召喚された聖女の末路

ヴィルヘルミナ

第1話

「あー、この中の誰が〝聖女の守護騎士〟に選ばれるんだろうな。俺は遠慮したい」

「いつも君とは意見が合いませんが、その件は同意します」

「僕だって嫌ですよ」


 探していたイヤリングの片方を拾い上げた時、窓の外にいる三人の男の声に衝撃を受けた。炎の騎士、水の騎士、風の騎士と呼ばれる私の守護騎士たちの会話は続く。


「帰還の祭壇に聖女をお送りする役目なんて、引き受けたいとは思いませんよ。元の世界に帰還できるなんて嘘ですし」

 これは間違いなく、今年十八歳になる風の騎士の声。茶色い髪と瞳で、まだ少年の雰囲気を残してはいても、強い魔力を持つ優秀な騎士。


「まぁなぁ。魔物に喰われるとわかっていて部屋に閉じ込めるなんて極悪人の所業だしな」

 この声は今年二十三歳になる炎の騎士。短く切られた紺色の髪と青い瞳という、落ち着いた色合いを持ちながら、鍛え抜かれた体で長大な剣を扱う熱血漢。


「だからこそ〝聖女の守護騎士〟などという美しい称号で実態を隠されるのですよ」

 この声は今年二十五歳になる水の騎士。背の半ばまで伸ばした白金髪に青い瞳、水を自在に操る魔法と細身の剣を携えた優美な青年。


 ――私は騙されていた。さっと血の気が引いていく。


 通勤途中に異世界へ召喚され、聖女として一年間、魔を払う祈りの儀式を終えれば元の世界に帰ることができると聞いていた。この国には五年周期で大災厄の年があり、その一年間は毎朝の聖女の祈りがなければ国に災いが起こって多くの国民が死んでしまうと王に懇願されて引き受けたのに。


「聖女様のお目覚めまではまだ時間があるな。酒でも飲むか」

「勤務中ですからお断りします。……聖女様は『午睡の時間』と仰っていますが、眠ってはいらっしゃらないそうですよ。侍女によると、お一人で本を読んで過ごしているとか。私たちや侍女がゆっくりと昼の休みを取れるようにという配慮のようです。前回の聖女様もそうでしたが、ニホンジンという人種は自分のことより他者のことを優先するようですね」

 皮肉めいた口調に愕然とする。いつも温和で優しい話し方の水の騎士と印象が全く違う。


「前回選ばれたのは先代の風の騎士だったな」

「ええ。今では王女と結婚して公爵ですよ。男爵からの大出世ですね」


「俺は爵位なんてどうでもいいな。年齢が釣り合う王女もいないし」

「貴方は侯爵位を二つに子爵位を一つお持ちじゃないですか。平民上がりの僕は爵位も婿入りもどちらも興味があります」

「俺の養子になるなら、爵位を一つ分けてやってもいいぞ」

「五歳しか違わない養父なんて結構です。自力で手に入れます」


 話し声は徐々に遠くなり、三人はどこかへ行ってしまった。息をひそめていた私は、誰にも気づかれないように与えられた部屋へと戻った。


     ■


 私は半年前、突然異世界に召喚された。最初は戸惑ったものの、一年後には元の場所、元の時間に帰ることができると聞いて安心した。聖女と呼ばれてちやほやされて、平凡な自分が特別な存在として選ばれたことが嬉しかった。だから真心を込めて毎朝祈りを続けてきた。


 恭しく丁重に、時には過保護に接する守護騎士たちに戸惑いつつも、好意を感じ始めていた。でも、よくよく考えてみれば、それは私が逃げないようにする為の徹底監視。


 召喚と同時に私には聖女の能力が付加されたようで、浄化や結界の力がある。他にもいろいろとできそうな気はしても、発動手順を教えてもらったのはその二つだけ。 


 何とか逃げようと思って計画を立ててみても、私が知っているのは城の中のみで、国民の生活を見たいと言ってみても聖女は城の外には出られない。塔に上って見下ろすことしか許されなかった。


