凡人な僕の別れ方

くろねこどらごん

第1話

―――別れよう





そんな考えが浮かぶようになったのは、いったいいつからだろう。









僕には付き合って一年になる彼女がいる。僕の彼女、白瀬楓しらせかえでは道を歩けば誰もが振り向くほどに容姿端麗。天使のような性格にコミュ力抜群、さらにはスポーツ万能成績優秀という、フィクションの世界から飛び出してきたかのような、完璧という言葉すら生ぬるいほどの少女だ。


天は二物を与えずというけど、神様に愛されて生まれてきたとしか思えないほど、彼女は全てを持っていた。




一方、僕は容姿は多少恵まれているものの、学力運動神経共に平均以下。かろうじてぼっちはまぬがれている程度の交友関係しか持たない、どこにでもいるただの平凡な凡人だった。




楓が主人公であるなら、僕は物語にすら関わらない通りすがりの脇役。





彼女を光とするなら、僕は影にすらなれない、誰の目にも止まらない染みのような存在だろう。




学内カーストでも彼女は当然トップクラス。僕は最下層に落ちることを怯えながら日々を過ごす、下層グループの一人だった。





何でこんな僕が誰もが羨む高嶺の花である彼女と付き合うことができたのか、度々学校でも話題に上がるほどである。だけど、その答えは簡単だ。



楓と僕が幼馴染であったという、ただそれだけの話だった。













僕と楓は幼い頃からずっと一緒に過ごしてきた。親同士が仲が良く、家も隣同士という、あまりにもベタベタな、約束された幼馴染というやつだ。



それでも学年が上がれば、男女の間に差が生まれていき、自然と離れていくものだが、幸か不幸か僕は生まれつき病弱だった。

今でこそだいぶマシになったが、体調不良で学校を休むこともザラであり、忙しい両親に変わって僕の世話を進んでみくれていたのが楓だったのだ。

中学まで僕らの関係が変わらずにいたのは、きっとこれが大きかったのだと今では思う。



中学までの楓は今と違って、どちらかといえば地味な存在だった。性格も僕の影響を受けたのか、内向的で人見知りなほうであり、髪型やメイクにもあまり気を使っていなかったと思う。


容姿は当時から整っていたが、基本的に僕にいつも寄り添っていたので、他の男子はあまり寄り付かなかった。



だから、高校に入学するまで楓の一番近くにいたのは僕だった。


彼女がとても優しく微笑むことも、とても優しい性格をしていることを知っているのも、きっと僕だけのはずだった。



だから、彼女を誰にも渡したくないと思ったのは、当然の感情だった思う。


いつまでも一緒にいたい、隣にいてほしいと。


そう思った僕は、中学の三学期に楓に告白した。


楓が告白を受け入れてくれたことが今でも信じられないくらい、僕は嬉しかった。





―――だけどいつからだろう?楓と一緒にいることを、素直に喜べなくなったのは。





―――なんでだろう?楓が隣にいることに、胸が苦しくなったのは。







きっかけは高校入学前の、僕の一言だったと思う。彼女ほどの美少女がいつも僕だけと一緒にいることに心苦しさを覚えていた僕は、楓にこう告げたのだ。他の人とも交流を持ったほうがいいんじゃないかという、純粋な願いからだった。



―――せっかく高校生になるんだし、もっとオシャレしてみたらいいんじゃないかな、と。



それから、楓は変わった。


これまで読む本といえば僕と同じ漫画か小説ばかりだったのに、興味のなかったファッション雑誌も読むようになり、流行のメイクとファッションをこなすようになり、ますます綺麗になった。


髪も整えて、元々綺麗だった黒髪は流れるようなストレートになり、歩くだけで人の目を惹きつけるようになった。

その過程で、同級生からアドバイスをもらうようになり、他の生徒とも交流が生まれ、徐々に綺麗になっていく彼女の周りには自然と人が集まるようになり、内向的で人見知りだった性格も、明るく社交的なものに変わっていった。


