第2話
「お父さん、ただいま」
「おじさん、久しぶりです」
大事な話がある。そう言って久しぶりに我が家に帰って来た娘、
大事な話。その内容はまだ聞いていないが、それが何かなんて、本当はわかっている。所謂、「娘さんをください」的なアレだ。いつかはこんな日が来ると覚悟はしていたが、とうとうその時が来たのか。
「二人とも、とりあえず中に入ろうか。話はそれからでもいいだろう」
そう言って二人をリビングに通し、テーブルを挟んで俺や妻の向かいに座らせる。二人が揃っているのを見るのは、数カ月ぶりのこと。だがかつては、毎日のように見ていた光景だった。今でもこうして並んでいるのを見ると、ふと昔の事が思い出されてくる。
娘の彼氏である優斗君。彼と初めて出会ったのは、彼がまだ小学生の頃で、娘にいたっては当時まだ小学校にも入っていなかった。俺だって、その頃はまだ若かった。腹も今ほど出っ張っていなくて、比較的スリムな体系をしていた。
それが今はどうだろう。まだ子供だった二人はそれぞれ立派な大人になり、俺はすっかり中年太りで腹が出てしまい……いや、この際俺の腹はどうでもいい。とにかく、二人の成長と時の流れを思うと、なんとも言えない感動が込み上げてくるんだ。
「────お父さん────お父さん!」
おっと、娘の藍が、怪訝そうな顔で俺を呼んでいる。いかんいかん、ついつい昔の事を懐かしがりすぎて、少しの間意識がとんでしまっていた。
「悪い、少しボーッとしていた。それで、大事な話ってのは何なんだ?」
すると謝ったとたん、藍はなぜか目を丸くしながら、驚いたように言う。
「ちょっと。もしかして、今の聞いてなかったの?」
なんだ? 何を言ったんだ。
周りの声なんてまるで聞こえていなかったから、さっぱり分からない。
すると隣に座っていた妻も、呆れたように呟く。
「あなた……」
なんだよ。そりゃちゃんと話を聞いていなかったのは悪いけど、とても平常心じゃいられないんだから仕方ないじゃないか。
娘と妻からの冷たい視線が突き刺さる中、ただ一人、優斗君だけがこの場をなだめようとしてくれていた。
「すみません。いきなり話を切り出した俺が悪いんです」
気遣いありがとう。今のところ、この場で味方は君だけだよ。
「いや、よく聞いていなかった私が悪かったよ。すまないが、もう一度言ってくれるかな?」
よし、今度はちゃんと聞き逃さないようにしないとな。
じっと彼を見据えて、準備万端。すると彼は真面目な顔つきに変わり、自らを落ち着かせるように、小さく息を吸う。そして、言った。
「それでは改めて──今日は、二人の結婚の許しを貰いたくてやって来ました」
一番大事なセリフじゃないか。もうそんなところまで話が進んでいたのか!
そんなのを聞き逃すなんて、何をやってるんだ俺は。そりゃ、妻も娘も冷たい視線を送るよな。
と言うか、彼はこんな一世一代のセリフをもう一度言い直すはめになったわけか。なんか、ごめんな。
しかし、ここで自らの失態を嘆いてばかりもいられない。せっかく彼がもう一度言ってくれたんだ。今度こそ、然るべき反応を示さないと。
だが、だがなぁ……
正直、何と応えればいいのかわからない。こうなる事は事前にだいたい予想がついていたし、なんて答えればいいか、脳内で何度もシュミレーションしていた。なのに、肝心の答えをまだ出せていなかった。どんな返事をすればいいのか決まらないまま、この時を迎えてしまったのだ。
なに、わざわざシュミレーションをした意味がないって? それを言うなよ。
とにかく、何か言わないと。気持ちを切り替え、改めて優斗君を見る。
何か……何か……
「と、とりあえず、優斗君と二人だけで話がしたいんだか、いいかな?」
さんざん悩んで頭の中がプチパニックになった後、出てきたのはそんな言葉だった。
本当は、短く一言、ビシッと心動くような何かを言えたらよかったのだが、たくさんの思いが渦巻いていて、とても一言じゃ伝えられそうにない。それなら、ひとまず彼と一対一でじっくり話した方がいいだろう。そう思った。
