第2話

     ■


 私を横抱きにして、魔物は暗い森を駆け抜ける。着けていたベールが途中で落ちたけど気にはしない。


 もう守護騎士たちの遺体は発見されているだろうか。魔物相手ではなく、三人で殺し合ったとしか見えない状況を見て、王や貴族たちは何を考えるのか。


 聖女の姿が消え、血まみれのベールが森の中で見つかった時、私を騙した人々はどう思うのか。自分たちに都合の良い解釈をして、何事もなかったかのように次の聖女を召喚する準備を始めるのだろうか。


 いろいろ想像してみても、すでに私には関係のないこと。時間は戻せないのだから、私の罪は消えることはない。


 魔物の体はふかふかとした真っ白の毛でおおわれていてくすぐったい。毛の下には、力強い筋肉質の体を感じる。


 駆け続ける魔物の腕の中、その毛並みに顔を埋めて。

 私は、少しだけ、後悔で泣いた。


     ■


 魔物の住処は、深い深い森の奥にこぢんまりと立つ赤いレンガで出来た小さな家。意外と文化的な暮らしをしているのかと思ったのに、扉を開けた瞬間にそんな幻想は吹き飛んだ。


「ちょ! 汚部屋どころか、汚家じゃない!」

 無数の動物の毛皮や骨、布。空き瓶。やたらとカラフルで透き通る小さな石、何故か干し草。そんな物が天井まで積み上がっている。


「片付けって言葉、知ってる? 知らないわよね! 魔物だもんね!」

 人のように直立してはいても、五本の指には鋭い爪。この手がホウキや雑巾を持つなんて絶対思わない。


『そ、その……』

「まずは不用品を外にだす! 動物の骨、必要!? 毛皮は使うの!?」

『え、いや、そ、その……』

 問い詰めると、骨と毛皮は食事の残骸。要するに、コンビニ弁当の空と一緒。異世界のからりとした気候のお陰で乾燥しているものの、埋もれている物については、どうなっているのか考えるだけで背筋が寒い。


「この干し草なんなのよー! 薬草とか?」

『い、いや……その……ね、寝床に敷く』

「は? 家があるんだから、ベッドくらいあるでしょ?」 

 ベッドの姿は埋もれて見えず、獣道のように踏み固められた先に魔物が丸まって眠れる程度の空間が存在していて、干し草が敷かれている。


 私の中で変なスイッチが入った。ドレスを脱ぎ捨てて、キャミソールとドロワーズ姿で不用品を扉の外に投げ捨てる。

「骨は外に出してても腐らないでしょ! っていうか、売れる!?」

『い、いや……魔物の骨なら高値で売れるが……普通の動物では……』

 さっきから魔物のふさふさとしたしっぽが垂れて丸まっている。もふりたい気持ちを抑えて、私は不用品の壁を崩すことに没頭した。


 小さな家とはいえ、家の中の不用品を片付けるまで三日掛かった。物は多くても種類が少なかったので分別が早く済んだのが勝因だと思う。空き瓶以外は裏庭にあったゴミの山と一緒に、魔法で一気に焼却してもらったらすっきり。恐れていた虫や小動物がいないのは、干し草の効能だとわかった。


 あちこちに転がっていた石は宝石。魔物が変装して町で買い物する時に使っているらしい。

「えー。これ、ルビー? こっちはエメラルド? トパーズ? 高そー」

 拾い集めると、とんでもない量になった。ミカン箱二つ分くらいは軽くある。金貨が入った大きな革袋まで出てきたから恐ろしい。


「異世界でも汚部屋掃除するなんて思わなかったわー」

昔付き合っていた彼氏の汚部屋も片付けたらあちこちからお金が出てきたことを思い出す。部屋が綺麗になってしばらくして、他に好きな女が出来たと言われて別れたけど。


『す、すまない』

 大きな体を縮めるようにして綺麗になった部屋の床に座る魔物の姿は可愛くて、胸がきゅんとする。

「家具、買いに行かなくちゃ。あと、私の服」

 不用品に埋もれていた家具は全部腐っていたから、今は石の床に干し草を敷いて座っている。


『ああ、何でも好きな物を買いに行こう』

 魔物の耳としっぽがぴんと立った。やっと役に立つことができると張り切っている表情が可笑しくて、私は笑うしかなかった。


     ■


 一緒に暮らすと魔物はとても優しくて、深い森の中の家は不便極まりないけど楽しい。驚きと穏やかな日々を繰り返し、気が付けば一年が過ぎ去っていた。


 晴れた日には小さな庭の芝生に座って、魔物に膝枕をしながらあちこちを木のブラシで梳かす。喉の下から胸あたりのブラッシングが特にお気に入りらしい。


 塀や柵を作っていないので、花が咲く庭の先は深い森。薄暗い森と明るい色の花々のコントラストが不可思議な空間を作り出している。


「そろそろ食べる?」

『……まだ先でいい』

 一年が過ぎても、魔物は私を食べようともしない。 

 

