてしまった。

 ところでサシャは外出できる以外に、風呂に行けるということ自体が嬉しかった。丸山の家の中には風呂はなく、外に出られないサシャは濡らした布で肌を拭くぐらいしか出来ていない。それにここに泊りだす前だって彼の風呂は川や池だった。だから実質今晩は、彼が日の本に来てから初めての風呂になるのだ。

 そのためサシャはこの日。夜までずっと子どものようにはしゃいでいた。そんな中、一方丸山はずっと安眠を邪魔され続けた、まるで小さな子を持つ親のように。


「マルヤマさん〜、夜ですよ〜。」

 サシャは昼間のように丸山を揺すって起こす。連れて行くと自分で言ってしまったのだから仕方がない、丸山は渋々起きる。

 そしてサシャに少し待つように指示し、寝間着から外行きの着物に着替える。

そうして数分後

「よし、行くか。」

「はい、待ってました。」

 サシャはすごい勢いで玄関で下駄に履き替え外に出ていこうとする。それを丸山は急いで止める。

「待て!これを忘れてるぞ。」

 丸山の言う「これ」とは笠のことだ。いくら人通りが少ない時間帯とは言え、これ無しで外に出るのは自殺行為でしかない。丸山は笠を持って玄関にまで行き、サシャにそれを渡して自分も下駄を履いて、とぼとぼと家から出ていった。

「置いてかないでくださいよ〜。待って下さいよ〜。」

 サシャも急いで笠を被り、丸山の後を追っていった。


 それから五分もしないうちに二人は銭湯の前に着いた。

「ここが風呂屋ですか?」

「あぁ、そうだ。じゃあ、お前は少しここで待ってろ。この時間帯なら、人はいないだろうが、いちよう確認してくる。」

 そう言って丸山は暖簾をくぐり中に入っていく。サシャはその間、なるべく目立たないよう、道の端によって静かに江戸の風景を眺めていた。

「Je viens de loin.」

 サシャはふと、そう呟いてしまった。

 その時丸山が風呂屋の中から戻ってきた。

「大丈夫だ。ついて来い。」

 そう言われ、サシャも風呂屋の中に入った。そしていくつも籠が並んだ部屋に入る。サシャはもう必要はないと、笠を取る。

 そんな時、丸山は唐突に籠の一つをサシャに差し出し言う。

「それじゃあ、ここで服脱いで、脱いだ服は、これに入れろよ。」

 サシャは空いている方の手で籠を受け取る。

「へッ?!」

 そして数拍置いてから素っ頓狂な声を上げる。

「マルヤマさん、服脱ぐのはまだ早くないですか?」

 丸山が不思議そうな顔をする。

「早いっていうと?」

 サシャの質問の意味が丸山には伝わっていないようだ。そのためサシャは質問をし直す。

「いや、だから、その、服脱いだりするのは個室に入ってからでは?」

 すると、サシャの質問の意味を理解したのか、丸山が笑い出す。

「個室って、、、高級旅館じゃねえんだから。そんな物はない。」

 その途端サシャはさっきまでの風呂への期待が一気に泡となって消える。まだフランスにいた頃、彼はこういった公共の浴場を見たことがあるが、それはもう汚く、ヒドイものだったのだ。

 サシャがぼーっとしていると、丸山は続けて話し出す。

「じゃあ、服脱いだら先に風呂入っててくれ。俺はそこの婆さんにちょっと用がある。」

 そう言うと丸山は、手で入口の方を指す。

「婆さん?!」

 サシャは驚いて声を出し、入口の方を見る。

 確かにそこには、シワだらけの顔に、曲がった腰をした背の低い老婆が座っていた。ただあまりにもこじんまりと収まっているものだから、サシャは今の今まで居ることに気づかなかったのだ。