もう、以前の面影などないほどに。





あとはもう語るまでもないだろう。結果から言うと、彼女の高校デビューは大成功だった。

いや、成功どころではない。楓のことを知らない生徒などもう学校には存在しない。


男子は彼女のことを目で追い、女子は彼女を慕ってグループが形成されていったのだ。

今や学校の中心には楓がいると言っても、過言ではないだろう。





僕も最初は、楓が皆から認められたことが純粋に嬉しかった。


僕の一言で楓が変わったのだと思うと、我が事のように嬉しかったし、密かに優越感が湧いていた。


僕が楓を変えたのだ。自分だけが彼女の特別なのだという感覚に、その時の僕は酔っていたのだ。





今思えば、そこが僕と楓の分岐点だったのだと思う。


僕は自分が彼女の特別な存在であるという事実に浸っているだけで、自分を変えようなどとは考えもしなかったのだ。

僕は今の自分にそれなりに満足していたし、楓を含めた狭いコミュニティで充分満足だったのだ。


だけど、誰からも愛される少女とその彼女に愛されるただの凡人。


その間にある壁は、僕が考えているより遥かに高いものだった。





楓がスクールカーストのトップに立ってから数ヶ月が経ち、彼女にはファンクラブが出来た。


友達に誘われて読者モデルの撮影に行ったことが大きかったらしい。

雑誌の表紙まで飾った彼女を崇める生徒はますます増えていき、同学年の男子が中心となり、学校の男子の殆どが楓のファンクラブに加入したとの話が僕の耳まで届いたのだ。



楓は高校生になっても、僕との付き合い方を変えることはなかった。

以前の距離感はそのままに、朝は必ず一緒に登校。

昼休みも机を並べて一緒に楓の作ったお弁当を食べ、放課後は互いに待ち合わせて毎日のように一緒に帰る日々。家に帰ってもチャットで他愛のない話を繰り返していた。

休日も予定を合わせてデートをし、帰り際には別れのキスをしたり、共に大人の階段を登ったりと確実に幼馴染から恋人へのステップアップを繰り返し、どこにでもいるカップルになることができていたと思う。





でも、そんな幸せな日々は長くは続かなかった。


僕と楓がお互いを好きでも、どんなに一緒にいたくても。


ただの凡人である僕が、皆から愛される彼女を独占することなど、許されなかったのだ。





僕と楓が付き合っているのを知ったファンクラブのメンバーが、僕に嫌がらせを始めたのはファンクラブが結成されてすぐのことだった。





持ち物がなくなってたり、周りから無視されるなどは当たり前。

グループチャットも、気付いたらブロックされていた。


机の中に「あの人と別れろ」「お前じゃ釣り合わない」と書かれた手紙が入っていたことも、一度や二度ではない。


直接呼び出されて、お前なんかがなんで彼女と付き合ってるんだと、罵声を浴びせられたこともある。





これまで人の悪意に触れることなどなかった僕は、既に参ってしまっていた。

精神的に徐々に追い詰められていくなかで、これまで楓にどれだけ守ってもらっていたのか、改めて実感することになっていた。





だけど、僕は結局誰にも相談することはできなかった。数少ない友人や両親。そしてなにより楓にだけは絶対に知られたくなかったのだ。


楓に伝えたら、きっと彼女は僕のことをまた守ってくれるだろう。


皆に僕をいじめないよう、呼びかけてくれることは分かっていた。


そして、僕は孤立したまま、楓がそばにいてくれた中学の頃の状態に、きっと逆戻りすることも。


今の楓の邪魔になんてなりたくない、それだけは絶対に嫌だという、僕に残った最後の小さな意地だった。



そんな僕の心境など、楓は知るはずもなく、僕達はこれまで通り付き合い続け、いつも通り一緒にいた。

それを見て不満を溜める楓のファンクラブのメンバー。そしてその不満は僕にぶつけられ続けるという、最悪の悪循環がそこにあった。まさに負の連鎖だ。僕の限界は、もうすぐそこまできていた。



楓が好きだという気持ちに偽りなんてない。昔から見てきたその笑顔を、これからもずっと近くで見ていたかった。


だけど、同時にこうも思ってしまう。


こんな状態のまま、楓と付き合い続けてどうするのだと。





僕は本当に楓が好きなのか?



嫌な思いをしてまで付き合うことになんの意味がある?



楓と別れたほうがいいんじゃないか?



こんな考えが、最近はよく頭をよぎった。考えたくないことばかりが、どうしても思い浮かんでしまう。


楓は何も悪くないと言うことは、頭では分かってはいるのだ。


彼氏がいるというのに勝手に作ったファンクラブとやらのメンバーが、彼女に気付かれないよう巧妙に僕をいじめているだけだということも、全部頭ではわかっているんだ。



だけど、感情は納得してくれない。



昔から変わらない、綺麗なままの笑顔を僕に見せる楓に、どうしても苛立ってしまう自分がいる。





―――なんで笑っているんだよ





―――僕はこんなに苦しんでいるのに





―――それもこれも、全部お前のせいなんだぞ





楓に笑いかけながら、心のどこかでこんなことを考えてしまう自分がいた。

彼女はなにも知らないのに、いや、知らないからこそ僕の中で彼女に対する悪意が、少しづつ蓄積されていた。

そんな自分を僕は心底軽蔑したが、そうすることで穏やかな気持ちになる自分も確かにいたのだ。


もう自分でもどうしようもないほど、取り返しがつかなくなりつつあった。





そんな自分を表に出さないよう僕は必死に取り繕っていたのだが、やはり幼馴染であるからか、彼女はどこか気付いているようだった。笑顔の中に、不意に寂しげな表情が混ざるようになっていった。