「聖女様、外に出る事はできませんが、何かご希望の物がございましたら、ドレスでも宝石でも何でもお持ちします」

「ありがとうございます。物は必要ありません」


 私の名前は絶対に呼ばれることはなく、聖女としか呼ばれない。これは一人の人間としてではなく、魔物の餌としての扱いではないのか。私に情を移して逃がしたりしないようにという目的があるのかもしれない。豪華な部屋の設えは、魔物の餌の為の檻。一度持った疑いは、私の心に憎悪を生み出した。


 魔物に食べられるしかないのなら、せめて誰かを道連れに。

 私は三人の守護騎士たちに狙いを定めた。


     ■


 これまでの私は守護騎士たちとは心の距離を取ってきた。元の世界に帰るのだから、好きになってしまったら虚しいだけ。過剰に親しく接してくる騎士たちとの、期間限定の恋愛遊戯と割り切って楽しむ勇気もなく、ひたすら真面目に日々の祈りに力を入れていた。


 私は守護騎士たちに好意を持ち始めたふりをして、侍女たちから情報を聞き出した。それぞれの性格、趣味や嗜好品、使用する武器や魔法、家族構成に至るまで、あらゆる情報が簡単に手に入った。


 私が誰を〝聖女の守護騎士〟に選ぶのか、ということは、王城で働く人々にとって興味の対象らしい。密かに賭けも行われていると聞いて、熱心な情報提供が行われる理由がわかった。


 侍女たちは私が元の世界に帰るのだと信じている。聖女が魔物に喰われてしまう真実を知っているのは、どうやら王族や貴族、限られた者だけ。


 私が守護騎士たちに興味を示したことは、すぐに本人たちにも伝えられたらしい。常に三人だった護衛が一人ずつの日替わりになり、二人きりになると並んで歩くようになった。

 

 今日の護衛は炎の騎士。明るい笑顔と声で話し掛けられても、真実を知ってしまった私には警戒する相手でしかない。あいまいに微笑みながら、相槌を打つ。


 庭園を歩き、人がいなくなった所で私は立ち止まった。何かを気にするふりをして、赤と緑の月が輝く青空を見上げる。

「どうした?」

「え? ああ、何か不思議な声が聞こえたような気がして」

「不思議な声?」

「……きっと気のせいだと思います。気にしないで下さい」


「気になるな。俺にだけ話してくれないか?」

 炎の騎士の優しい声を聞いても心は動かない。眉をひそめ、悲し気な表情を作って視線を逸らす。


「……少し先の未来の話……のようです」

先見さきみの能力があるのか?」

「これが先見なのですか? 声が聞こえただけなのですが。……内容はお話できませんが、飲み物……お酒に十分注意して下さい」

 そんな声は聞こえていない。私の作り話なのに、炎の騎士は顔色を変えた。


「酒に注意するとは?」

「ごめんなさい。私には、これしか言えません」

 うつむいて、静かに泣くふりをすれば優しく抱きしめられた。ムカつく。突き飛ばしたい気持ちを抑えて、両手でそっと押し返す。


「……本当にごめんなさい。とにかくお酒に異常を感じたら口にしないと約束してください。おそらく私が帰還すれば、注意する必要もなくなると思います」

「あ、ああ」


 その日から、炎の騎士はお酒を飲むのを辞めたらしい。あれ程の酒豪がぴたりと酒を飲まなくなったと侍女たちが噂している。


 私は似たようなことを他の騎士にも行い、水の騎士からは音楽を、風の騎士からは好物の菓子を取り上げた。


 中世から近世レベルのこの世界では、娯楽も嗜好品も限られていて代替は難しい。騎士たちの温和な態度の中、ほんの微かに苛立ちが滲む。取り上げた私への苛立ちを、騎士たちを気遣う聖女のふりで抑え込み、私は次の段階へと移った。



