娘が彼氏を連れてくる
無月兄
第1話
たまの休日、家でゴロゴロしているのはもったいない。例えそれが近所のコンビニであっても、ずっと引きこもって何もしないよりは、どこかへ出かけた方が、面白い何かが見つかるかもしれない。
そんなことを思いながら玄関で靴を履いていると、家の奥から、慌てたように妻がやってくる。
「あなた、いったいどこに行くの?」
「ああ、ちょっとコンビニまで。何か必要な物があったら買っておくぞ」
何もコンビニでなくても、少し寄り道になったってかまわない。むしろ望むところだ。そう思って尋ねたのだが、妻は呆れたようにため息をつく。
「そんなことしてる場合じゃないでしょ。今日これから何があるか、忘れた訳じゃないでしょ」
「うぐっ……」
そうなのだ。こうして出かけようとしているが、何もこれからの予定がない訳じゃない。
なんと言うかその、来客があるのだ。
もう少ししたら、数年前から独り暮らしを始めた娘が、久しぶりに帰ってくる。来客って娘のことかって? そうじゃない。
確かに娘は帰ってくる。だがそれと同時に、彼氏を連れて来る事になっている。もう一度言おう。彼氏を連れて来るんだ。
念のため誤解のないように言っておくが、娘に彼氏がいるのが不満って訳じゃない。世の中には我が子の交際に対してあれこれ口出しするような親もいると聞くが、俺はそんなどこぞの偏屈親父なんかじゃない。
そもそもうちの娘はもう25になる。子供じゃないんだし、立派な社会人にもなっている。親がなんでもかんでも言う時期は、とっくに卒業しているんだ。どこの誰と交際しようと一向に構わない。
ただ、ただな……
「なあ……大事な話って、何だと思う?」
大事な話がある。今回彼氏を連れてくるにあたって、娘は俺達両親にこう言っていたのだ。
そんな改まって、いったい何を言うつもりなのだろう。ま、全く検討もつかないな~
「そりゃもちろん、結婚の話じゃないの?」
「まだそうと決まった訳じゃないだろ!」
結婚。その言葉が出た瞬間、気がつけば声を荒げて叫んでいた。しかし後悔はしていない。
「け、結婚なんて、外野が勝手に決めつけたら余計なプレッシャーになるじゃないか。推測で物事を語るのはよくない!」
「はいはい、そうですね。だけど二人とも付き合ってだいぶ経つんだし、年齢から言っても、そろそろそういう事を考えてもおかしくないでしょ」
「うぐっ……」
確かに。今は昔と比べて晩婚化が進んでいると言われてはいるが、娘の25歳というのは、決して早すぎると言うわけではないだろう。
それに年齢で言うと、相手だってそうだ。娘の彼氏というのは、娘より7つ歳上なのだ。娘以上に、結婚というものを真剣に考える時期になっているのかもしれない。
「それともあなたは、二人の結婚には反対なの?」
「いやいや、そういう訳じゃない。そりゃ多少歳は離れているが、そんなのは些細な事だし、なにより彼はいい奴だ。二人が一緒になるならむしろ嬉しい」
娘の彼氏と会うのは、なにもこれが初めてという訳じゃない。今までにも何度も会っている。ましてや嫌いな訳でもなく、むしろ気に入ってると言っていい。
今回だってわざわざ大事な話があるなんて言われてなければ、いつも通り快く迎えていただろう。
「しかし仮に、仮に結婚の話だったとしたら、やはり俺は席を外した方がいいかもしれないな。彼氏にとって、彼女の父親なんて、プレッシャー以外の何物でもないだろう。大事な娘婿に、余計な重圧を背負わせたくはない。と言うわけで、少し出掛けてくる」
どうだこの完璧な言い訳、もとい気づかい。しかしそう言って家を出ようとしたとたん、妻に肩を掴まれる。
「いい加減観念しなさい。結婚の挨拶の場に父親がいて何が悪いの。プレッシャーになるって、もしかして私の両親に挨拶行った時も、本当はそんなことを思っていたの?」
「い……いや、そんなことはないぞ。ただあくまで一般論として、そういう可能性もあるかもしれないってことだ」
「とにかく、あなたも家にいて、ちゃんと話を聞くこと。いいわね」
「…………はい」
俺なりの気づかいだったのだが、こうも強く言われては仕方がない。妻に肩を掴まれたまま、すごすごと家の中へと戻っていく。
「そうだ、ちょっとトイレに……」
「別にいいけど、何時間も隠ったりしないでよね」
「ギクッ──ま、まさか。そんな事するはずないじゃないか」
さすが、長年連れ添った我が妻。考えはお見通しか。これは、いよいよ覚悟を決めた方がいいのかもしれない。
「お父さん、ただいま」
少しして、娘が帰ってきた。もちろんその隣には、俺もよく知る彼氏の姿がある。
「おじさん、久しぶりです」
にこやかに挨拶をしてくる彼氏。彼は、俺のことをおじさんと呼んでいる。昔から、彼がまだ小学生だった頃から、ずっとそうだった。
ふと、昔の記憶を思い出す。
娘の彼氏である彼は、元々うちの近所に住んでいた子供だった。当時まだ小学校にも入っていなかった娘がふとしたきっかけで懐いたのが、知り合ったきっかけだった。
今でこそ恋人となっている二人だが、もちろん当時はそんなことはなく、兄妹みたいなものだったと思う。娘は彼にべったりだったし、彼もまたそんな娘を、まるで妹のように可愛がっていた。
そんな二人がまさかこんな関係になるとは。当時は考えもしなかった。
彼がうちに遊びに来ることも珍しくなかったし、一緒に食卓を囲んだ事だって何度もあった。少しずつ大人に近づくにつれ、進路や、彼の家庭でトラブルがあった時は、相談にのったこともある。慕われているんだという、自負もあった。
子供は娘一人しかいない俺達夫婦にとって、そんな彼は……そう、息子のようなものだった。
「で、話って言うのは何なんだ」
俺と妻。そして娘とその彼氏。テーブルを挟んで、それぞれが向かい合う。向こうが緊張しているのが分かるが、それは俺だっておなじだ。
話は何か。一応尋ねてはみたが、いい加減認めよう。二人が結婚の挨拶に来たことを。そして、息子のように思っていた彼から、今からそれを告げられるんだって事を。
本当は、妻に言われるまでもなく、そんなのとっくにわかっていたことだ。
なのになかなかそれを認められなかったのは、どうやってそれを受け止めていいかわからなかったからだ。
だってそうだろう。娘が幸せになるのと同時に、息子の晴れ姿を拝むようなものだ。そんなの、どんな顔をして見ればいいっていうんだよ。
『おめでとう』と、上手くいってやれるだろうか。涙を流さずにいられるだろうか。
緊張する俺に向かって、彼はとうとうその言葉を口にする。
ずっと、息子のように思っていた彼。それが、こんな形で本当の家族になれるなんて。こんなに嬉しいことはない。
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