 サシャは顔から血の気が引いていくのを感じる。

「マ、マルヤマさん、これマズイんじゃ無いですか、、、。」

 すると丸山が、はっとして声を抑えつつ言う。

「すまん、言い忘れてた。あの婆さん、耄碌しちまって目が見えねぇんだ。だから大丈夫だ。さ、風呂入ってこい。」

 そう言って丸山は、サシャの尻を一度叩き上げる。

「ヒャッ!!」

 驚くサシャを置いて、丸山は老婆の方へ歩いていく。そんな丸山の後ろ姿を見つめつつサシャは服を脱ぎ、重い足を引きずりながら浴場に入っていった。

 するとサシャは自分の共同浴場というものの像を百八十度曲げられることとなった。

 そこはまるでキリスト教登場以前の古代ローマのテルマエのような芸術的空間であったのだ。奥にはそびえ立つ山の壁画があり、湯は透き通り水晶のごとく煌めいている。

 サシャは場の美しさに圧倒されながらも、近くに置かれていた桶で水を浴び、湯に浸かってひたすらに絵を眺め始める。その頃にはサシャの目は一般人の目から、芸術家の目に変わっていた。

 絵の内容を一つずつ分析していく。角度、色彩、光度・・・

 それから数分後、丸山も風呂の中に入ってくる。そして手に持っているものを湯船の端に置き、かかり湯をしながら、一心不乱に絵を見つめるサシャに話しかける。

「その絵は、西洋人の目からしても美しいか?」

「ええ、もちろんです。」

「じゃあ、これも西洋人の舌にも合うといいな。」

 丸山が風呂に入る前、老婆と話していた理由は”それ”を買う為であった。かかり湯を終えた丸山は、再び”それ”を右手で持ち、風呂に入る。

「なんですか?それ。」

「飲んでからのお楽しみだ。」

 そう言うと丸山は、サシャの分の”それ”を容器に注ぎ、注ぎ終えると、サシャの方へ差し出した。

「さ、飲め。グイッと。」

 サシャは”それ”を恭しそうに両手で受け取り、両手で持ったまま口元に近づけていく。

「いただきます。」

 そしてサシャは”それ”を一気に飲む。すると口の中に程よい甘みが広がり、体の芯に炎が着くのを感じた。”それ”とは俗に百薬の長、命の水と呼ばれる物、そう”酒”だったのだ、それもかなり上等の。