「毎日、護衛をして下さってありがとうございます」

 以前と変わらないように気を付けながら、私は微笑む。今日は水の騎士が護衛。


 城の大広間を囲む広い廊下は、数多くの絵画や彫刻が飾られていて、舞踏会や夜会が行われていない日は静かな美術館のような場所。


 水の騎士は音楽と芸術鑑賞が趣味ということで、絵画や彫刻について解説をしてくれる。

「あの……教えて頂きたいことがあるのですが……」

「何でしょう? 私がお答えできることなら何でもお答えしますよ」


「……私……この世界に残ることは可能なのでしょうか……」

「……それは……」

 水の騎士が言い淀む。


「やっぱり難しいのですよね」

 諦めの笑顔を作って視線を下げると、優しく肩を掴まれて覗き込まれた。

「残りたいのですか?」

 優しくなだめるような声色でも、青い瞳は探るような光を帯びている。


「……あの……いえ……いいのです。……私をこの世界に留めるなんて、いくら守護騎士でも無茶ですよね。…………絶対、止めなきゃ」

 青い瞳から視線を逸らし、言葉の最後は聞こえるか聞こえないかの小声で。最後に憂いの溜息を一つ。


「誰かが貴女を引き留めようとしているのですか?」

「……い、今の言葉は聞かなかったことにして下さい。……私は絶対に帰ると説得します。この世界に何も残しません。だからお願い。誰にも言わないで」

 ワザとらしい。そうは思いながらも、私は必死に演技を続けた。


 同じようにして炎の騎士、風の騎士にも、三人の騎士のうち、誰かが私を引き留めようとしているという嘘を吹き込んだ。



 今日の護衛は、風の騎士。その若さの為なのか私の下手な演技に騙されて、私を引き留めようとしているのは炎の騎士だと勝手に解釈して信じ込んでしまっていた。

「今日の護衛を替わると申し出たのですが、決まりだからと断られてしまいました。護衛が僕で申し訳ないです」

「いえ、そんな。護衛していただけることに感謝しています」


 冬へと向かい始めた庭園を二人並んで歩く。

「水の騎士みたいにお話できるような趣味もないですし、退屈させてしまいますね」

「それじゃあ、教えて頂きたいことがあるのですが、お聞きしてもいいですか?」

「僕に答えられることですか?」


「無理だったら、無理でいいのですが、守護騎士の皆さんが使う魔法のことを」

 私の言葉で、風の騎士の目が輝く。三人の中で一番魔力が強くて魔法が得意なことは知っている。何でもどうぞと言われて、私は知りたかったことを質問することにした。


「騎士は戦いの中で魔法を使うのでしょう? 戦闘中に呪文詠唱をしたりするのですか?」

「残念ながら、それは無理ですね。聖女の力と違って、魔法の発動には複雑な手順と呪文詠唱、魔法陣の準備が必要になります。剣を振りながら一言一句間違わず詠唱する余裕はないので、戦う前にどんな魔法が必要か予測を立てて、準備をします」


「準備?」

 私が尋ねると風の騎士はポケットから小さな木片を取り出した。

「例えば、これ。千年以上を生きた木の欠片に、圧縮した魔法陣を彫り込んでいます。これに魔力を注ぎ込むだけで、一瞬で魔法が発動します」

 手のひらの上に乗せた小さな木片が青緑の光で輝き、湧き上がった風が周囲の落ち葉を巻き上げた。


「今は少しだけでしたが、多くの魔力を注ぎ込めば人を吹き飛ばす風になります」

 ひらひらと落ち葉が舞い落ちる中、得意げな顔で風の騎士が笑う。


「とても素晴らしい力ですね。もっと質問してもいいですか?」

「ええ、もちろん」

 得意なことに話題を振り、話をさせて信頼を深めていく。そういった良好な関係性へのフォローを行えば、騎士たちは増々私に信頼を寄せた。



 私が試行錯誤しながら下手な演技を続けた結果、三人の騎士は私の嘘を完全に信じた。炎の騎士は水と風の騎士を疑い、水の騎士と風の騎士は炎の騎士を疑うようになっていた。


「……どうやって、あの方を説得したらいいのか……わからないのです……」

「私が言っても聞きそうにありませんね……炎の騎士は、貴女をどうやって留めようとしているのですか?」

 水の騎士から待っていた質問がついにきた。笑い出しそうな声を抑え、うつむいて息を整える。


「……私にも教えてはくれないのです。ただ……私にはその光景だけが見えていて……」

「やはり貴女には先見の力があるのですね。どんな光景ですか?」

「私が守護騎士を選んだ瞬間、あの方は………………あ、あの……貴方は防御魔法は使えないのですか?」


「魔法攻撃の防御ならできるのですが、剣や物理攻撃の完全防御は難しい。これは魔術師が騎士に完全勝利できない理由の一つです。……私たちが斬られる光景が見えるのですか?」