だから藍、そんな目を向けるのは止めてくれ。そう、さっきから心配そうな眼差しを向けてくる娘に対して思う。なにも「お前に娘はやらん」とか、「一発殴らせろ」とか言うつもりはないから。
一方優斗君の方はと言うと、素直に頷いてから、場所を変えるべきかと腰を浮かせる。二人だけで話をするとなると、当然ここではできないだろう。なら問題は、どこに移動するかだ。
「場所は、そうだな……店の方に移ってもらっていいかな?」
「はい」
店。そう言っただけで、彼もすぐにどこの事だか理解する。
実は我が家は喫茶店をやっていて、俺はそこのマスターだ。
店舗部分は母屋であるこの家とくっつく形になっていて、行き来も自由だ。今日は定休日にしてあるが、マスターの俺が身内を入れる分には何の問題もない。
妻と娘をおいて、男二人で店へと移動する。俺はいつものようにカウンターの中へ入り、そして優斗君はその向かいに座る。
「こっちに来るのも、なんだか久しぶりですね」
店の中を見回しながら、彼は懐かしそうに言う。そう言えば、彼が地元を離れ、そして娘と付き合い出してからは、うちに来る時はほとんど母家の方だったな。
だけど彼がまだ学生だった頃は、毎日のように店を訪れ、ここで夕飯をとるのが当たり前になっていた。毎日喫茶店のメニューばかりでは栄養が偏るという理由で、途中からその辺のバランスを考えた我が家の食事と同じものを出すようになったくらいだ。
それだけ、彼は俺にとっても、いや我が家にとっても、近くにいるのが当たり前のような存在だった。
「とりあえず座りなよ。それと、コーヒー淹れようと思うけど、いつも飲んでいたやつでいいかい?」
「はい、ありがとうございます」
気心知れた仲とはいえ、さすがにこういう状況だからか、返事をする彼の声にも若干の緊張が混じっている。うんうん、その気持ち、よくわかるぞ。なぜなら、俺だってメチャメチャ緊張しているから。
そんな時こそコーヒーだ。早速淹れて一口飲むと、ほんの少しだけ、心が落ち着いたような気がした。これは、あれだ。カフェインの効果だ。カフェインと言うと興奮作用を連想するやつもいるかもしれなが、適量摂取ならリラックス効果だって期待できるんだ。本当はその辺の知識を長々と語り、喫茶店のマスターとしての威厳を見せたいところではあるのだが、生憎今はそんな事に割く時間も余裕もない。悪いが、知りたければ自分で調べてくれ。
とにかく、これでようやく、ちゃんと話をすることができそうだ。
ここからは、少し真面目な話だ。決して彼を脅かすつもりはないが、自分の顔が自然と今までよりも真剣なものになっていくのが分かった。
「二人が一緒になることについては、きっと真剣に考えて決めたのだろうし、反対はしないよ。ただ、いくつか聞いておきたい事があるんだけど、いいかな」
「はい──」
優斗くんが頷くのを確認し、まず一つの質問を投げ掛ける。
決して反対する気はない。ただ、どうしても彼の正直な気持ちを聞いておきたかった。
「結婚するってことは、当然相手とは家族になって、一緒に家庭を築くってことだ。そのことに、不安はないかい?」
それを聞いて、彼の瞳が少しだけ揺らぐのがわかる。
やはりそうか。小さい頃から知っていて、ずっとその成長を見てきたからこそ、わかってしまったのだ。
ついさっき、結婚の許しを貰いに来たと言っていた優斗君。だけど力強く言うその一方で、内心では並々ならぬ不安を抱えていることに。
少しの沈黙の後、彼はゆっくりと口を開く。
「…………不安は、あります。家族になる。そう考えた時、どうしても両親のことが頭を過るんです」
そう告げた声は、固く重かった。
彼の両親。俺にとっては、ほとんど話で聞いたことがあるだけの相手だった。だがその存在が、彼の心に大きな影響を与えているのは、想像に難くない。
騒ぐ心を落ち着かせるため、俺はもう一度コーヒーを口に含み、改めて目の前に座る彼の姿を見据えた。
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