 しかし飲み干した、サシャは一言。

「ありがとうございます。」

 そう言うと酒はまだまだあるにも関わらず、ちょくを盆の上に戻してしまった。

「どうしたんだ?」

 丸山が聞く。

「・・・」

 しかしサシャは、返事をしない。それには理由があった。サシャは酒が飲めないのだ。これ以上飲めば確実に意識が飛んでしまう。

 だが丸山の顔を見るとなかなかそれを打ち明けられない。

「気に、入らなかったか?」

 返事を待ちかねて丸山が不安げに聞き直す。

「すいません。」

 サシャはうつむいて、今にも消え入りそうな声でそう呟いた。丸山はサシャを落ち込ませまいと、急いで助け舟を出そうとする。

「いや、別に良い。お前に前もって聞かなかった、俺も悪かった。それに酒は後で俺が飲むから安心しろ。」

 だがその効果はまったくなく、浴場の空気は凍りついてしまった。

 丸山はなんとかそれを脱しようと、サシャに一言だけ声をかけて風呂から出、体を洗い始める。

 一方サシャはと言うと、ピクリとも動かず、湯の上をゆらゆらと漂っている酒の載った盆を見つめていた。

 そんな中、サシャは自分の視界がぼやけだしたに気づく、さっきので少し酔い始めた上のぼせだしたのだ。彼は風呂から出ようとする。

 が、その時彼の足が酒の載った盆に当たり、酒が風呂の中に盛大に撒き散らされる。

 音に気づいた丸山が体を洗いながら、サシャに声を掛ける

「どうした?」

 だが返事をしないまま、数秒後、サシャは風呂の中にへたり込んでしまう。丸山はサシャの方を見てもう一度聞く。

「大丈夫か?」

 すると今までずっと黙ったままサシャがやっと応える。

「ええ、大丈夫デス。」

 しかし普段の雰囲気と何処か違うことに、丸山はまだ気づいていない。そんな丸山にサシャから声をかける。

「ところでマルヤマさん、背中流しマショウカ?」

「ほんとか?すまんな。」

 丸山は、何処かフラフラとして歩いてくるサシャに体を洗う布を渡し、背中を向ける。


次の瞬間


スパーーーーーンッ


「痛ってぇ、何しやがる!?」

 丸山は驚いて、大声で叫び後ろを見る。そこではサシャが口角を片方だけ上げ微笑み、布を両手で引き絞っていた。

「これは僕の国の普通の背中を洗う方法デ〜ス。」

 もちろん嘘である。しかし丸山に、それを知る由はない。

「それなら仕方ないが、もう少し優しくは、、、。」

「出来ないマセン。」

 サシャは丸山が、言い終わりもしない内に速攻返事した。

 そしてサシャは布を鞭のようにしならせ二発目を放つ。


スパーーーーーンッ


「アッ!」

 丸山は思わず声を出す。

三発目


スパーーーーーンッ


「アアンッ!! ハァ、ハァ、ハァ、ハァ。」

 丸山が再び声を出す。それに次第に息が荒くなってきた。

「マルヤマさ〜ん、何変な声出してるんデスカ〜? 痛い? それとも、まさかこれで感じてなんていないデスヨネ〜?」

「そんなワケ、、ハァ、、、無いだろう。」

「では、続きをしまショウカ。」

四発目


スパーーーーーンッ


「アァッ、、ハァ、ハァ、、、」

「マルヤマさん、やっぱり興奮してるじゃないデスカ〜。」

 サシャが再び布を持ち直し言う。

「してないと、、、言ってるだろう。」

「じゃあ、これはどういうことですか?」

 そう言うとサシャは丸山の横まで歩いてくる。そして丸山の股間を覗き込む。

そこでは丸山の”モノ”が立派に反り上がっていた。

「こんなので興奮するなんて、マルヤマさん、、、『変態』デスネ。」

 サシャは丸山の耳元で囁く。

「違う、、、変態なんかでは、、ハァ、、、ない。」

「へー、これでもなお、違うって言うんデスカ。では仕方ないです、私も本気を出すデス。」

 サシャはそう言い、突然丸山の両肩を掴み後ろ向けに引き倒す。

ドタンッという大きな音が浴場中に響いた。そしてサシャは丸山の足元に回り込み、

「変態じゃないんだったら、こんな事されても嬉しくなんて無いデスネ。」

あろうことか丸山の”モノ”を踏みつけた。

「ハァァァ、、、」

 その時、丸山は達してしまった。その時の快感は一生忘れられないだろう。

「ついに正体を現しましたネ。アナタはとんだ変態デス。で、どうするんデスカ、ワタシの足?」

 サシャは丸山の顔の前に、今汚れた足を突き出す。

「せっかく今、風呂入ったのに。アナタのキッタナイ”モノ”で汚れてしまったじゃないデスカ。責任取って、しっかりきれいにしてくださいヨ。仕方はわかりますヨネ。」

「ハァ、ハァ、ハァ・・・」

 もう丸山は文句一つ言わない、舌を出して息を荒くし、完全に出来上がってしまっている。さながら発情した獣のように。そして顔をサシャの足へと近づけていき、舌の先が足が触れる。

「ハァ〜、くすぐったいデスヨ〜。」

 丸山がサシャの足を隅々まで舐めていく。彼がひとしきり舐め終わると、サシャは足を下ろし、再び丸山の”モノ”踏み付ける。

「アァァァァァァァァ、、、」

 丸山が苦痛の呻きを上げる。だが彼には、もうそんな事は許されない。

「ンゥ〜〜。」

サシャに口を塞がれる、口づけによって。これは丸山にとって人生二度目の口づけであった。口づけを終えるとサシャは上から丸山の目を見据えて言う。

「ワタシが良いって、言うまで勝手に声出すのは禁止デス。」


 こうして二人の夜は朝まで続くのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

流れ流され、浪にのまれて クレナイ ヒビキ @CRIMSONSTAR

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