それでも、楓から僕に問いかけてくることはなかった。




お互いに気を使う性格だったというのもあるだろう。


僕達はこれまで喧嘩などしたこともなかった。


互いに本心を晒すことなど、なかったのかもしれない。


好きだという気持ちがあれば、それで充分だと思っていた。



だからこうなることはきっと必然で、僕と楓の気持ちはいつの間にかすれ違っていたのだと思う。

今までは、そのズレを無視してきた。なんとかなると誤魔化してきたのだ。

でも、もう誤魔化せないほどに、お互いのすれ違った気持ちは大きな溝になっていた。



楓もなんとなく察していたんだと思う。登下校の時は口数がだいぶ減り、昼の時間もぎこちない。

チャットでも共通する話題が少なくなり、話す回数は減っていった。

デートも気付いたらもう何週間も行っていない。


このままじゃダメだと思いながらも、どうすればいいのか分からなかった。







本当に決定的だったのは先週の土曜日の出来事だったと思う。


久々に友人からの誘いに乗って、気分転換にと街に出掛けた僕は、楓が僕以外の男といる姿を目撃してしまったのだ。背の高い相手の男には見覚えがある。同級生のはずだ。

その男と話す楓はとても楽しそうに笑っていた。最近僕といる時では、見ることができなくなっていた笑顔だった。



一緒にいた男子は僕や楓と違うクラスだが、彼女同様学校ではカーストトップグループに所属する生徒だった。


確かサッカー部のエースで菅田という名前だったと思う。成績も優秀なイケメンで、楓のように読者モデルをしていると最近話題になったことを覚えている。下校中、楓の口から菅田の名前が出たこともあった。



男版の楓といえる、カーストトップに位置する菅田。きっと彼なら、皆も喜んで楓の隣に立つことを許すのだろう。それくらい、僕なんかとはオーラが違った。自信に溢れ、優れた人間であるという自負が感じ取れる。