 水の騎士の問い掛けに、私は答えない。答えないことが答えとばかりに、水の騎士が顔色を変えた。


「……私は誰も選びません。一人で帰還の祭壇へ向かいます。もしもあの方が暴走しそうになったら……迷わず逃げて下さい」

「貴女を置いて逃げることはできません」

 プライドの高い水の騎士に、逃げてといえば絶対に意地になると思った。


「私は……誰も死なせたくないんです」

 顔を手で覆い、泣くふりをすれば、水の騎士が優しく肩を抱く。不快に思っていても、胸に飛び込めば抱きしめられた。


 私は、城の窓から炎の騎士がこちらを見ていることに気が付いていた。私を抱きしめる水の騎士の姿を見て、きっと疑いを深めるだろう。


 この企みが成功しても失敗しても、どうせ私は魔物に食べられる運命。

 自嘲の笑みはやがて涙に変わり、水の騎士の腕の中、私は本物の涙を流した。


     ■


 私が真実を知ってから半年。帰還の日がやってきた。一年を掛けて作られた白く美しいドレスはまるで婚礼衣装。白く透ける繊細な布で作られたベールを頭に掛けられると、ますます雰囲気が高まる。


 この国の婚礼衣装は赤色で、白は聖女の色ということらしい。婚礼の意味はなくても、死に装束としては物悲しい。


 王や王子、貴族たちの感謝と別れの言葉を受け、守護騎士たちに囲まれるようにして祈りの部屋へと向かう。皆、聖女がどうなるのか、知っているくせに。糾弾したい気持ちを押え、清らかな聖女の仕草で歩く。


 いつも祈りを捧げる部屋の奥、隠された扉を抜けると、床も壁も白く輝く美しい花々の彫刻が施された部屋。中央に立つと、まるで花々に囲まれたような美しさを感じることができる。煌めく輝きは夢のよう。


 私の前に守護騎士たちが整列した。凛々しく着飾った美形が並び、優しく微笑む光景は映画か何かのようで現実味は薄い。何も知らなければ、幻想的で荘厳な空気の中でたった一人の守護騎士を選ぶという、別離の運命に甘美と切なさを感じる最高潮クライマックスのイベントとしか思わなかっただろう。


「聖女様、どうか貴女の守護騎士をお選び下さい」

 恭しく礼をした水の騎士が私に問いかける。これから選ばれた守護騎士が聖女のベールを上げ、帰還の祭壇へと案内すると聞いている。


 復讐の時が来た。この半年、悩みながらも疑惑の種をまいて育ててきた。これが復讐と呼べるものなのかはわからない。ただ、私の人生を奪った人々に一矢報いたい。


 私は自らの手でベールを上げ、騎士たちに憂いの表情を見せつける。

「選べません……私には未来が見えていました。……私が選ぶ守護騎士は……私を助ける為に他の騎士を殺してしまうの」


 私の言葉が終わる前に騎士たちは動いていて、一瞬で勝負がついた。三人の守護騎士が血を流しながら床に倒れている。巻き添えになって死んでもいいと思っていたのに、意外にも騎士たちは私に戦闘の影響を与えなかった。


 一番酷い状態だったのは炎の騎士。他の二人から魔法攻撃を受け、全身が凍った状態でばらばらにされていた。


 とはいえ一番の戦闘技術を誇る炎の騎士は完全に凍り付く直前、剣で他の二人を斬りつけていた。風の騎士の首は胴から離れた場所に落ち、咄嗟に魔法で防御した水の騎士も胸を斬られている。