「……あと四年したら、新しい聖女が来るのよね? そしたら、私どうなるの?」

『もう必要ない。あの祭壇に行きたくない。……私にはお前だけでいい』


「そうなの?」

 魔物の言葉に安心して肩の力が抜けていく。ふさふさとしたしっぽが、ふぁさりと手を叩く。これはもふもふしていいという合図。大きなしっぽを抱きしめて頬ずりすると、膝の上で魔物が震える。


 最初、断りなくしっぽを掴んだ時には酷く怯えられてしまった。とても敏感な場所らしくて、不意打ちで触れられるのは恐ろしいことらしい。


「ありがとう。堪能しましたー」

 震える程怖いのに、もふらせてくれる魔物は優しい。しっぽがふわりと離れて、ゆらゆらと揺れる。


「……お前は不思議な女だな。恐ろしくはないのか?」

「全然。だって、もふったら震える可愛い魔物なんて、私が怖がると思う?」

『……震えているのは……自制しているからで……』


「自制って何?」

『……何でもない』

 自制する行為とは何かと考えてピンときた。しっぽを触る私を本能的に殺したくなるのを我慢しているのかもしれない。


「私、貴方が好きなの。何されてもいいって思ってるから、いつでも殺して食べちゃっていいわよ」

 異形でも平気。力仕事をしたり、狩りをする姿は凛々しいのに、私の膝の上では震えるギャップがたまらない。優しくて、いつも私のことを気遣っているのがよくわかる。


 人間を食べる魔物に恋をしても報われないとわかっていても、この愛しさは止められない。いっそのこと、食べられてしまえばいいと思う。


『……!』

 びくりと体を震わせた魔物が私の膝から起き上がると、七色の光に包まれた。まばゆい光の中、魔物の影が人へと近くなっていく。


「え?」

 光が収まると、そこに立っていたのは長い金髪、青い瞳の超美形。紺青色に金の装飾がされた上着に白いズボン、黒ブーツ。まるでお伽話にでてくる王子様の姿。


「……呪いが解けた…………魔物になった私を見ても、悲鳴を上げない女が呪いを解くと言われていたが……本当だったのか……」

 男性の口から、聞き慣れた魔物の声が発せられて、私は衝撃を受けた。


 魔物の本名はイヴァン・テル・ケトラス。ここからは遥か彼方の島国ケトラスの第二王子が、魔術師に呪いを掛けられて魔物の姿になっていた。


「人を食べたことは無い。……女の悲鳴を聞くと体が勝手に動いて、八つ裂きにしてしまう呪いだった」

 昔、魔術師が王子の婚約者に恋をして、王子に呪いを掛けた。王子は人を殺す前に城から飛び出し、世界を放浪した末にあの祭壇を作った当時の王に出会った。


「私に掛けられた呪いを解くかわりに、失われた王冠を見つけて欲しいと言われて契約を結んだ。私はすぐに王冠を見つけ出し、王へと渡した。その時、私を調べた魔女が言ったのが、私を見ても『悲鳴を上げない女が呪いを解く』という言葉だ。王はすぐに精神的に強い女を私に会わせたが、皆、私の姿を見ると恐怖の悲鳴を上げた」

 淡々と語っているように見えても、深い悲しみがにじむ。


「殺してしまうのなら呪いを解く必要はないと思っても、魔法で契約していたから完全に拒否することはできなかった。十年二十年と時が過ぎ、契約を直接知っている者が死んだ後、何があったのかは知らないが、私に会わせる女は聖女と呼ばれるようになり、異世界人へと変わっていった」

 深い溜息は、深い悔恨。


 おそらくは元の契約を知らない人々が体裁を美しく整える為に、今の聖女召喚システムを作り出したのだろう。異世界から召喚した女なら、魔物に殺されても罪悪感は薄いとでも考えたのかもしれない。


 華々しい召喚の儀式、贅沢尽くしで接待される一年間。見目麗しい騎士から選抜される聖女の守護騎士。最後の帰還の儀式のドレス。すべては醜い真実を覆い隠すための美しいベールでしかなかった。