ファンクラブが僕にいじめを繰り返すのも、結局は嫉妬が原因だ。

平凡な僕が、誰からも愛されている楓といることを妬んでいるのだ。





―――なんであいつが



―――あいつでいいなら、俺にもチャンスがあったはずなのに



―――ただの幼馴染のくせに





そんな考えが根底にあるから僕にを排除しようとする。僕がいなくなれば、きっと自分にもチャンスがあるはずだと、彼らは思い込んでいるのだろう。



だけど、自分より優れた人間なら話は別だ。


彼女と一緒にいても、認めざるを得ないくらいの人物―そう、菅田のような人間なら、きっと。




楓を菅田に取られたとしたら、きっと僕は泣くだろう。

悔しいという気持ちや、どうしてという気持ちも間違いなく湧き出る。

楓と菅田が笑顔で並んで歩いている姿はとても様になっていて、僕との違いに嫉妬を覚えなかったといえば嘘になる。


だけどそれ以上に、嫉妬や悔しさを感じるよりも、僕はあの二人が一緒にいる姿を見て心の底から安堵してしまったのだ。





―――これで僕はもう楓を嫌いにならずに済む





―――きっと菅田なら、僕より楓を幸せにしてくれる。皆もそれを望んでいる、と





心の底から、そう思ってしまったのだ。


楓のことが好きだという気持ちは本心だけど、同時に僕は自分がこれ以上傷付き、醜く暗い感情を抱えることを恐れていた。

小さい頃から、僕はずっと楓のことが好きだったけどこれから先、楓と共に歩む未来が、僕にはもう想像できなくなっていた。



そうだ。僕は結局、自分が傷付くのが怖いのだ。困難を乗り越えて楓と付き合う道ではなく、僕は楓から逃げる道を無意識のうちに望んでいた。




こんな僕には、楓と付き合う資格なんて、もう―――




そんなことを考えながら迎えた昼休み。


気まずさから楓と離れ、購買でパンでも買おうかと廊下を歩いていると、背後から声をかけられた。

振り向くとそこにいたのは優しげな表情を浮かべた男子生徒。菅田だった。



「日野君、だよね?ちょっといいかな?」



ついにきたか、と僕は思った。











そのまま無言で連れて行かれたのは校舎裏。嫌な思い出しかない場所だ。

だけど、ファンクラブの奴らはここにはいない。本当に、菅田の個人的な呼び出しのようだ。



なにを言われるのかは、もう分かっていた。

それでも、僕から話を切り出すことはしない。自分から話しかけたら、負けのような気がしたのだ。

僕に残された最後の意地だった。

僕の目をじっと見ていた菅田が、ようやく口を開いた。



「日野君は、白瀬さんと付き合っているんだよね?」



いきなり直球できたな。少し驚いたけど、僕は面と向かって答える。



「…一応、ね」



「そう、か」



僕の言葉に、菅田は一度息を吐く。その後、真っ直ぐこちらを見つめてきた。

覚悟を決めた。そんな表情をしていた。




「…誤魔化しても仕方ないから、単刀直入に言うよ。俺は白瀬さんのことが好きなんだ。だから日野君には彼女と別れて欲しい」




菅田は淀むことなく、迷いのない声でそう言った。

彼氏なら、こんなことを言われたなら怒るべきなのだろう。ふざけるなと激昂するのが普通なのだ。


だけど、僕には怒りを口にすることはできなかった。


やっぱりか。


そんな諦めの言葉が、脳裏をよぎった。



「日野君には本当にすまないと思っている。彼氏持ちの相手を好きになってしまった俺が悪いことも、分かってる。だけど俺は、本当に白瀬さんのことが好きなんだ。俺は彼女と付き合いたい。絶対幸せにすると誓う。望むなら、俺をここで殴ってくれてもいい」



そう言って彼は頭を下げた。彼との会話の中で、怒りの感情は結局浮かんでこなかった。

それどころか、これまで話したことのない菅田に対し、好印象まで持ってしまう。

彼ならわざわざ頭を下げずとも、僕から楓を奪うことはきっと容易なはずだ。

周囲もみんな彼の味方だろうし、楓との仲をきっと後押しするだろう。

だというのに、僕に直接謝罪に出向く姿勢に、好感を抱いてしまったのだ。


菅田はきっといいやつなのだろう。




―――菅田なら、楓のことを幸せにできるんじゃないか





―――僕より菅田と付き合った方が、楓のためになるんじゃないか





そんなことを、思ってしまうほどに。



未だ頭を下げ続ける菅田に向かって、僕は口を開いた。











昼間は多くのクラスメイトで賑わっている教室が、今は夕日を浴びて輝いている。

大量に並べられた机と、黒板、時計、ロッカーといった学生生活に欠かせない物が置かれているだけの無機質な空間で、僕はひとり、彼女を待っていた。

呼び出した待ち合わせの時間まであと少し。真面目な彼女なら、きっと遅れることもないだろう。


少しだけ空いた待ち時間で、僕はぼんやりと窓の外を眺める。

教室をオレンジ色に染める太陽が、ひどく幻想的なものに思えた。



「綺麗だな…」



思わずポツリと零れ落ちた声。そのまま誰も拾うことなく床まで落ちると思えたそれを、すくい上げる人がいた。



「それって、私のこと?」



振り向くとそこに楓がいた。僕が夕日に見惚れている間に、彼女は教室に到着したようだった。

いつもより、早い到着だったと思う。僕は頭を振った。



「悪いけど、そうじゃない」



「そっか、残念。それで話ってなにかな?あき君が私を呼び出すなんて中学以来だね。もしかしてあの時の再現とかかな?」



そう言って楓は僕に笑顔を向けてくる。

いつもなら夕日に負けないほど綺麗だと思うような笑顔のはずなのに、無理をしているように感じてしまう。よく見ると、肩がわずかに震えていた。



「楓さ。この前の土曜日、どこかに出かけてたりした?」



僕からの突然の質問に、楓は少し驚いたようだけど、それでもすぐに答えてくれた。



「土曜日なら家にいたよ?勉強してたんだ。遊んでばかりで成績落としたくないしね」



あはは、と彼女は笑うが、なんとなく目が泳いでいる気がする。

僕ですら気付いてしまうとは、楓らしくないミスだ。

楓は気配りが上手い、そして嘘もだ。普段の楓なら嘘が見破られるようなことはないだろう。

それは僕が一番よく知っていた。僕は一気に畳み掛ける。



「土曜日、僕は街まで出かけてたんだよね」



「え…?」



「ちょうど昼頃だったかな。楓が学校の男子と一緒に出かけている姿を見たんだ。背が高いイケメンだったし遠目からでも分かったよ。あの人、前に楓が話してた、菅田って人だよね」