「ミステリー小説とかで、互いに殺し合うように仕向ける罠って時々あるけど、こんなに簡単に掛かってくれるとは思わなかったわ」

 嗜好品や趣味を奪い、常時イラつかせた状態にして少しずつ他者への疑惑を刷り込んでいく手法は小説で読んで覚えていた。


 本人たちの身分の上下、プライドの高さが互いへの不信を増幅し、意思疎通という簡単な確認すら行われなかったらしい。


 この世界では心理学は学問として確立されておらず、ネットという情報の海もない。手に入る情報が限られた閉鎖社会で、さらに私が聖女という立場だったから上手く心理誘導することができたのだと思う。


 水の騎士は、まだかろうじて息があった。

「……私、元の世界に帰れないんでしょ? 騙してたのね」

 胸は裂け、腹は風の騎士による魔法攻撃によって抉られている。助けを求めるように伸ばされた震える手を払い落した。


「異世界の女を馬鹿にするからよ」

 自分でも思ってもみないくらいに冷たい声が出た。絶望に見開かれた瞳が光を失っていく。 


 窓のない白い部屋の中、私は血に汚れたドレスで立ち尽くす。私は三人の守護騎士を殺してしまった。後ろの扉へは戻れない。前へと一人で進むしかない。


 壁に掛けられていた魔法灯ランプを持ち、扉を開けて延々と暗い廊下を歩いていく。

 これまで何人の聖女が、選んだ守護騎士と共にこの道を歩いたのだろうか。守護騎士に恋した聖女もいたかもしれない。護ってくれるはずの守護騎士に、最後の最後で裏切られるなんて想像もしたくない。


 行き止まりに出現した真っ白な扉を開いて入ると、黒い石で出来た部屋だった。白と黒の急激な切り替わりが眩暈を引き起こす。ぐらりと回る視界に耐え切れず、膝を着く。


「……何だろ。疲れちゃったかな」

 自分の手は使っていないから、人を殺したという実感はない。それでも、私は人殺しになってしまった。


 私が入ってきた扉の反対側から、扉が開く音がした。魔物に喰われると思っても、恐怖はなく諦めしかない。人を殺す者はいつか誰かに殺される。そんなありきたりの言葉を心の中で繰り返して項垂れる。


 私が床に置いた魔法灯が、近づいてきた魔物の脚を照らし出した。白い毛が生えた獣の脚。


 最期に私を殺す異形を見て置こうと顔を上げて驚いた。そこに立っていたのは、背が高く巨大なしっぽを生やした白狐の獣人。ぎらぎらと赤い瞳が輝いている。


 全体の印象は白狐が直立した姿。大きな耳と人間と足して割ったような手と、私の背丈くらいはありそうなふわふわとしたしっぽが特徴的。


 鋭い爪を見ても怖いとは思えなかった。これから殺されるというのに、そのしっぽに触れたいと考えている自分に呆れつつ笑ってしまう。最期の願いが『もふもふしたい』だなんて本当に馬鹿過ぎる。


『……お前は悲鳴を上げないのだな』

 魔物の口から意外と物静かな男の声。何もわからないうちに殺してくれたらよかったのに。


「悲鳴上げて倒れるような可愛らしい女のお芝居はさっき終わったの。……馬っ鹿馬鹿しい人生だったわ。真面目に生きてきたのに、いきなり異世界召喚されて騙されて、使い捨てにされるなんて。……しかも人を殺しちゃった」

 溜息混じりで自嘲する。いつか報われると信じて、真面目に努力しながら生きてきた。その結末がこれだ。涙もでない。


『お前も人殺しか』

「貴方も? っていうか、魔物でしょ? 私も食べられちゃうのね。できれば苦しくないように一息で殺して」


『面白い女だな。……私と一緒に来るか?』

「何それ。貴方に着いて行って、何か面白いことある?」

『そ、それは……』

 魔物の赤い瞳が泳ぐのを見て、また私は笑ってしまった。白目がなく赤一色の宝石のような魔物の目でも、意外と表情豊か。


「ま、いいでしょ。飽きたら殺して食べていいわよ。連れて行って」

『あ、ああ』

 私が差し伸べた手を、魔物はためらいがちにそっと握る。


 そうして私は、魔物の花嫁になった。

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