「王子様かー……じゃあ、お城に戻るの?」

「いいや。私が王子だったのは、百八十年前だ。今更呪いが解けたと帰っても、誰も私のことを知らないだろう」

 百八十年と聞いて、犠牲になった聖女の数を計算しそうになってやめた。殺したのは掛けられた呪いのせいであって、けしてイヴァンが望んだことじゃない。


 それにしても。超がついても不思議じゃない美形を見上げて私は内心溜息を吐く。

「…………残念そうな顔だな」

「魔物の姿の貴方を見慣れ過ぎちゃって、突然普通の美形になられても実感ないんだもの」

 ワイルド感が綺麗さっぱり消えてしまって物足りない。もふもふなしっぽも消えてしまって残念至極。


「まさか、私を捨てて出て行くのか?」

 魔物の顔でも感情が読めるようになっていたのに、人間の顔だと感情が丸わかり。捨てられた子狐のような目をされたら滅茶苦茶困る。


「……そんな顔されたら、ほだされちゃうじゃない。私でいいの?」

「ああ、もちろん。愛している。呪いが解けたら告白しようと思っていた」

 心の底から嬉しいという微笑みが正統な美形過ぎて、キラキラしくて眩しい。これを毎日見せられるのは厳しいかもしれない。心が折れそう。


「ね。夜になったら魔物に戻るとかないの?」

「魔物に戻って欲しいのか?」

「そういう訳じゃないけど……気が引けるっていうか。私、平凡な女だし」

「平凡? 全くそんなことはない。今までとは違う環境を快適にしようと考え、工夫してきた努力は素晴らしい。料理も美味しい。破れた袋や様々な物を修繕してよみがえらせた。この手を持つ君が平凡な訳ないだろう?」

 私がこの家に来てしたことといえば、家事ばかりだと思う。


「そんな当たり前のことほめられたって……」

「君には当たり前のことかもしれないが、私にとっては素晴らしい恩恵だ。毎日、狩りから戻れば温かい料理が待っていて、綺麗な寝床が用意してあることが本当に嬉しい。毎日の暮らしを心地よく整えることは、素晴らしい才能だと私は思う」

 王子様には、家事なんてさっぱりわからないことばかりだから才能に見えるのかも。


「んー。ま、それならそれでいいけど」

 キラキラと輝く瞳が本気で感激しているのがわかるから、いたたまれない。魔物の時なら、しっぽをぱたぱたと犬のように振っているだろう。ああ、私のもふもふしっぽはどこに。


 上機嫌で笑いながら私を抱きしめたイヴァンの顔が近づいてきた。これはキスされると察して、手のひらで止める。

「待って」

「どうした?」

「……私が好きになったのは魔物の貴方で、人間の貴方じゃないの」

 ぽろりと本音が口から零れてしまった。イヴァンが悲壮な表情になって、目にはうっすらと涙が浮かぶ。……今、胸がきゅんとした。


「仕方ないわね。これから、魔物でない貴方を愛する努力をするわ」

「ど、努力しなければならないのかっ?」


「だーって、愛してた魔物が突然別人になったのよ? 慣れるまで努力しないと厳しいに決まってるでしょ」

 同一人物だと頭ではわかっていても、背に回された腕の感触も、目の前の顔も違う。私のもふもふを返して欲しい。


「そ、そうか……」

 『捨てないで』という重い空気を全身にまとうイヴァンの唇に軽くキスをする。今はこれが精一杯。綺麗な長い金髪を撫でても、慣れ親しんだもふもふ感がなくて寂しい。


「……森から出るの?」

「出たいのか?」

「ううん。あんまり外に出たくない」

 黒髪、黒目の異世界人の女は珍しいらしく、町へ買い物に出る度にさらわれそうになる。隣に変装したイヴァンがいても危ないのに、町や村で暮らすようになったら、常に警戒が必要になるだろう。


「私も出たくはない。……呪いを掛けられていたとはいえ、多くの女の命を奪った罪は消えることはない」

「それなら、私も同じ罪人だわ」

 顔を見合わせて、二人で笑い合う。――これが召喚された聖女の末路。


 赤と緑の月が輝く世界の深い深い森の中、共に朽ちるまで暮らしましょう。

 私たちは罪人だから。

 隠れて密やかに生きるしかない者たちだから。

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召喚された聖女の末路 ヴィルヘルミナ @Wilhelmina

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