最終話

「実は、昔は藍のことは、恋愛とかそういう目では見てませんでした。と言うか、割と最近までそうでした」

「ああ、それはわかるよ。君から見たって、あの子はまだまだ子供だったろうからね」


 何しろ二人の年の差は七つもある。お互い大人になった今ならともかく、少し前までは、とても恋愛の範疇には入らなかっただろう。


「けど、大事には思っていました。懐いてきて、遊んでってねだられて、時々ここで一緒にご飯を食べて。もしも妹がいたら、こんな感じなんだろうなって、ずっと思っていました」


 確かに。ニコニコ笑いながら懐く娘とその相手をする彼は、知らない人が見たら、仲のいい兄妹のように見えてもおかしくはなかっただろう。

 いや、俺や妻の目にだって、そんな風に映っていた。だからこそ、本来なら単なる近所の子に過ぎないはずの彼のことを、いつの間にか特別気にかけるようになった。まるで息子みたいに思うようになった。


 そんな俺の心中を察した訳じゃないだろうが、彼は更にこう告げた。


「あの子だけじゃない。ここに来ると、まるで家族ができたように思えたんです。勝手にそんなことを思ってしまって、図々しいかもしれませんけど」

「──っ!」


 そんなことはない。そう言いかけて、だが言葉が出てこなかった。

 何も、彼の言ったことに不満があった訳じゃない。むしろその逆だ。

 息子のように思っていた相手からそんな風に言われたんだ。嬉しくないはずがないだろう。


 ただ、ただな──なんと言うか、今それにまともな答えを返してしまうと、なんだか感極まって泣き出しそうな気がしたんだ。


 そんな気持ちを悟られないよう、クルリと背を向けカウンターの奥にあるコーヒーメーカーへと手をかける。


「な、なんだか話していると喉が乾いてきたな。コーヒー、もう一杯いるかい?」


 我ながら、なんと下手くそな話の反らし方だろう。そうは思うが、頼むからそこはツッこんでくれるな。

 困った時はコーヒーに逃げろ。これぞ、長年喫茶店のマスターを勤めてきた者の会話術だ。


「いえ、まださっき淹れてもらったのが残っているので」


 だよな。結局俺は、自分の分だけを新たに作り、再びカウンターへと座る。


「話の腰を折ってごめんよ。それで、続きを聞かせてくれるかな」


 彼もまた、俺達のことを家族のように思ってくれていた。それを思うとまた心が落ち着かなくなってくるが、今回二杯目のコーヒーを飲むことで、かろうじて平静を保つ。

 コーヒーを飲むと、心が落ち着く。カフェインの効果だ。詳しいことは自分で調べるように。場合によっては、三杯目の出番もあるかもしれないな。

 おっと、今はそんなことを考えている場合じゃない。ちゃんと、彼の話を聞かなければ。


「家族を作ることへの不安は、正直なところまだあります。だけど藍となら、家族の温もりを教えてくれた彼女となら、きっと乗り越えていける。おじさん達みたいな、温かい家族を作っていける。そう思ったんです。これが、結婚を決めた理由です」


 彼はそこまで言い終えると、自らのコーヒーを口へと運んだ。その時、カップを持つ手が僅かに震えていることに気づく。

 そりゃそうだ。こんな大事な場面で、自らの胸の内を晒すんだ。緊張しないわけがない。


 とにかくこれで、俺が聞きたいことは全部聞いた。彼は、覚悟を持って話してくれた。抱えている不安も、それを乗り越えようとする決意も、全て。

 なら次は、俺が何かを伝える番なのだろう。


「…………俺もさ、結婚する時は不安だったんだよ。それに、あの子が産まれるって時も」

「おじさんも?」


 意外に思ったのか、俺の言葉に驚く彼。だが事実だ。


「ああそうさ。誰かと家族になるってのは、それだけ自分の行動で幸せになるやつ、あるいは不幸になるやつが増えるって事だ。そう考えると、怖いとさえ思ったよ」


 一番強くそう感じたのは、妻の両親に挨拶に行った時。ちょうど、今の彼と同じ立場にいた時だ。


「多分、誰でも多かれ少なかれ、似たような気持ちになるんじゃないかと思うんだ。だけどみんな、それを乗り越え家族になっていくんだよ」


 ああ、なんか偉そうなこと語ってるな、俺。こんな時だが、ふとそんな風に思う。

 家族がどうとかなんて真剣に語るのは、正直かなり恥ずかしく、多分、後で思い出して一人で悶絶する事だろう。

 だが、今だけはその気持ちを押さえ込む。少しだけ、家族を作ってきた先輩として、偉そうな事を語ってみた。


 それと、ずっと息子のように思っていた彼に、送りたい言葉がもうひとつ。


「それで、もし不安になったり、わからなくなったりしたら、いつでも相談にきなさい。遠慮することはない。その……娘だけでなく、私たちとも家族になるんだから」


 それを聞いて、彼がハッと息を飲む。

 彼にとって、両親の件は家族を考える上で避けては通れないことだろう。大きく意識はしなくても心のどこかに傷として残っているのかもしれない。

 ならば、少しでもその負担を軽くしてやろう。それが、これから本当の家族になる俺ができる、精一杯のことだと思った。


「────はい。ありがとうございます」


 少しの間をおいて、彼は静かに、そしてハッキリと答えた。とはいえ、俺はその姿を直接は見ていなかった。

 さっきから何度か言っていた通り、色々感情が限界なんだ。だってそうだろ。こんなに真剣に家族がどうとか語るなんて、そんなの俺の柄じゃない。これ以上、どんな顔して彼と目を合わせればいいのかなんてわからないんだ。


 と言うわけで、今はクルリと背を向け、三杯目となるコーヒーを淹れている。しかも時間をかけて、ゆーっくりとだ。

 ただ、背を向けたままこれだけは言っておく。


「娘を、よろしく頼む。幸せにしてやってくれ」


 とうとう言ったよ。この、『ザ・娘を嫁に出す父親の定番』みたいなセリフを。まさか、背を向けたまま言うことになるとはわなかったけどな。


「わかりました。ありがとうございます、お父さん」

「───っ!」


 お父さん。そう聞こえた瞬間に、手にしたカップを落としそうになる。

 ああ、やっぱり背を向けておいてよかった。なんだかもう、今にも泣きだしそうなんだ。


 父親の威厳を守るため、それだけは絶対に避けようと、必死で溢れだしそうな涙をなんとかこらえる。

 だが同時に、今度は心の中だけで、彼に向かってもう一度だけ言葉を送る。


 おめでとう。娘だけじゃなく、君も目一杯幸せになるんだよ。






 後に俺は、二人の結婚式で人目も憚らずに号泣することになるのだが、それはまた別の話だ。

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娘が彼氏を連れてくる 無月兄 @tukuyomimutuki

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