僕が指摘すると、楓は一瞬で顔を青ざめさせる。

小さく震えながら、すぐに必死の形相で弁解してきた。



「ち、違うの!秀人君とは何でもないの!!ちょっと相談に乗ってもらっただけで!」



秀人君、か。楓が菅田のことを名前で呼んでいるという事実に、少しだけ胸が痛んだ。

僕以外の男子を下の名前で呼ぶなんて、これまでの彼女からは考えられないことだったから。


もう、以前の楓とは、違うのだ。




「本当に何でもないの!…嘘をついたことは、ごめんなさい。でも本当に秀人君とは何でもないんだよ。あき君と最近すれ違ってばかりだったから、どうすればまた前みたいに仲良くできるのか、相談にのってもらってただけなの。そのために一緒に食事に出かけただけで、なんにもしてないんだよ。嘘をついたのは余計な心配をかけたくなかったし、誤解もされたくなかったから…」




必死で弁解する楓からは、嘘を吐いている雰囲気は感じられない。

もしかしたら本当に楓は、菅田に相談にのってもらっていただけなのかもしれない。

菅田の一方的な片思いなだけで、彼の想いを楓は知らないのかもしれない。




でも、僕はもう疲れてしまった。

こうして彼女のことに悩むことも。自分自身にも。


もう全部、投げ出してしまいたくなったのだ。

だから、僕は今日全てを終わらせるために、楓を呼び出した。


本当に身勝手な、僕だけのための別れを告げるために。






「……別れよう」




「え?急にどうしたの?その冗談、笑えないよ?」




「僕達、もう別れよう」




楓は何を言われたのか、わからないような顔をしていた。

僕の言葉が冗談だと思ったみたいで、半分笑いながら僕の顔を見つめてきた。

でも、僕が真剣だとわかると、顔を真っ青を通りこして青白くしながら、目から涙を溢して問いかけてきた。



「何で!?何でいきなりそんなこというの!?秀人君のことを言わなかったから?黙っていたのは本当にごめんなさい!!謝るから!私が全部悪かったから、だから別れるなんて言わないで…あき君と別れるなんてことになったら私、私…」



「楓…」



「駄目だよ……絶対駄目だよ!別れるなんて、そんなの許さないんだから!そんなの、そんなの!ねぇ、あき君!絶対駄目だよ?別れるなんて、そんなこと言っちゃ駄目なんだからね?ほんとは私をびっくりさせるための嘘なんだよね?そうだと言ってよ!!」



楓は泣きじゃくっていた。僕の肩を痛いほどに掴み、端正な顔を思い切り歪めている。

ここまで取り乱して必死になっている彼女の姿は、僕の記憶にない。心が、痛む。


それでも僕は、彼女に告げなくてはいけなかった。



「僕はそのことで怒ってるわけじゃないんだよ…」



「じゃあ、何で別れるなんていうの!?謝るから!悪いところ全部直すから!!これからはずっとあき君に尽くすし、あき君だけを見るから!だから、お願いだから別れるなんていわないでよぉ…」



「楓。僕は……」



「ごめんなさい、もう他の男の人と会ったりしないから…本当に、本当にごめんなさい…」



「謝らないでほしい。楓は何も悪くないんだ。楓が謝る必要なんてどこにもない。悪いのは、全部僕だ。僕が、全部駄目にしたんだ」



「…なに、言ってるの?」



「僕が弱かったんだ。これ以上楓と一緒にいたら、僕はきっと楓のことを嫌いになってしまう。醜い感情をぶつけてしまう。そうしたら、僕はもう自分のことが許せない。それが嫌なんだ。僕は結局、自分のことが大事なだけの、最低な人間なんだよ」



「何それ!意味がわからないよぉ!あき君は、最低なんかじゃない!だから、私とずっと一緒に…」



「楓は分からなくていいよ。楓にはそのままでいて欲しい。僕じゃ駄目だったんだ。僕じゃない誰かが、きっと楓のことを幸せにしてくれるはずだって、信じてるよ」




僕はそれだけ言うと、泣きじゃくりながらすがりついてくる楓を振り払って、振り向くことなく教室から駆け出した。

あき君と叫んで手を伸ばしてくる楓に、小さくさよならとだけ呟きを残して。






これで、これで良かったんだ。元々、身の程知らずの恋だった。

僕なんかじゃ、楓を幸せになんてできなかった。だから、これが正しいんだ。

これが、楓にとっても正しい選択で、きっとみんなが望むハッピーエンドなんだから。


凡人の僕じゃ、結局彼女に釣り合うはずがなかったんだ。




そう、心から思っているはずなのに。








何故か涙が溢れて、止まらなかった

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