サミュエルの断章

安良巻祐介


「父は穢れている」


 アブサロムは、女のように繊細な瞳を燃やして呟いた。


「父は穢れている、耐え難いほどに」


 彼は吐き捨てるように繰り返した。その双眸は熟れた紅玉にもどこか似ていた。白く色の悪い肉体は、人形の素材を思わせないでもなかった。


「虫酸の走るとはこの感覚を言うのだろう。父の存在が、わたしの魂をこれでもかと掻き毟り、血と膿とを流させるのだ」


 ダビデの子アブサロム、彼は、父のとうに失った神性をその身のどこかに受け継いでいた。但し、それはかつて少年ダビデの備えていた輝かしいほどのそれとは比べ物にならぬほどひどく劣化していて、それそのものが胸悪いすえた匂いを放っているような、なり損ないの神性であった。


 それが、彼の父が人に堕したことの罰なのか、それとも彼自身の背負うた罪なのか、それは誰にもわからない。


 ただ、その奇形化した神の絡繰り仕掛けは、腐った林檎は、父への根元的な嫌悪と殺意という形で結実した。


 彼はその白い肌を日のもとに晒し、赤黒い瞳で天を睨み、青黒い歯を剥き出しにして、彼の父に反旗を翻した。萎えた天使の羽によく似た形の彼の耳は、己の行く先に奏でられる破滅の歌を聴いていた。彼はその旗印を掲げた先にあるのが己の死であることを知っていた。知りすぎるほど知っていた。しかし彼は止まろうとはしなかった、否、その破滅の伴奏こそが、より一層、彼の矛を握る手に力を加えせしめたのだ。


 異母兄を殺し、滅びの歌を聴きながら、戦火の中で彼は果てた。


 事切れた彼の顔は、この世のどんなものにも似ていない物凄い表情を浮かべており、目にしたものの気を狂わせたという。


 ダビデの愛児、アブサロム。そのデスマスクは生きているように醜く熟れて、美しく腐って、やがて溶けて消えた。


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サミュエルの断章 安良巻祐介 @aramaki88

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