世界の終わりに、後輩くんは何を望む?

七詩のなめ

夕日のまにまに

 もしも、明日世界が終わるなら、あなたは何を成すのか。


 一昔前に流行ったSF映画のキャッチコビーのようなムズかゆい言葉が脳裏を過る。

 みかんの艶やかなオレンジの夕日が教室を塗りつぶしていく中で、おそらくは静寂に耐えきれなくなった、話したこともない高校の先輩が場の繋として苦肉の策で投げかけたものだろう。

 そんな考えたこともないし、考えるまでもない文言の回答に授業で疲れ切った思考回路に熱を与えるのがもったいないと思い、まず持ってテキトーな答えを投げ返す。


「そうだな。きっと、今と変わらない生活を繰り返すと思いますよ」


 こんな言葉に意味はない。たとえ、見たことしかない茶髪の美少女が、根暗陰キャオタクの俺と縁あって話しかけなければならないという地獄のようなデイリーミッションを受けていようとも、それが俺の回答に影響を及ぼすのかと言えば微かにも解答に影は落とさないだろう。

 なぜならもしもなどという不確定なことなど起こらないし、こうして平々凡々な日常は簡単には砕けない。別に確率論を信じない人間じゃなくともそう思うはずだ。

 そも世界平和はほとんど完了したと言っていいのになぜに明日の心配をしなければならない。名も知れぬ小国や発展途上国では今も紛争や内戦が続くというが、日本に生まれ、くだらないニュースのみが日夜流れ続ける現代に置いて、これほどまでの平和を過去現在未来に考えられるか。

 核爆弾が落ちてきた時代とは違うのだ。一体全体、なんだってそんな心配をしなければならないという。

 日本が平和だから、世界が平和なのだというのは間違っていると、こう言葉にすれば批判の雨あられになること間違いない。

 しかし浅はかな知識しかない高校生の戯言にいちいち文句をいうやつは平和の中で暇を持て余したやつらだ。ひどく言えばそういうやつらの暇つぶしの一貫だ。政治家の一言一句に消費しきれなかった青春の限りをつぎ込むSNSの住人には脱帽するよ。

 拡大する自由を履き違え、自分の意見をまるで当たり前のように拡散する人々。自分が間違っていないという絶対的な自信を持っているようで。

 別にそれが間違っているとは言わない。ただ、よくもまあ恥ずかしげもなく足りない脳で政治家を馬鹿にできたものだと思い眺めている。


 陰キャで友達も少ない俺だから、多分話しかけてきた先輩も会話に困ったんだ。

 だから、こんな生産性のない話をふっかけてきたのだろう。少しでも自分が介入できる隙きを探して、取っ付き易い話題に路線変更をかけた。高校生と言えども、ネットの普及が著しい現代高校生はそういうことにだけは長けている。

 全ては暇つぶし。どの学年の教室でもない、誰も寄り付かないただの空き教室いるのは俺と乗り過ごしたバスを待つ先輩の二人のみ。これは次回のバスが訪れるまでの僅かな時間稼ぎ。


「何か特別なこととかはしないの?」

「する必要がないでしょう」

「それは世界が終わらないって知ってるから? それとも欲しい物がないから?」

「望んで手に入るものに、どれだけの価値があります? 結局、手に入れてしまったら人は次の望みを胸に懐いてしまうものでしょう」

「難しいことを考える子だなぁ、君は」


 スマホをスワイプする。流れてくるのは世界情勢や、直近のニュース。失礼だが一度や二度目を先輩に向けただけで、顔すら覚えてはいない。声色と二度の観察から女性であることはわかっている。なんだって俺に話しかけるんだ? 無視して過ごせばいいものを。

 疑問に思いながら、同じバスを待つ。俺が操作するスマホの画面を覗き込むように頭を割り込ませる先輩。不意に女性特有の甘い香りが鼻を突いて、反射的に仰け反る。

 ソーシャルディスタンスのなっていない先輩だと文句を言ってやろうと口を開こうとした矢先、振り返る先輩と初めて目が合う。

 優しい笑み。すべてを許してもらえそうな包容感。可愛いという感想以外が許されない高校生の価値基準で完成された美を目の当たりにして、俺の軽い批判など彼方へ吹き飛んだ。

 夕日のオレンジが彼女の表情を染める。それはあるいは晴天の日差しの元よりも艶やかで、彼女らしさ――優しさを色濃く映しているようだった。


「私はもっと、君らしい答えを聞きたいな」

「例えば?」

「うーん……私は君を知らないし、君も私を知らないと思うから、はっきりとした答えは言えないけど。君ならきっと、“明日がほしい”とかいいそう」

「それはどこのアニメのセリフですか。……言いませんよ」


 いかにもロマンチックなシチュエーションだったとしても、流石に高校生の俺がそこまでキザなことはパッとは言えまい。むしろ、羞恥心が圧倒的勝利を果たして阻止するに違いない。 

 だから、先輩の望むことは一生口から出ないし、これで俺をつまらないやつだと認めて話しかけてこないだろう。陰キャの俺としてはそれがどうにも助かる。

 しかしなぜだろう。このときの俺は一時の気の迷いで、妙なことを口走る。


「…………でもまあ、先輩に会いに来るんじゃないですか」

「初対面なのに?」

「根暗陰キャオタクの精一杯の反撃を正論で返すのやめえもらっていいですか?」


 クスクスと笑う先輩を見ながら、妙に火照る体を襟に指をかけて引っ張り風を送る。

 やがて、待ちのバスがやってくる時間が迫る。まごうことなき美少女とのひとときもこれでおしまい。奇妙な恥ずかしさだけを胸に、今日も俺の一日が消費されるのだ。

 しかし、教室を出ていこうとする先輩は最後に俺に告げる。


「じゃあバイバイ、後輩くん。また明日ね」

「……また…………明日」


 別れの表情が更にかわいくて。

 たじろいで動けなくなった俺は、とうとう帰りのバスを二本も見逃すという大罪を犯す。

 けれども、名も知らぬ美少女な先輩との再会の約束を確約できたのは、俺の人生に置いてまず間違いなく好機に相違ない。

 それが正しいのか間違いなのかなど、きっと一瞬二瞬先の未来の俺にもわかるまい。確定されているのは俺が二度もバスに乗り遅れたという事実。さらには、名も知れぬ美少女先輩と縁を結べたこと。そして、夕日は美少女をさらに美女に変えるということだけだ。

 夕日が陰り、夜の帳が降り始める。片付けてあったリュックの右肩で背負い、ようやく落ち着いた俺は教室を出ていく決心をする。

 鼻に残る僅かな少女の匂いを人差し指で拭い、誰もいなくなった教室を振り返る。残念なほどに静まり返った教室を一望して、俺は教室のドアを締める。

 その手には早く明日になってほしいという気持ちだけが握りしめられていた。

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